さいたま芸術劇場で、蜷川幸雄:演出×唐沢寿明主演の
「コリオレイナス」を観に行きました。シェイクスピアものです。
すごいよ。終演22:30過ぎ。
入場時に、お芝居のチラシと一緒に最寄駅・JR与野本町駅の
終電までの上下線時刻表が配布されました(入口にも貼ってあった)。
私の後ろの席の人、
「カーテンコールが長引いたら、家まで着けないかも……」
とか悲痛な呟きが聴こえてきたのですが、無事帰れたのだろーか?;
さて。
唐沢さんの舞台は何度か観たことがあるのだけど、蜷川演出では初めて。
実は私はそんなに好きな役者さんというわけでもなくて;
(滑舌の良さ、姿勢の良さが、逆になんとなく
「役者らしい役者を演じている役者」に見えてしまう……)
蜷川氏が高く買っている理由って、いまいちピンとこなかったんですが。
にゃるほどね!
と、最前列(別名:吉田鋼太郎のツバかぶり席…)で
ポン!とひざを打った次第です。
なんつーか、他の人々(特に民衆)が、地に根を張ったような
重心が下向きの↓どっしりした演技をする中、
彼だけが常に上へ上へ↑向かおーとしているように見えるのです。
殺陣なんかも、体重なんかないように、軽々。
よどみなく流れるよーな台詞回し(本当に、耳に心地よくて、音楽を聴いているようだった)も手伝って、
なんとなく、彼だけがふわふわと浮き上がって見えるのです。
(「浮いている」にはあらず)
それが、“英雄でありながら孤立していく将軍”像に、ぴったり。
(幕間にちょろっとお話しした隣の席の方が、唐沢さんのファンの方で
「ミュージカルの人だから~(蜷川作品にあうか心配)」とおっしゃってたのですが
逆に「ああなるほどそれでね!」と納得する蜷川ファン。)
タイトルにもなっている、主人公のコリオレイナスっつー男は、
ぶっちゃけヤな奴で(笑)。
戦功バリバリの国民的英雄のくせして
「民衆なんか無能の役立たずだ」的なことを言ってはばからないために
自らの立場を危うくして、悲劇に向かっていくわけなのですが。
唐沢さんがやると、非っ常~~にかわいゲのある男になるのですよ!
(思えば『白い巨塔』の財前教授も、なんとはなしに愛嬌があったな。
あれに近い感じですかね。)
やっぱり、現代人としては最初のうちは民衆を見下す彼を
「げー ヤなやつだなあ」と思ってしまうのですが、
観て行くうちに、
・ マザコン(母親が「民衆なんて」という考え方の持ち主だった)でその教育が利きすぎて
・ ウラオモテのない単純な性格だから、それを言動に出ちゃっているけども
・ 軍人仲間には優しいし、むしろ謙虚
↓
「ああ、要は君は専門バカなのね」と思い至ってからは
もー かわいくてかわいくて(笑)。
特に中盤、自分をこんなふうに育てた母親に
「腹の中でどー思っててもいいけど、民衆に迎合するために、
見せ掛けだけでもいいから謝罪をしなさい」と延々さとされ
「えー 僕をこんなふーに育てたのはママじゃーん!!」(←とは言ってませんよ;)
と愕然としながらも丸め込まれ、
なのに実際に民衆の前に出てみたら我慢ができずに
「こーの 愚かな民衆どもめー!!!」
とキレてしまったときには、大笑いしてしまいました。
(最前列で。しかもひとりで。恥ずかしかった……。)
とかいって、この場面が元凶となって、
どんどん悲劇への道へひた走っていってしまう、コリオレイナス。
でも、この愛すべき不器用キャラだからこそ、後半の痛ましさが際立っていたのでは。
いやー。唐沢寿明、適役だった。
あ、唐沢さん以外にも、
母親役の白石加代子さんも、ドロドロしてて、軽やかな唐沢さんとの対比がすごい良かった。
まさに「呪縛」といった感じ。
敵役の勝村政信さんも(年齢を感じさせない殺陣もさることながら)
高潔な態度を取りながら、どんな手を使ってもコリオレイナスを追い落とそうとするところ、
それでいて、本心のところで、軍人同士分かり合えているところ、
愛憎半ばする演技に、凄みさえ感じました。
物語の中で、一箇所、いきなり心象を吐露する演技があるのですが、そのときの表情……こわかったっす。
■超余談■
休憩中、トイレの列に並んでいたら、後ろの女性2人が芸能事務所関連のかただったらしく
会話が聞こえてきたのですが
「うちの○○(最近TVで活躍中の若手俳優)が、
次回の『恋の骨折り損』のオーディション受けたんですけど、
『じゃあ、オーディション用の台本を送りますね』って
届いた台本がもう単行本くらい厚いんですよ!」
……オーディションからそんなかい、シェイクスピア。つーか蜷川。
○○くんの名前は『骨折り損』のキャストの中にはないのだ。
でも次もあるぞ、頑張れ、○○くん。
「コリオレイナス」を観に行きました。シェイクスピアものです。
すごいよ。終演22:30過ぎ。
入場時に、お芝居のチラシと一緒に最寄駅・JR与野本町駅の
終電までの上下線時刻表が配布されました(入口にも貼ってあった)。
私の後ろの席の人、
「カーテンコールが長引いたら、家まで着けないかも……」
とか悲痛な呟きが聴こえてきたのですが、無事帰れたのだろーか?;
さて。
唐沢さんの舞台は何度か観たことがあるのだけど、蜷川演出では初めて。
実は私はそんなに好きな役者さんというわけでもなくて;
(滑舌の良さ、姿勢の良さが、逆になんとなく
「役者らしい役者を演じている役者」に見えてしまう……)
蜷川氏が高く買っている理由って、いまいちピンとこなかったんですが。
にゃるほどね!
