第10章
それはどこかの国のどこかの町だった.私は何一つ見分けることができなかった.雪が一面を被い尽くしており,どこもかしこもただ真っ白なだけだった.建物は名のないただの絶壁に変わっていた.
混乱した騒動や叫び声や木々が折れたりガラスの割れる音が,通りの一方から聞こえてきた.そこでは略奪が行われていたのだった.群集が店の中になだれ込んでいた.リーダーもいなくて,確たる目的もなかった.彼らはまさしく暴徒と化し,興奮と獲物を求めて集まり,恐怖に襲われ,腹をすかし,ヒステリックで,暴力的になっていた.彼らは仲間同士で争い,武器になるようなものを拾い上げ,互いに戦利品を取りあった.手当たり次第なんでも,役に立ちそうでないものでさえも,略奪した.そして,いらなければ,捨てて,他の略奪物を求めて,走り去った.彼らは,持ち去ることが出来ないものは破壊した.彼らは意味もなく破壊する破壊することに楽しみを覚える変質者になっていて,切れ切れに引き裂き,粉々につぶし,押しでつぶしたりしていた.
上級将校が通りに現れて,警笛を鳴らして警察を呼んだ.略奪者の方に近づいていって,大声を出し,厳しい軍隊口調で,命令し,警笛を強く繰り返し鳴らした.上質のオーバーコートのアストラカン織りの襟で囲まれた彼の顔は,怒りで陰鬱な表情をしていた.彼を見るや,多くの群衆は逃げ出した.しかし,他の群集よりずうずうしい輩はなおも残骸を漁り続けていた.怒りを顕にして,彼は大またで彼らに近づいて,鞭で脅し,退散するように言い,睨みつけた.最初,彼らは無視していたが,やがて輪を作り,数グループが同時に,あちこちから彼の方へ近寄ってきた.彼は連発銃を引き抜いて,彼らの頭上を目指して撃った.間違いだった.彼は暴徒を狙って撃つべきだった.彼らは彼を取り囲んで群がり,武器を奪い取ろうとした.警官はまだ来ていなかった.取っ組み合いが始まり,そのうちに,偶然か故意かは分からないが,銃が排水溝の中に落ちてしまった.所有者は50代後半の,長身の,精力旺盛な男だった.しかし,彼は息を切らしていた.暴徒は若くてタフで,邪悪な表情をしていた.彼らは巧妙に攻撃した.手には,金属製の棒やガラスの破片や,壊れた家具など,手に入るものは何でも持っていた.彼はそれらを鞭で振り払いながら,壁を背にして防戦した.彼らは大勢で執拗に攻撃をしかけていたので,彼は次第に疲れ果てていき,動作は緩慢になった.石が一つ投げられと,石が雨のように投げられた.それらの一つが彼の帽子を吹っ飛ばした.彼の禿げ上がった頭を見て,暴徒は下品な罵り声を上げた.一瞬,彼の顔に不安げな表情が浮かんだ.彼らは立場が優位になったのを見てとり,さらに近づき,狼の群れのように,彼の上にのしかかった.彼の顔からは血が滴り落ち,壁についた.彼はまだどうにかこうにか彼らを追い払おうとしていた.そのとき,光るものが見えた.ナイフだった.服が裂け,さらにナイフが突き立てられた.彼は胸を押さえて,前の方によろめいて,ふらふらとに歩いた.背後の壁がなくなったので,暴徒はあらゆる方面から彼に襲いかかった.暴徒は彼を打ち倒し,彼の上で飛び跳ね,コートを引き裂き,頭を凍りついた地面に打ちつけ,体を踏みつけ,体を蹴り,鎖で顔を殴った.とうとう,彼は雪の中で動かなくなった.彼にはもはや絶対的に望みがなくなった.殺人が行われたのだった.
