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人生に乾杯!

宝厳院2

2024-11-14 | 庭園

獅子吼の庭を見たい、と思って、嵐山、宝厳院に出かける。

宝厳院は、京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町にある臨済宗天龍寺派の寺院。大本山天龍寺の塔頭。山号は大亀山。本尊は十一面観音。

これは何だかわからないけれど、お出迎えしてもらう。

「獅子吼の庭」は、室町時代に中国に二度渡った禅僧、策彦周良禅師によって作庭され、嵐山の景観を匠に取り入れた借景回遊式庭園。「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味であり庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって、人生の心理、正道を肌で感じ、心が大変癒する庭。

看板に記されているように、巨石が多い。

裏には、黄色の花が。

まるで、上質の石チョコが、ふんだんに置かれているような庭に、いきなり出会う。

三尊石・苦海・獣石 獅子の咆哮に諭され、先を競って苦海(丸い黒石で表現)を渡り釈迦如来(三尊石で表現)のもとに説法を拝聴しに行く獣(十二の干支)を表している。苦海を渡りきれない諸人のために舟(舟に似せた石)を配し万全を期している。HPより

瀧門瀑 三尊石の左に組まれた石積みは、中国の黄河中流にある滝で激流を登り切った鯉魚は龍となるという伝説の登龍門を表している。禅宗の修行僧の心の支えであり、修行の励みのシンボルである。滝壺の鯉が、滝を登り切り龍になるための壮行の様を表現している。HPより

まるで川がながれているよう。

迎え松。

臼のような石。

少しだけ紅葉。

これは送り松。

碧岩 2億年前の海底に堆積した微生物やプランクトンが水圧で圧縮されて出来た「岩石」。大堰川上流、有栖川上流、龍安寺の山手より産出。硬度の高い岩石でダイヤモンドの10を筆頭に7番目に準拠する。パワーストーンのマニアがパワーを授かりにリピーターとして通年訪れている。HPより

豊丸垣 竹の小枝を下向きに重ねた垣。怡も昔の田植えの光景に藁や麦わらで作って着ていた蓑に似ている事から蓑垣の名称がある。耐久力を増すために上部に屋根をつけたのがオリジナルで、宝厳院垣と呼称している。垣根越しに延びるアカマツの木肌、曲姿も見事で年代を感じさせる。HPより

獅子岩 これは正面。

碧岩と同じ石質は「岩石」であり、獅子の顔をしているところから、獅子岩と命名されている。寛政11年(1799年)発行の『都林泉名勝図鑑』(秋里籬島 著)に記載されている。HPより

獅子の後姿。

獅子岩と大きな紅葉の木。

上を見あげれば、青もみじ。2006年(平成18年)に京福電鉄が宝厳院の紅葉は赤く染まってなくとも青いままでも美しいことに気付くや、宝厳院の初夏の紅葉を「青もみじ」と称してキャンペーンを行った。これ以降、「青もみじ」という言葉が広まっていったそうだ。

本堂に行く。ふと茶室の前のベンチを見て、あらっ、ここにすわって庭を見た、ことに気づいた。初めての訪問とばかり思っていたが、記憶がよみがってくると、つい昨日、このベンチに座っていたような気がしてくる。通りすがの人の洋服まで思い出される。なんということでしょう。。。でも、本堂はその時、行かなかった。

宝厳院本堂は、平成二十年に完成。本尊は、十一面観世音菩薩、脇仏に三十三体の観世音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三所巡りに等しい功徳があると伝えられている。

58枚の襖絵「風河燦燦三三自在」は、女性画家の田村能里子の作である。朝、昼、夜の3室構造にて仕切られている。女性の画家が寺院の本堂の襖絵を手掛けたのは田村氏が初めて。主に朱色が全面に使用されているのは寺院の襖絵では珍しい。

壁画としては50作目にあたる本作は、中国・西安の「二都花宴図」を見た住職さん?とのご縁によって描かれたそうだ。

タムラレッド。これまで、ラピスラズリのフェルメールブルー、ベロ藍の北斎ブルー、広重ブルーなど、画家を代表する色を注意深く見てきたが、朱色は初めて。田村さんは洋画家。まるで日本画のような襖絵。画材は麻布キャンバスにアクリル絵具。一年半かけての制作。