北海道の大自然の中で(ブログ版)

北海道岩見沢から発信している渓流釣り大好きおじさんです。脱サラ後はクレスとの生活、クレスガーデンのようすを綴っています。

高校時代の友人達との再会

2006年02月19日 | 釣行ほか
高校時代の友人が12名ひょんなことから集まりました。おじさんばっかりで。中には30年ぶりに会うやつもいて、旧交を温めるというやつですな。一人二人と集まってくると、まず、自己紹介。「わかる?」「えーと・・・・」「3年A組の・・・です。」「わからない・・・・。」、「なんとなくわかる。」・・・・・・。といった感じで、最初はぎこちない雰囲気だったけど、生徒会長の乾杯で始まり、酒が進むうちに、「何とかちゃんの俺はファンクラブ会長だった。」とか、有名人になった同期の話になったり、歯医者をしている友人が酔っ払って、「3年間は無料で診療するから俺のところに来い。」とか、二次会になるとマイクを持ったら離さないやつやら、女の子を捕まえてはチークばかりのやつ、口が回らないのに一生懸命昔話を続けるやつ、宗教家、医者、歯科医、獣医師、薬剤師から営業部長、損保の副支店長、管理職の公務員、分析会社の技術課長まあまあ仕事も様々、性格も、生活環境も、おそらく収入も色々。そんな酔っ払いおじさん集団が妙なパワーで二次会、三次会と飲み歩いた。終電までの時間を惜しむように、さび付いて、エンジンの掛りが悪い中古車のおじさんパワーが全開したのもつかの間、「じゃー、元気で、一年に一回ぐらいはまたやろうや。」を合言葉に、笑顔と疲れた背中を見せて分かれていった。私も家へ帰ると疲れがどっと出て、即熟睡してしまった。楽しい時間ではあったけれど、50歳を目の前にした年代のためか、久しぶりに高校時代の友人と青春時代の思い出にしたったせいか、翌日の今日は少しむなしさが心を駆け巡った。そして今日は結婚記念日。23回目。それもまたこれまでの歴史を刻んだ一つの証拠。そして、あと一週間で息子も東京へ旅立ち。息子の歴史も刻一刻と刻まれている。輪廻転生?繰り返し、私たち夫婦も子供たちの成長とともにというよりも平行移動して、年老いていくのだろう。けれど、もう一花?もう一あだ花咲かせてみようと誓う自分であった。とりあえず、今週の仕事と東京行きがんばろう。

家族そろって 1

2006年02月08日 | 家族
3日遅れの娘の二十歳の誕生会。焼肉店での外食と家でのバースデイケーキ。その間に銀玉遊び(銀コイン遊び)??娘のバイトの都合で3日遅れの誕生会を家族でしようと焼肉で5人で2万円ほどやっつけてから、帰宅途中、母(ばあちゃん)の一言。「パチンコでもして帰ろうか、時間がまだ早いから。」いったいどんな家族やねん。と息子。この母にしてこの子(私)あり、このババにしてこの孫ありで、主役の娘は超乗り気。私は少しアルコールが入っていたので、半々。息子は乗りで行こうか。かみさんは、私は帰るから後で迎えに行ってあげる。そして、その結末が我が家らしい。結果だけを言うと、私はちょっと勝ち、母(ばあちゃん)は少しマイナス。息子、娘はちょっと勝ち。普通なら、ちょっと負けてあたり前のところを、みんな勝負強い。これが血統と言うものか。秋篠宮妃がご懐妊、男系の維持、女性・女系天皇の容認なんて言っているご時世に、我が家には脈々とギャンブラーの血が受け継がれている。そんなことを考えながら、娘の二十歳の祝いのハッピーバースデイを歌う我が家。家族5人が久しぶりに揃った幸せ。小さな幸せだが、かけがえのない幸せだ。もう何回もないのだろうか。きっと片手で余るに違いない。息子がこの町を離れるまでに。