それは私には無関係だったが,そう思うことはできなかったし,何かしないではいられなかった.彼らは社会の底に沈殿したおりだった.彼らは平常の時なら,将校に触れることはおろか,近寄ることすら出来なかっただろう.小男があざけりの声をあげて,男のオーバーコートを着て,ダンスを踊り,引きずっているコートの縁を踏んでよろめいた.私は嫌悪感に一杯になり,憤怒がこみ上げてきた.抑え切れない怒りで,彼に突進し,コートを剥ぎ取り,彼の腕を捻り上げ,一撃を食わし,殴り,歩道に投げ飛ばした.顔が壁にぶつかり,悲鳴を聞くのと同時に,頭の砕ける音がして,私は満足感を覚えた.振り向くと,男が体を捻って私の脚を払おうとしているのが見えた.鋭い痛みが脚に走り,よろめいた.私は直ぐに体勢を立て直すと,彼が弧を描いて私へ向けて腕を降りぬくのが見えた.私は訓練通りに,反応した.仰向けに倒れて,片足で彼の足首をロックすると,ナイフが落ちるのが見え,動けない膝の皿をもう一方の足で,砕けるまで蹴りつけた.そのとき,一団が私の上に群がろうとしていた.ナイフを持った集団に襲われては,将校が助からなかった以上に,助かるチャンスはなかった.しかし,私はやられる前に,相手にダメージを与えようと思っていた.突然,拳銃が鳴り,叫び声が上がり,走ってくる足音が聞こえた.警官がやっと到着したのだった.私は警察が略奪者を,他の通りに通じるコーナーへ追いつめるのを見た.それから,地面に倒れている男を引きずっていった.
彼は仰向けになっていた.いたるところに傷があり,血が流れていた.彼はまだ,人生の最盛期をそれほど多く過ぎたわけではなかった.印象的な顔をしており,背が高く,活力があり,堂々たる風情の男で,魅力のある身体をしていた.しかし,もはや,鼻はぺちゃんこになり,口の端は切れており,目玉は眼窩から半ばとび出していて,顔全体と頭は血で黒ずみ,汚かった.原型は失われ,歪んでいた.血跡がいたるところについていた.右手はほとんど千切れていた.彼は動かなかった.息をしているようには見えなかった.私は跪き,上着を開いて,シャツを引き上げ,胸に手を置いた.動悸を感じることは出来なかった.手は血でねばねばした.ハンカチで拭い,コートを探しに行って,それを彼の上にひろげて,彼を被い,傷だらけで醜くなっている体を隠した.彼から威厳が失われるのを欲しなかった.私は彼と面識はなかった.しかし,彼は私と同類の人間だった.私たちはあのような暴徒の輩ではなかった.彼らが彼を殺したのは,暴行だった.彼らは,彼の意志の強さと力に敬意を表して,彼の前に跪くべきだった.もはや若くもなく,不利な立場にいるにも拘らず一人で戦っている彼を捕らえたとき,彼らはそうするべきだったのだ.彼らにもっと罰を加えなかったことを後悔した.
私は拳銃を思い出し,排水溝の上に屈みこんだ.指を入れるだけの隙間があったので,私はそれを引っ張り上げ,ポケットに閉まって,その場を去った.私は足を引きずっていて,足は痛かった.突然誰かが大声を上げた.銃声が聞こえ,銃弾が通過していった.私は止まって,警官が追いつくのを待った.
「お前は誰だ?ここで何をしている?なぜ体に触ったのだ?それは禁じられている」
私が答える前に,きしる音がして,一階の窓が無理やり開けられた.積もった雪を振り払いながら,私の傍で婦人が頭を突き出した.
「この男は勇敢な人よ.彼は表彰するに値するわ.私はここで起こったことを見ていたの.彼は暴徒の中に突っ込んでいって,一人で取っ組みあいしたの.暴徒はナイフを持っていたけど,彼は素手だったのよ.私は窓からすべてを見ていたんだから」
警官は彼女の名前と住所をノートに記した.
彼らの態度は親しげになった.しかし,彼らは私を警察署に連れて行き,記録を取らなければならないと主張した.彼らの一人が私の腕を捕らえた.
