ここは武じいの生地だ 昭和(初期の)恐慌で親父の酒店が倒産、
リャカーしか入れない私道の奥に借地の店でオフクロさんが頑張っていた、
戦時疎開で表道が広くなり<焼夷弾の延焼防止のため>
路地と道の間が6mほどになったら戦後、地主が借地と6mの空地を買わねば
空地を売ると言い出した、買わねば出入りができなくなる・・・
信用金庫に借金にいった、ときに25歳・・「あんた嫁さんがいなね、貸しようがない」
それでも100万円何とか借れた金利も高い月2,3%だった。
別に強制積み金もある、たちまち行き詰まったが
朝鮮戦争が始まって売り上げが伸び何とか生き延びた。
それから色々苦労があったが。
今は僕の不動産は無い、遺産として不動産はよくないと思う・・・
今でもよく夢を見る <大借金をして困った>夢を・・・
目が覚めて胸をなでおろす
でたらめ人生の割りに今まで幸運だった、罰が当たらず
このまま終末を迎えればと願うばかりだ