北海道の大自然の中で(ブログ版)

北海道岩見沢から発信している渓流釣り大好きおじさんです。脱サラ後はクレスとの生活、クレスガーデンのようすを綴っています。

クレスのひとり言~15

2013年12月26日 | 家族
今朝、顔を洗うお父さんの後について行ってユーティリティーの前の廊下でぼくは寝てしまった。
しばらくしてふと目を覚ますとヨーヨー・マが奏でるエンニオ・モリコーネの映画音楽が流れていた。
とっても美しいメロディーを雪がうっすら積もった庭を眺めながら聞くのは最高。(これはぼくには聞こえないからお父さんの妄想)


その時、夕べ久しぶりに家に泊まったお姉ちゃんが起きてきて、遅い朝ご飯を食べる前にぼくを撫でに来た。
ぼくは朝からお姉ちゃんが居るのでびっくりしたけど、おやつをいつものようにくれたからちょっと満足して、ついついよだれを垂らしてしまったので、みんなから笑われちゃった。
恥ずかしい話だけどみんなの笑顔を見るのは大好き。

ご飯を食べたお姉ちゃんは、旦那さんが一泊の社員旅行から帰ってきたとの電話を受けていそいそと帰っていった。
またね。ぼくもがんばって暮らすけど、お姉ちゃんもがんばってね。ちょくちょく遊びに来てよ。これは素直にいえないお父さんの代弁。

お姉ちゃんの車が家を離れる音が遠ざかると、さっきまで晴れていた空がどんよりと急に曇り、わさわさと大粒の雪が降ってきた。
冬には除雪の仕事もしているお姉ちゃんの旦那さんが旅先から帰ってきたから、空は我慢していた雪を心おきなく降らすのかもしれない。


12月中旬のこの雪は、根雪になる予感がする。いよいよ本格的な冬を迎えようとしている。


雪を漕ぎながら歩くのは大好きだったけど、今年はちょっと無理みたい。
お父さんに道をつけてもらわないと転んでしまう。そんな自分が情けないクレス。


でも痛い足を引きずりながらでもオシッコやウンチをするため庭に出て行くクレスは本当に偉い。お前は偉い奴だ。と言うのがお父さんの最近の口癖。

ただ、ご飯を食べる時も足が痛いから、最近ご飯が中途半端になってしまうことがよくある。
時々お父さんに後ろ足を支えてもらって食べるんだけど、前なら食べてる時に足を触られるなんて考えられなかったけど、気にならなくなった自分がそこにあることがとっても不思議な感じがする。
まあいいや。と思えるようになったんだ。




クレスのひとり言~14

2013年12月19日 | 家族
ぼくが家族のみんなにあげた物を考えてみた。
一番に色々あげたのはお父さんかな。お父さんが30年勤めた市役所を辞めさせたんだから、お父さんの人生に大きく影響したことに間違いはない。
それなりの地位とそれなりの収入をすべて捨てさせた功績は大きいと思う。
それまではそのそれなりのものに固執して、なんとなく我慢して、なんとなくがんばって、それなりに責任を果たしてきたようだけど、それじゃ税金の無駄遣い。
お父さんが一番嫌うことを自分自らしていたような気がする。

と思わせてあげたんだから。

ぼくと散歩でもして、ぼくと仲良くなって足元を見つめて、ゆっくり暮らしたら。とぼくの目が言っていたとお父さんは言うけど、ぼくはそんなことを目で訴えたことはない。
ただ、この人なら、この家族ならいっしょに暮らせるかも、ご飯をくれるかも、痛いことはされないかも、と思っただけ。


二番目にあげたのは、やっぱりお母さんかな。一番多くもらってもいるけど。一番に甘えてあげているんだ。そして一番愛情をもらっている。
ただ、その分ぼくが居なくなった時お母さんがどうなるか、とっても心配だ。お父さんと仲良くやっていってよ。


3番目はお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは昔飼っていたチロとロッキーって言う雑種犬の親子が大好きだったけど、散歩や遊んであげられなかったという気持ちがあるらしく、ぼくをその分可愛がってくれる。わがままをたくさんして、困らせたり、家に来る度におやつをせがんだりしてあげてるんだ。