「そこは次の通りにあります.一言助言してくだされば,済むと思います」
私は行かなければならなかった.不運だった.私は私自身のことや私の行動や動機について説明したくなかった.その上,拳銃を持っているのを,気づかれたら,具合の悪いことなりかねなかった.彼らは拳銃の形に気づくに違いなかった.私はコートを脱ぐ時,膨らみが現れないように注意した.彼らは応急手当をしてくれて,脚に絆創膏を貼ってくれた.手を洗い,ラム酒の入った濃いコーヒーを飲んだ.主任が一人で私を尋問した.彼が私のパスポートを一瞥したが,何か別のことに心を奪われている様子だった.前進してくる氷について彼が何か情報を持ってるかどうか尋ねたかったが,出来なかった.私たちは煙草を交換して,食べ物について話し合った.配給品が不足していて,個人の地域への貢献度に従って,物資は配給されるとのことだった.
「働かざるもの,食うべからずですよ」
話している間,彼の顔には緊張が現れていた.危機は想像以上に緊迫しているに違いなかった.質問の内容に気をつけながら,避難者について尋ねた.氷の地域からの脱走者が飢えた略奪者になっているのが,破壊されていない全ての国々の共通の問題だった.
「彼らに働く気があるなら,われわれは彼らの滞在を認めるのだが.われわれは人手不足で,働く人を必要としている」
私は言った.
「彼らは自分で障害を作り出しているのではないですか.あなた達はどのようにして彼らを住まわせるのですか」
「男性のためにはキャンプを設営します.女性には簡易宿泊所を提供します」
私はこの点まで話を進めると,専門家が関心を抱いている振りをして,尋ねた.
「それらの地域の一つを調査したいのだけれど,許可されると思いますか」
「どうして許可されないんですか」
彼は微笑んだが,その笑顔は疲れていた.彼が問題意識をもっているためのそう言ったのか,ただ無関心なためにそう言ったのか,分からなかった.別れる前に,彼は住所を教えてくれた.事態は想像以上に良い方に向かっていた.欲しい情報を手に入れたし,連発式銃も手に入れた.
私は彼女を探すために歩いた.雪はまた降り始めていて,風は以前より冷たく強くなっていた.通りは荒れ果てていて,人影はなかった.私は一軒の家を見つけたが,人の住んでいる気配はなかった.多分遅すぎたのだった.なぜか分からないが,衝動が働かなくて,私はあまりのも長く待ちすぎたのだった.家の前を通り過ぎるとき時,通りに面したドアを開けてみたが,全てに鍵かけられていた.
ある家のドアが開いた.躊躇せずに中に入った.中には何もなく,傷んでいた.施設のような感じだった.部屋は寒かった.彼女は灰色のコートを着て座っており,脚はカーテンのようなもので包まれていた.私を見るや否や,それを脚から払いのけ,立ち上がった.
「あなたね! 彼があなたをよこしたのでしょう? メッセージを読まなかったの?」
「誰も私をよこしたりなんかしない.どんなメッセージです?」
「私を探さないで,というメッセージよ」
私はそれを受け取らなかったと言った.しかし,受け取っていたとしても,同じだっただろう.彼女の大きな不信の眼が私を凝視した.憤怒していたが,恐がってもいた.
「私は,あなた達のどちらとも一緒に行きたくなんかない」
私はそれを無視した.
「ここに一人で留まることはできない」
「なぜいけないの?私はうまくやっていける」
私は彼女が何をしているのかと尋ねた.
「仕事よ」
「彼らはあなたにいくら払ってくれます?」
「食べものをくれるわ」
「お金じゃなくて?」
「特に厳しい仕事の場合には,時々お金もくれるわ」
身構えながら,さらに続けた.
「厳しい仕事をするには,やせすぎているの.スタミナがない,と彼らは言うの」
わたしは彼女を観察していた.彼女は半ば飢えていた.しばらくの間,彼女は満足に食べていないようだった.彼女のほっそりした腕はいつも私を魅惑した.私は眼をそこから逸らすことはできなかった.それはかさばった袖口から棒のように伸びていた.彼女が従事している仕事の内容を聞く代わりに,これからどうするつもりなのかと尋ねた.彼女は怒って言った.
「なぜそれをあなたに言わなければならないの」
彼女に計画はないのは分かっていた.私は,私を友達として見て欲しいと切に願っている,と言った.
