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松パパのヒトリゴト

特にコンセプトはありません

ドコモと再びサヨウナラ?

2005年03月17日 | 携帯電話
そんなこんなで再びドコモに戻ってきた松パパですが、前がP153だったので実質的には「初ドコモ」と言っても良いでしょう。電話番号が変わるので周囲への通知がちょっと面倒でしたが、なにせ料金は会社持ちだし、N505iSと言えば当時バリバリの最新機種!お~画面がデカイ(端末自体も相当デカイけど。。。)QVGA細かっ!などと久々味わう最新テクノロジーに感動。で、ドコモと言えばiモード。早速使ってみると、は、速い。。。正直、非パケット機のJ-Sky Web(現Vodafone Live!)なんてとてもお金を払って使うような代物じゃ無かったけど、さすがは天下のNTTドコモだなぁ。。。と妙に感心したのでした。あとはiアプリの量にもびっくり。従量課金(1ダウンロード当たりで課金される)ではなく月額100~300円位での契約が基本というのはイマイチだけど、なにせお金は会社持ち。知ったこっちゃありません。J-PHONE時代からよく使っていたG-MODEで念願のザ・キャッスル(PC-88でやってたけど解けなかったんだよな~)をダウンロードして解いたり、NAMCOのファミスタやアニマル大富豪(これが絶品!)など、ほとんどゲーム機のような使い方をしていました。

一方、J-PHONEの方が良かったかな?と思ったのはメール。送達確認がないのはやっぱり不安。しかも送ったメールが何時間か経ってから届くということが前より多くなったような。。。ファイル添付も出来ないので写メールもパッタリとやらなくなってしまいました。あとは、JAVAアプリの設定。J-SH07や09ではアプリ起動中に電話やメールの着信があった場合、字幕スーパー(のような表示)で「○○から着信中」と知らせてくれるので、出たくない時にはそのまま無視してゲームを続ける事が出来ました。が、ドコモのiアプリは、メールはバックグラウンドで受信してくれますが、着信があると強制的に電話モードになってしまいます。ゲームやiモードでブラウジングをしている時に電話が来て、出たくない電話もとってしまうことが何度も。。。

でもまぁ使い勝手も悪くないし概ね満足して使っていたのですが、半年も経たないうちに今度はFOMAに変えろとのお達しが。。。うちの会社はとっても立場が弱いので、天下のNTTドコモ様から「FOMA買って~」と言われると断れないのです。ということで、あっという間に松パパのN505iSはP900iに変身してしまいました。

FOMAは世間では「電波が悪い」と批判されているようですが、松パパはあまりそうは思ってません。音は間違いなくmovaより綺麗だし、iモードも更に速い!電池の持ちも思ったほど悪くないし、なんと言ってもFFが出来る!(とっくに解き終わったので今は関係ないけど。。。)ってことで、FOMAに不満点はほとんどなく、既にmovaよりもサービスとしての完成度は高いと思っています。(TV電話はもらったその日に一回遊んだだけですが。。。)

P900iはPanasonicのハードにNECのソフトウェアが乗っかっている機種なので、N505iSからの乗り換えの際に戸惑うことはほとんどありませんでした。(日本語変換はT9で極めました)ヒンジ横のボタンで開くギミックは使い慣れると必需品です。

反面、待ち受け画面で写真が全画面表示にならない(上下が切れる)のと、カメラはオートフォーカスである必要は全く無いこと、メール画面から待ち受け画面に戻る時「フリーズした!?」と思うほどレスポンスが悪い時がある、くらいが難点でしょうか。

まぁどれも些細なことで、デザインは気に入ってるし、901iシリーズ(FFⅡはやりたいけど。。。)で特に魅力的な端末は無いし(Felicaには興味なし。NとPはLinuxOSになって更にレスポンスが悪くなったらしい)、当分P900iを使っていこう!と思っていたところ。。。

今度はauに変えろとのお達しが。。。人の(会社のだけど)携帯、なんだと思っとるねん!どうやらうちの部門の売り上げ的にドコモとauがトントンになってきており、「ドコモさんだけじゃなくて、うちの携帯も何台か入れて」と言われて、またまた飲んじゃったとか。ただし今回はFOMAの時のようにほぼ全員変更というわけではなく、auと業務的に縁のある人のみ。あ。。。確かに松パパはFOMAじゃなくてauを使うべき担当でした。。。

そうと決まったら、今度はauの研究じゃ!前向き、前向き。常にポジティブシンキングでね。やっぱWINでしょ。これからは 

J-PHONE

2005年03月15日 | 携帯電話
「あの」サービスとはスカイメールのことです。スカイメールは文字数も多く(128バイト)、送達確認機能や送信リトライ、絵文字の出来(泣き顔や怒った顔などのキャラが可愛かった)など、ドコモ・IDO・ツーカーなど当時の在京キャリアの中ではダントツに高機能で出来の良いメールサービスでした。松パパが妻と一緒に買ったのはDP-194という今はもう携帯から撤退してしまったデンソー製の端末で、当時の携帯としては珍しく「まめぞう」というキャラが遊びの要素として入っていました。この端末はデザインはちょっと変わってましたが性能的には申し分なく、相手にメールが届く時に送信側の指定で相手の携帯をバイブさせる、なんて今では考えられないような機能も付いてました。

