父親と同じ住居に住んではいますが、ほとんど顔を合わさないで、別の生活を営んでいるという親子なので、
金銭的な恩恵は、まったく、私にだけあるような・・・・状況ではありますが。
日々、会話するということがない、ということが、言いたいわけで。
父親と会話がない。
というか、話したいことがない。
きっと、面と向かって、話題がない。だろう・・・。と。思ったりして。
同じ場所に住みながら、会話のない親子でいます。
多分、大学時代に、もう、この父とは話せない・・・と、思ったという過去が、引きずる。
なんか、ね、違ったんだよね。価値観とか、色々。
さて、
息子が大阪に就職のため、移ってしまって、
話し相手が消失。
これが、けっこう、応えました。
息子は、年が若いながら、話し相手として、対等というか、思うより老成しているというか、適当というか、恰好というか、適度に酔った人間でも、相手できるというか・・・・
辛抱強い性格で、有り難い相手でして。
それがいないってのは、
なんか。
つまらないです。
毎日。
空の巣症候群って、言えば、いえるけど。ねえ。
会話って努力しなくても、通じるような相手と、のほほんと話したいでしょう? そういう相手が、いなくなったなあ・・・って。かなり、応えるのですよね。
そういえば、友達が、息子と「観念的な、話しなどしないよ。」と言われたことが、不思議に思い出されます。
思想とか、観念的な哲学に通ずることとか、話すことなんて、普通ないのだろうか。
まあ、私も親としたことはないなあ。
と、思い出しながら、
なぜ、
私は息子とできたんだろう・・・と、ちょっと、思ったりしました。
けっこう、酒に酔った私に、つきあって、彼は話してくれたなあ~~~と、思うのですよね。
はあ~~。
その、息子が不在。が、かなり応える。
てのは、仕方がないことなのかもしれません、。な。
感性が同じような人間に、時間も空間も異にして、出会える奇跡が、息子に訪れるか、どうか。
できれば、そういう奇跡がほしい・・・・と思っている母でした。
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