「なぜ? どうしてなの? 私は友達なんか欲しくない.私は一人でやっていけるわ」
私は彼女に,彼女をもっと生活しやすく,もっと気候の良いところに,連れ出すために,やって来たのだ,と言った.彼女が気弱になり始めているのを感じた.私は窓を被っている分厚い霜を手で拭った.雪はまだ全体の半ばの高さまでしか積もってはいなかった.
「あなたは寒くありませんか?」
彼女はもはや不安を隠さなかった.彼女は両手を捻り合わせた.私は付け加えた.
「その上,ここは危険です」
彼女の顔は苦しみの表情に変わった.彼女は次第に自制心を失っていった.
「どんな危険?」
彼女の瞳は大きく見開かれた.
「氷が...」
私はそれ以上言わなかったが,それで十分だった.彼女の身体全体が恐怖を表現していた.震え始めた.
彼女にさらに近づいて,彼女の手を取った.彼女は手を引っ込めた.
「そんなことしないで」
私は彼女のコートの折り目を持っていた.裏切られた子供のような,怒ってはいるが怖がってもいる彼女の表情を見つめた.長い間泣きじゃくり続けた子供のように,眼の辺りがかすかにあざになっていた.
「一人にしておいて」
彼女は私の手から重たいものを引き離そうと努力しているかのような動作をした.
「向うへ行って!」
私は動かなかった.
「それじゃあ,私が行くわ!」
彼女は私から自分自身を引き離して,ドアの方へ走って行き,全体重をかけてドアに体をぶつけた.ドアは勢いよく開き,彼女はバランスを失い,倒れた.輝く髪が床に広がった.どんよりして汚い,死んだような床の上で,水銀のようにきらめき,生きているかのように輝いて,髪は広がっていた.私は彼女を助け起こした.彼女はもがき,喘いだ.
「私を行かせて! あなたを憎むわ.憎むわ!」
彼女には全く力がなかった.もがいている子猫を掴んでいるかのようだった.私はドアを閉めて,鍵をかけた.
(第10章続く)
それはどこかの国のどこかの町だった.私は何一つ見分けることができなかった.雪が一面を被い尽くしており,どこもかしこもただ真っ白なだけだった.建物は名のないただの絶壁に変わっていた.
混乱した騒動や叫び声や木々が折れたりガラスの割れる音が,通りの一方から聞こえてきた.そこでは略奪が行われていたのだった.群集が店の中になだれ込んでいた.リーダーもいなくて,確たる目的もなかった.彼らはまさしく暴徒と化し,興奮と獲物を求めて集まり,恐怖に襲われ,腹をすかし,ヒステリックで,暴力的になっていた.彼らは仲間同士で争い,武器になるようなものを拾い上げ,互いに戦利品を取りあった.手当たり次第なんでも,役に立ちそうでないものでさえも,略奪した.そして,いらなければ,捨てて,他の略奪物を求めて,走り去った.彼らは,持ち去ることが出来ないものは破壊した.彼らは意味もなく破壊する破壊することに楽しみを覚える変質者になっていて,切れ切れに引き裂き,粉々につぶし,押しでつぶしたりしていた.