映画三昧  つづき

2006年02月05日 | 釣行ほか
前述の訳だが、スーパーマンではない、50歳を前にした中年で体力に自信はないが、高倉健が旅した千里?なら何とやれるが、ジュディーのような迫力でトイレから貨物室へ腕力で登れることが出来れば後はそれ以上にやれる。なぜかと言うと、私のように普段平凡なサラリーマンをやっていると、非日常の大事件に遭遇することを期待している時もある。大地震や事件、ひょっとしたら国家崩壊の危機、戦争?戦争に期待するほど馬鹿ではないが、人間社会は戦争と言う理性を超越した非道をなぜ繰り返すのだろう。社会の矛盾や蓄積された社会不満、経済の蓄積疲労を解消する必然的な行動?、それとも人間が人間を破壊する人間の性?
冗談じゃない。理性を失わせる敵への憎悪は、人としての憎しみや恨みというよりも責任転嫁から発したち密に計算された手法を使う先導者により仕組まれた罠、集団心理を逆手に取る悪魔のなせる技であろう。そして個人的には非日常に対応するため、火事場の馬鹿力を出すときの本能的なアドレナリンの異常生成が、身を守る、家族を守る、愛する人を守るという理由のもとに正当化され、それに自己満足してしまう。それがひょっとすると精神的に楽なのかもしれないと思うからである。
だから、誰かのために自分を犠牲にすると言うことは、すばらしいことかもしれないが、生きていく上では楽な道かもしれない。しかし、このような機会はある日突然やってくる。その心の準備が普段から出来ているかと言うとそれは、あまりにも個人差があり、その場合勇気があるとか、勇敢だとか朝刊だとか?いう評価を受けるだけであって、私のように身近にそんな非日常を意識しているやからは少ないだろう。
特に自然の脅威や人間の無力をあまり感じる環境にない都会の人間は、テレビゲームや人間が作った映像や物語のようなバーチャルな世界の出来事ぐらいにしか思わないのだろう。ところが近年、地球温暖化による異常気象による?ハリケーンや大雨、異常寒波が都会に猛威を振るい、大地震が世界各地を襲っているが、実はこれは世界的な戦争を起こさせまいと地球の神が人類に与えている愛の結晶かもしれない。”風の谷のナウシカ”のオーム(フカイ)のように、人間の悪の所業を圧倒的な力で押さえ込み自らを犠牲にして、環境を浄化している。私にはオームが自然災害であり、大地震に見える。と考えるのは私の妄想だろうか。こんならちもないことを書き並べてもしょうがない。目の前の危機を社会人として乗り越えるべく明日からの1週間の公私の仕事に挑んでいこう。


映画三昧

2006年02月05日 | 釣行ほか
映画館へ行って映画を観ることは結構おっくうなもので、自分の住む町に映画館がない場合は特に。といっても車で30分の隣町に今流行りの映画館があるので、それ程のことでもない。この前、”博士の愛した数式”を母と妻とで見に行き久しぶりに映画にはまると、今まで眠っていた映画好きの性分がモッコリ?と起き上がり、今度は息子と妻と観てきた。それも、ダブルヘッターで。夕方の時間帯で”単騎千里を走る”を観て、そのまま帰るつもりが、レイトで”フライトプラン”がちょうどいい時間に始まることから、20分後にはもう一本という破目になってしまった。それは私が単騎・・・・を観る前に、来週は、フライトプランを観に来ようと言ったのが運の尽き、いや運の始まりであった。それなら今日でもいいんじゃない。ということで観ることに。
ご承知のとおり(私はそんな予備知識はなかったが)、単騎・・・・は父親の物語であり、フライト・・・は母親の話である。どちらもこどもに対する親の愛情を描いたものに他ならない。単騎・・は父の息子に対する、フライト・・は母の娘に対するもので、ストーリーは書かない方が良いだろう。そして今回息子といっしょに観たことで、また息子が後1ヶ月足らずで私たちの元から巣立つというシュチエーションから、特別心に響くものがあった。ストーリーはそれほど感動的なものでもなく、流れとしてもドラマティックなものでもない。特に日本語と中国語(広東語?)の言葉の壁と儒教の精神?なのか義理人情に厚い両国民の類似性が対比されているような、ドキュメンタリー映画を観ているような淡々とした映画であった。それでも高倉健という後姿で演技する俳優が、真正面を見せてまでとは言わないが、斜め前を向いての演技に目を見張るものがあった。最後まで姿を見せない息子の声が・・・・であったことは、最後のキャスティングの字幕で分かった不注意な私であった。フライト・・は宣伝ほどの迫力のあるサスペンス?というものではなかった。もう一工夫ほしいところで、引っ掛けも最後まで騙されるところまでいっていない。映画の批評や評価は専門家や興行収入に任せるとして、映画の普遍のテーマである”愛”の中でも家族愛、親子愛を4時間以上に渡り見せられると、どんな馬鹿なおやじでも自分の家族のことを考えてしまう。現実には映画のような非日常的なハプニングや事件性のある出来事にそうは遭遇するものではない。でももしも、ひょっとしてあんな事件や事象に向き合うことがあるとしたら、自分はどうするだろう。あそこまで子供のために自分に厳しく自分を犠牲に出来るだろうか?私はそれ以上に冷静に対処できると確信をもっている。長くなったので、その訳などつづきは次に。