フヨウ (万博公園・日本庭園)
ふかふかのベッドだね。
小さな種が飛び立つまで、ここでゆっくりするんだね。
今日は阪神淡路大震災から22年。
あの日も今日のようにいいお天気だった。
まだ携帯電話が普及してなくて公衆電話は長蛇の列。
みんな最低限の連絡をして、次々と変わっていく。
街から、公衆電話はほとんど無くなってきた。
でも必要となる人がまだあるかもしれないなとふと思う。
あの時をことは、忘れようにも忘れられない。
身体のどこかに残っていて、心臓がキュッとつかまれる感覚は未だに消えない。
一生消えないんだろうなぁ。
あの日を忘れてはいけない。
芙蓉の実、易しいようで意外と雰囲気が出ない被写体です。
流石ですね。
当時大学生だった息子が、「家が壊れる」と言って2階から駆け下りてきたのを、昨日のようにハッキリと覚えています。
こちらでもそのくらい揺れましたから、神戸は勿論のこと、
大阪でも想像を絶する揺れに襲われたでしょうね。
あれから22年、阪神高速の高架が横倒しになった映像は今も忘れることはないです。
東南海地震が、何時起きても不思議では無いと言われています。
この先どんな天災に襲われるのか?考えただけでも背筋が寒くなる思いです。
そんな事を思う時、生かされている事に感謝し、
每日を精一杯生きなければと、自分に言い聞かせます。
takayanもこの時期の芙蓉や、紫陽花が好きで、よく撮影します。
陽の光に透けて綺麗ですね。
風に運命を任せて、命を繋いでいくのですね。
お引越しされた節目の年だったんですね。
あれから、早いもので22年。
過ぎてみればあっという間のような気もします。
毎年、芙蓉のフカフカした姿は撮りたくなります。
あったかなそうなベッドですね。
生後1か月だった次男が22歳、早いものです。
右へ左へと大きく滑るベビーベッドを止めに行くことも出来ず・・・。
でもスヤスヤと眠っていてくれました。
20Fの家の中は、ほとんどのものが倒れていました。
芦屋からなんとか車で実家に着いた時は、ほっとして涙があふれて来たのを覚えています。
途中で見た街の光景は、未だに忘れることが出来ません。
家族全員無事で何よりでした。
それを機に今のところに引っ越しました。
今この時を、大事に生きなければいけませんね。
この時期の紫陽花もいいですよね。
ついつい毎年撮りたくなります。