上級将校が通りに現れて,警笛を鳴らして警察を呼んだ.略奪者の方に近づいていって,大声を出し,厳しい軍隊口調で,命令し,警笛を強く繰り返し鳴らした.上質のオーバーコートのアストラカン織りの襟で囲まれた彼の顔は,怒りで陰鬱な表情をしていた.彼を見るや,多くの群衆は逃げ出した.しかし,他の群集よりずうずうしい輩はなおも残骸を漁り続けていた.怒りを顕にして,彼は大またで彼らに近づいて,鞭で脅し,退散するように言い,睨みつけた.最初,彼らは無視していたが,やがて輪を作り,数グループが同時に,あちこちから彼の方へ近寄ってきた.彼は連発銃を引き抜いて,彼らの頭上を目指して撃った.間違いだった.彼は暴徒を狙って撃つべきだった.彼らは彼を取り囲んで群がり,武器を奪い取ろうとした.警官はまだ来ていなかった.取っ組み合いが始まり,そのうちに,偶然か故意かは分からないが,銃が排水溝の中に落ちてしまった.所有者は50代後半の,長身の,精力旺盛な男だった.しかし,彼は息を切らしていた.暴徒は若くてタフで,邪悪な表情をしていた.彼らは巧妙に攻撃した.手には,金属製の棒やガラスの破片や,壊れた家具など,手に入るものは何でも持っていた.彼はそれらを鞭で振り払いながら,壁を背にして防戦した.彼らは大勢で執拗に攻撃をしかけていたので,彼は次第に疲れ果てていき,動作は緩慢になった.石が一つ投げられと,石が雨のように投げられた.それらの一つが彼の帽子を吹っ飛ばした.彼の禿げ上がった頭を見て,暴徒は下品な罵り声を上げた.一瞬,彼の顔に不安げな表情が浮かんだ.彼らは立場が優位になったのを見てとり,さらに近づき,狼の群れのように,彼の上にのしかかった.彼の顔からは血が滴り落ち,壁についた.彼はまだどうにかこうにか彼らを追い払おうとしていた.そのとき,光るものが見えた.ナイフだった.服が裂け,さらにナイフが突き立てられた.彼は胸を押さえて,前の方によろめいて,ふらふらとに歩いた.背後の壁がなくなったので,暴徒はあらゆる方面から彼に襲いかかった.暴徒は彼を打ち倒し,彼の上で飛び跳ね,コートを引き裂き,頭を凍りついた地面に打ちつけ,体を踏みつけ,体を蹴り,鎖で顔を殴った.とうとう,彼は雪の中で動かなくなった.彼にはもはや絶対的に望みがなくなった.殺人が行われたのだった.
それは私には無関係だったが,そう思うことはできなかったし,何かしないではいられなかった.彼らは社会の底に沈殿したおりだった.彼らは平常の時なら,将校に触れることはおろか,近寄ることすら出来なかっただろう.小男があざけりの声をあげて,男のオーバーコートを着て,ダンスを踊り,引きずっているコートの縁を踏んでよろめいた.私は嫌悪感に一杯になり,憤怒がこみ上げてきた.抑え切れない怒りで,彼に突進し,コートを剥ぎ取り,彼の腕を捻り上げ,一撃を食わし,殴り,歩道に投げ飛ばした.顔が壁にぶつかり,悲鳴を聞くのと同時に,頭の砕ける音がして,私は満足感を覚えた.振り向くと,男が体を捻って私の脚を払おうとしているのが見えた.鋭い痛みが脚に走り,よろめいた.私は直ぐに体勢を立て直すと,彼が弧を描いて私へ向けて腕を降りぬくのが見えた.私は訓練通りに,反応した.仰向けに倒れて,片足で彼の足首をロックすると,ナイフが落ちるのが見え,動けない膝の皿をもう一方の足で,砕けるまで蹴りつけた.そのとき,一団が私の上に群がろうとしていた.ナイフを持った集団に襲われては,将校が助からなかった以上に,助かるチャンスはなかった.しかし,私はやられる前に,相手にダメージを与えようと思っていた.突然,拳銃が鳴り,叫び声が上がり,走ってくる足音が聞こえた.警官がやっと到着したのだった.私は警察が略奪者を,他の通りに通じるコーナーへ追いつめるのを見た.それから,地面に倒れている男を引きずっていった.
彼は仰向けになっていた.いたるところに傷があり,血が流れていた.彼はまだ,人生の最盛期をそれほど多く過ぎたわけではなかった.印象的な顔をしており,背が高く,活力があり,堂々たる風情の男で,魅力のある身体をしていた.しかし,もはや,鼻はぺちゃんこになり,口の端は切れており,目玉は眼窩から半ばとび出していて,顔全体と頭は血で黒ずみ,汚かった.原型は失われ,歪んでいた.血跡がいたるところについていた.右手はほとんど千切れていた.彼は動かなかった.息をしているようには見えなかった.私は跪き,上着を開いて,シャツを引き上げ,胸に手を置いた.動悸を感じることは出来なかった.手は血でねばねばした.ハンカチで拭い,コートを探しに行って,それを彼の上にひろげて,彼を被い,傷だらけで醜くなっている体を隠した.彼から威厳が失われるのを欲しなかった.私は彼と面識はなかった.しかし,彼は私と同類の人間だった.私たちはあのような暴徒の輩ではなかった.彼らが彼を殺したのは,暴行だった.彼らは,彼の意志の強さと力に敬意を表して,彼の前に跪くべきだった.もはや若くもなく,不利な立場にいるにも拘らず一人で戦っている彼を捕らえたとき,彼らはそうするべきだったのだ.彼らにもっと罰を加えなかったことを後悔した.