と、最前列(別名:吉田鋼太郎のツバかぶり席…)で
ポン!とひざを打った次第です。
なんつーか、他の人々(特に民衆)が、地に根を張ったような
重心が下向きの↓どっしりした演技をする中、
彼だけが常に上へ上へ↑向かおーとしているように見えるのです。
殺陣なんかも、体重なんかないように、軽々。
よどみなく流れるよーな台詞回し(本当に、耳に心地よくて、音楽を聴いているようだった)も手伝って、
なんとなく、彼だけがふわふわと浮き上がって見えるのです。
(「浮いている」にはあらず)
それが、“英雄でありながら孤立していく将軍”像に、ぴったり。
(幕間にちょろっとお話しした隣の席の方が、唐沢さんのファンの方で
「ミュージカルの人だから~(蜷川作品にあうか心配)」とおっしゃってたのですが
逆に「ああなるほどそれでね!」と納得する蜷川ファン。)
タイトルにもなっている、主人公のコリオレイナスっつー男は、
ぶっちゃけヤな奴で(笑)。
戦功バリバリの国民的英雄のくせして
「民衆なんか無能の役立たずだ」的なことを言ってはばからないために
自らの立場を危うくして、悲劇に向かっていくわけなのですが。
唐沢さんがやると、非っ常~~にかわいゲのある男になるのですよ!
(思えば『白い巨塔』の財前教授も、なんとはなしに愛嬌があったな。
あれに近い感じですかね。)
やっぱり、現代人としては最初のうちは民衆を見下す彼を
「げー ヤなやつだなあ」と思ってしまうのですが、
観て行くうちに、
・ マザコン(母親が「民衆なんて」という考え方の持ち主だった)でその教育が利きすぎて
・ ウラオモテのない単純な性格だから、それを言動に出ちゃっているけども
・ 軍人仲間には優しいし、むしろ謙虚
↓
「ああ、要は君は専門バカなのね」と思い至ってからは
もー かわいくてかわいくて(笑)。
特に中盤、自分をこんなふうに育てた母親に
「腹の中でどー思っててもいいけど、民衆に迎合するために、
見せ掛けだけでもいいから謝罪をしなさい」と延々さとされ
「えー 僕をこんなふーに育てたのはママじゃーん!!」(←とは言ってませんよ;)
と愕然としながらも丸め込まれ、
なのに実際に民衆の前に出てみたら我慢ができずに
「こーの 愚かな民衆どもめー!!!」
とキレてしまったときには、大笑いしてしまいました。
(最前列で。しかもひとりで。恥ずかしかった……。)
とかいって、この場面が元凶となって、
どんどん悲劇への道へひた走っていってしまう、コリオレイナス。
でも、この愛すべき不器用キャラだからこそ、後半の痛ましさが際立っていたのでは。
いやー。唐沢寿明、適役だった。
あ、唐沢さん以外にも、
母親役の白石加代子さんも、ドロドロしてて、軽やかな唐沢さんとの対比がすごい良かった。
まさに「呪縛」といった感じ。
敵役の勝村政信さんも(年齢を感じさせない殺陣もさることながら)
高潔な態度を取りながら、どんな手を使ってもコリオレイナスを追い落とそうとするところ、
それでいて、本心のところで、軍人同士分かり合えているところ、
愛憎半ばする演技に、凄みさえ感じました。
物語の中で、一箇所、いきなり心象を吐露する演技があるのですが、そのときの表情……こわかったっす。
■超余談■
休憩中、トイレの列に並んでいたら、後ろの女性2人が芸能事務所関連のかただったらしく
会話が聞こえてきたのですが
「うちの○○(最近TVで活躍中の若手俳優)が、
次回の『恋の骨折り損』のオーディション受けたんですけど、
『じゃあ、オーディション用の台本を送りますね』って
届いた台本がもう単行本くらい厚いんですよ!」
……オーディションからそんなかい、シェイクスピア。つーか蜷川。
○○くんの名前は『骨折り損』のキャストの中にはないのだ。
でも次もあるぞ、頑張れ、○○くん。
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