そして、お互いあげてるようなあげてないような関係がお婆ちゃんとの間だ。意識しているのに中々態度にあらわせない。
一番年齢は近いのに。でもそんな関係ってあるよね。どんな場合でも。




クレスのひとり言~13

2013年12月12日 | 家族
ぼくはどこにでもいる。家族のみんなの身近なところにいつもいる。

お父さんの上着の腕や胸、ズボンのあちこちやカーペットにはぼくの毛がいる。黒っぽい靴下だとよく目立つ。

ベランダのガラスにはぼくの鼻紋?があるし、
お姉ちゃんが作ったステッカーも車の後ろや冷蔵庫に貼ってある。


フローリングやウッドデッキにはぼくの爪後がいっぱいあるし、家の中のぼくがよく寝そべっている所の白い壁は汚れて黒くなっている。

それとお婆ちゃんの太ももやお姉ちゃんのスネ、お父さんの太ももと手の小指、お母さんの内ももにもぼくの形跡が今は薄くなったと思うけど残っているでしょ。

ただぼくは犬としては匂いがきつい方ではないから、ぼくの部屋以外はあまり匂いはしないはず。

それと、きっと一番にぼくがいるのは、お母さんとお父さん、お姉ちゃんの心の中だろうね。
ペットロスなんていう言葉があるみたいだけど、ぼくがいなくなったらと思うととっても心配だ。

でもお父さんは、いつもこう言う。
クレスが死んだら、クレスはお父さんの息子だから、かわいそうだけど天国にすぐには行けない。
三途の河原で石積みをしてお父さんが来るのを待たなけりゃならないんだぞ。って。


心配ないよ。ぼく川で遊ぶの大好きだから、水鳥や渡り鳥を追いかけたり、泳いだりして待ってるから。

ただ、お父さんが来る時は竿を忘れないようにね。



クレスのひとり言~私から 3

2013年12月05日 | 家族
今朝は感動して鳥肌が立ち、涙が突然出ようとしたものだから眼の奥が一瞬激しく痛くなった。

クレスが許してくれた。
クレスが許してくれたんだ。
と私は咄嗟に思った。

朝の散歩に行こうといつものようにチョーカーを横になっているクレスの顔の前に差し出した。
するといつものように頭を下げて首にチョーカーを付けさせると、私の腕にスリスリをしてハグしてよと言いたげな態度をぼくに見せてくれた。

立っているクレスの横に立ち首や耳をなでると顔を私の太ももにスリスリするのは1年前からしてくれるようになったが、正面に正対した私の腕や胸に顔をスリスリするなど、クレスが我が家にやって来てから初めてのことであり、クレスが生きている間にはあり得ないとことだと思っていた。

思わず「ありがとうな。許してくれるんだ。」と声を出してしまった。

そんなことを言えば、横になっているクレスの首や耳をなでることも1か月前ぐらいからできるようになったし、寝ていないクレスの足を触ることもできるようになった。

立って歩き始める時には後ろ足に力が入らないため、手でお腹や腰のあたりを支えて立たせてやることもできる。何という進歩。抱きかかえるようにしてソファーに座ることも短い時間だがちょくちょくしている。

2年ほど前から、クレスを介護する時に、私たちに触らせないその当時の状況では、何かする度に噛まれていてはどうもこもないと思っていたが、今のようなことになるとは思いもしなかった。

ただ、心のどこかですべてを許してくれる日が来ると祈っていたのは私だけではない。
特に一番親しいはずの妻でさえ未だに恐怖心を抱えながら接している。

人間だって恐ろしい体験が理性を超えて記憶され、心の傷となりいつまでも残ってしまう。一種のPTSDなのだろう。

そう考えたら、クレスの深い心の傷は私たちの愛情という漢方薬が時間をかけて効果をあらわし、ごく普通に甘えてくれる犬へと変貌させてくれたのかもしれない。


ただ悲しいのは愛おしいこの時間があまりにも短いという現実だ。

あとどれくらいの日々が私たちには与えられているのだろうか。
考えないようにしているがついつい考えてしまう。