私は拳銃を思い出し,排水溝の上に屈みこんだ.指を入れるだけの隙間があったので,私はそれを引っ張り上げ,ポケットに閉まって,その場を去った.私は足を引きずっていて,足は痛かった.突然誰かが大声を上げた.銃声が聞こえ,銃弾が通過していった.私は止まって,警官が追いつくのを待った.
「お前は誰だ?ここで何をしている?なぜ体に触ったのだ?それは禁じられている」
私が答える前に,きしる音がして,一階の窓が無理やり開けられた.積もった雪を振り払いながら,私の傍で婦人が頭を突き出した.
「この男は勇敢な人よ.彼は表彰するに値するわ.私はここで起こったことを見ていたの.彼は暴徒の中に突っ込んでいって,一人で取っ組みあいしたの.暴徒はナイフを持っていたけど,彼は素手だったのよ.私は窓からすべてを見ていたんだから」
警官は彼女の名前と住所をノートに記した.
彼らの態度は親しげになった.しかし,彼らは私を警察署に連れて行き,記録を取らなければならないと主張した.彼らの一人が私の腕を捕らえた.
「そこは次の通りにあります.一言助言してくだされば,済むと思います」
私は行かなければならなかった.不運だった.私は私自身のことや私の行動や動機について説明したくなかった.その上,拳銃を持っているのを,気づかれたら,具合の悪いことなりかねなかった.彼らは拳銃の形に気づくに違いなかった.私はコートを脱ぐ時,膨らみが現れないように注意した.彼らは応急手当をしてくれて,脚に絆創膏を貼ってくれた.手を洗い,ラム酒の入った濃いコーヒーを飲んだ.主任が一人で私を尋問した.彼が私のパスポートを一瞥したが,何か別のことに心を奪われている様子だった.前進してくる氷について彼が何か情報を持ってるかどうか尋ねたかったが,出来なかった.私たちは煙草を交換して,食べ物について話し合った.配給品が不足していて,個人の地域への貢献度に従って,物資は配給されるとのことだった.
「働かざるもの,食うべからずですよ」
話している間,彼の顔には緊張が現れていた.危機は想像以上に緊迫しているに違いなかった.質問の内容に気をつけながら,避難者について尋ねた.氷の地域からの脱走者が飢えた略奪者になっているのが,破壊されていない全ての国々の共通の問題だった.
「彼らに働く気があるなら,われわれは彼らの滞在を認めるのだが.われわれは人手不足で,働く人を必要としている」
私は言った.
「彼らは自分で障害を作り出しているのではないですか.あなた達はどのようにして彼らを住まわせるのですか」
「男性のためにはキャンプを設営します.女性には簡易宿泊所を提供します」
私はこの点まで話を進めると,専門家が関心を抱いている振りをして,尋ねた.
「それらの地域の一つを調査したいのだけれど,許可されると思いますか」
「どうして許可されないんですか」
彼は微笑んだが,その笑顔は疲れていた.彼が問題意識をもっているためのそう言ったのか,ただ無関心なためにそう言ったのか,分からなかった.別れる前に,彼は住所を教えてくれた.事態は想像以上に良い方に向かっていた.欲しい情報を手に入れたし,連発式銃も手に入れた.