DP-194を1年ちょっと使った後に機種変更したのはJ-P01というPanasonic製の端末でした。69gと非常に軽く、液晶のバックライトをグリーンとオレンジ2種類使い分けられ(モノクロには変わりないですが)、4行表示という大画面(DP-194は2行表示)という特徴がありました。スカイメールを送信した後、自動で「送達されました」と表示され、自動で待ち受け画面に戻るのも使い勝手が良かったです。

その次に使ったのはJ-N02というJ-PHONE初の折りたたみ携帯(NEC製)でした。前の2台はメールの受信をバックグラウンドでやってくれた(メール作成中でも勝手に裏で受信しておいてくれる)のに、このN02は強制的に画面が切り替わってしまうなど、はっきり言って機能的にはイマイチな端末でした。事前に調べて分かってはいたのですが、どうしても当時流行りつつあった折り畳みの携帯を持ちたくて。。。 このころ(今も?)のNやPはドコモとそれ以外のキャリアの端末の性能差が激しく、「弱小キャリアだからって力入ってないなぁ~。どんな事情があるのか知らないけど、消費者を舐めてるよなぁ~」と悔しい思いをしておりました。

その後は、J-SH05→J-SH07→J-SH09とシャープを3機種続けて使いました。この頃のJ-PHONEは一時auを抜いて2位になるなど飛ぶ鳥落とす勢いでしたが、間違いなく高性能なシャープ端末が最大の牽引力だったと思います。(よく藤原紀香効果などと言われてましたが、、、どうだかねぇ。←松パパはある意味関係者なのでこんなこと言ったらマズイのですが。。。

でも、本当にJ-PHONEのシャープ端末は先進的でした。J-SH02はカラー液晶搭載(ドコモのF502iとほぼ同時期で携帯初)、J-SH04が初のカメラ搭載携帯、J-SH05は初のTFT液晶搭載携帯、J-SH07ではJAVAアプリも搭載され、その後もカラーのサブディスプレイ、バーコード読み取り機能、QVGA液晶などなど、その時々で考えうる全ての機能を盛り込んだ「全部入り端末」でJ-PHONEの大半のシェアを握っていました。

社会的ブーム(←ちょっと言いすぎ!?)になった「写メール」は松パパもどっぷりはまっていて、妻に生まれたばかりの赤ん坊の画像を送ってもらっては、会社でこっそり見て癒されてました。ドコモのiショットがダメダメなサービスだったので「J-PHONEユーザーで良かった~」と心から思っておりました。

しかし、一時どんなに勢いがあっても長くは続かないのが世の常。その後シャープがドコモにも端末を供給するようになったことで「シャープの高性能端末が使えるのはJ-PHONEだけ」という優位性が無くなったことや、Vodafone傘下に入ってからは料金体系の改悪、3G移行のもたつき等様々な施策で失敗し、かつての勢いはどこへやら、完全にドコモ・auに水を開けられてしまいます。

松パパの周辺でも、友人が7年前の携帯料金の未払い!という身に覚えの無い請求を突然Vodafoneから言われ、断ったら回線を止められるという事件が発生。お客様窓口へメールで問い合わせするも反応は無く、消費生活センターの方もびっくりするような酷い仕打ちに他人事ながら怒りが爆発親や兄弟もVodafoneだったのですが、松パパはちょうどその時期に会社から携帯(N505iS)が支給されドコモへ、松パパ以外は全員auに鞍替えし、6年間に及ぶ付き合いにピリオドを打ったのでした。

携帯電話

2005年03月13日 | 携帯電話
松パパは携帯電話も大好きです。というか大好きでした。近頃若干興味を失い気味。。。TU-KAの「話せりゃええやん」じゃないけど、最近の携帯はあまりに機能がゴテゴテ付き過ぎて、「自分に不要な機能が付いていることが大嫌い」な松パパの中ではブームが終わってしまいました。(あと会社から支給された、というのも要因の一つかも。やっぱ自腹を切らないと関心が薄れます)

松パパが最初に持った電話はPHS。大学4年の時に彼女(現妻)と一緒に、DDIポケット(現WILLCOM)のPS-601という京セラ製の電話を10円だか100円だかで契約しました。このPS-601、PHSのくせに結構重かったのですが、作りがしっかりしていて、黒くてアンテナが伸びる!(当時、携帯は黒くてアンテナが伸び、PHSはやたらカラフルでアンテナが伸びないという特徴があった)ということもあり、なかなか気に入ってました。

その後就職すると周りは携帯だらけで「PHSはダサい」「PHSにかけると料金が高い」などと文句を言われ、ドコモのP153(1.5GHz:当時はシティフォンとは言わなかった)に乗り換えました。(ちなみに妻はデザインを理由にNTTパーソナル(現ドコモ)の312Sという機種に変更)ドコモの1.5Gを選んだのは「料金が安いから」というのが最大の理由。当時ドコモの800Mhz(いわゆるmova)は基本料金だけでも6800円とかしたので、無駄な出費を心から憎む松パパにはとてもじゃないけど許せるサービスではありませんでした。この頃は、基本料金と通話料金を色々とシミュレーションして、どのキャリアのどのプランがお得が日々研究していました。(あんまり使わないくせに。。。)

その後半年もせずに、東京デジタルフォン(後のJ-PHONE、現Vodafone)から「あの」サービスが始まり、妻と共に乗り換えます。6年間使ったJ-PHONEの話はまた今度。