私は彼女を探すために歩いた.雪はまた降り始めていて,風は以前より冷たく強くなっていた.通りは荒れ果てていて,人影はなかった.私は一軒の家を見つけたが,人の住んでいる気配はなかった.多分遅すぎたのだった.なぜか分からないが,衝動が働かなくて,私はあまりのも長く待ちすぎたのだった.家の前を通り過ぎるとき時,通りに面したドアを開けてみたが,全てに鍵かけられていた.
ある家のドアが開いた.躊躇せずに中に入った.中には何もなく,傷んでいた.施設のような感じだった.部屋は寒かった.彼女は灰色のコートを着て座っており,脚はカーテンのようなもので包まれていた.私を見るや否や,それを脚から払いのけ,立ち上がった.
「あなたね! 彼があなたをよこしたのでしょう? メッセージを読まなかったの?」
「誰も私をよこしたりなんかしない.どんなメッセージです?」
「私を探さないで,というメッセージよ」
私はそれを受け取らなかったと言った.しかし,受け取っていたとしても,同じだっただろう.彼女の大きな不信の眼が私を凝視した.憤怒していたが,恐がってもいた.
「私は,あなた達のどちらとも一緒に行きたくなんかない」
私はそれを無視した.
「ここに一人で留まることはできない」
「なぜいけないの?私はうまくやっていける」
私は彼女が何をしているのかと尋ねた.
「仕事よ」
「彼らはあなたにいくら払ってくれます?」
「食べものをくれるわ」
「お金じゃなくて?」
「特に厳しい仕事の場合には,時々お金もくれるわ」
身構えながら,さらに続けた.
「厳しい仕事をするには,やせすぎているの.スタミナがない,と彼らは言うの」
わたしは彼女を観察していた.彼女は半ば飢えていた.しばらくの間,彼女は満足に食べていないようだった.彼女のほっそりした腕はいつも私を魅惑した.私は眼をそこから逸らすことはできなかった.それはかさばった袖口から棒のように伸びていた.彼女が従事している仕事の内容を聞く代わりに,これからどうするつもりなのかと尋ねた.彼女は怒って言った.
「なぜそれをあなたに言わなければならないの」
彼女に計画はないのは分かっていた.私は,私を友達として見て欲しいと切に願っている,と言った.
「なぜ? どうしてなの? 私は友達なんか欲しくない.私は一人でやっていけるわ」
私は彼女に,彼女をもっと生活しやすく,もっと気候の良いところに,連れ出すために,やって来たのだ,と言った.彼女が気弱になり始めているのを感じた.私は窓を被っている分厚い霜を手で拭った.雪はまだ全体の半ばの高さまでしか積もってはいなかった.
「あなたは寒くありませんか?」
彼女はもはや不安を隠さなかった.彼女は両手を捻り合わせた.私は付け加えた.
「その上,ここは危険です」
彼女の顔は苦しみの表情に変わった.彼女は次第に自制心を失っていった.
「どんな危険?」
彼女の瞳は大きく見開かれた.
「氷が...」
私はそれ以上言わなかったが,それで十分だった.彼女の身体全体が恐怖を表現していた.震え始めた.
彼女にさらに近づいて,彼女の手を取った.彼女は手を引っ込めた.
「そんなことしないで」
私は彼女のコートの折り目を持っていた.裏切られた子供のような,怒ってはいるが怖がってもいる彼女の表情を見つめた.長い間泣きじゃくり続けた子供のように,眼の辺りがかすかにあざになっていた.
「一人にしておいて」
彼女は私の手から重たいものを引き離そうと努力しているかのような動作をした.
「向うへ行って!」
私は動かなかった.
「それじゃあ,私が行くわ!」
彼女は私から自分自身を引き離して,ドアの方へ走って行き,全体重をかけてドアに体をぶつけた.ドアは勢いよく開き,彼女はバランスを失い,倒れた.輝く髪が床に広がった.どんよりして汚い,死んだような床の上で,水銀のようにきらめき,生きているかのように輝いて,髪は広がっていた.私は彼女を助け起こした.彼女はもがき,喘いだ.
「私を行かせて! あなたを憎むわ.憎むわ!」
彼女には全く力がなかった.もがいている子猫を掴んでいるかのようだった.私はドアを閉めて,鍵をかけた.
(第10章続く)