実際、裁判員制度が始動したら、願わくば、裁判員になりたくないと思ってました。
人を裁くほどに人間ができてないと自分自身思うし、ああいうのは、しっかり勉学をつんで、司法の勉強をして、初めてできることだろうと…。それに、時間の拘束がすごいらしいし…。米国の陪審員制度を扱ったテレビとか見てたら、なんか、すごいことになってるから、できれば、お断りしたいと思っていたんです。
でも、北尾さんの本を読んで、まあ、参加することもいいのかも…って気がしてきます。
犯罪を犯した後の裁判のとても長く、辛い時間とか、落ちていく感とか、きっと裁判に携われば実感できる。実感できれば、犯罪に関わる人間が減る…って感じがしました。
でも、どうしようもなく落ちっぱなしの人間も、悲しいかないるんだなあと思ったり、裁判を傍聴していると、被告人の顔で「やっている、やってない」が判断できるようになり、量刑もわかってくるというほど、傍聴しているマニアの皆さんには、脱帽ですねえ。
裁判官、弁護士、検察、人が裁くのだから、そういった人々の個性とかも、感じられる作品になってます。
「やってるだろ」と、被告を見ての推測の筆者。
「反省してない、またやるな」と、嘆息を漏らす筆者……。
傍聴席からメモを取りながら、筆者北尾さんは色々思うのです。
地裁、高裁、民事、簡易、と色々な法廷を覗いてみて、色々感じたことを書いてます。けっこう読む価値アリの一冊だなと、私は思いました。
しごくまともな生き方をしていれば、あまりかかわりのない世界ですが、一歩間違えば、十分、被告席に座るってことも有り得る世の中です。
法廷は、冷徹のみでないのだ…と、この本を読んで思いましたし、もっと興味を持って罪や償いについて考えてみてもいいのではないか…と思ったりもしたノンフィクションでした。
裁判員にわたしがなれるのか、慣れていくのか、いろいろ考えながら読んでいきたいです。
今は 大好きなパトリシアコーンウェルの新刊を読んでいるので、次はこれで
(^o^)/
ちょうど昨日、売り場で裁判員制度の話で盛り上がってたのですが、やっぱり皆、できれば選ばれたくないよねって話がまとまりました。ホント素人の判断でいいのかなぁ?って思います。
で、ふと思ったのですが素人相手なので優秀な弁護士がついたら有利なんじゃなかろか?って。
雑読ですみません。あまり適確な感想は述べられないので、なんとなくこんなもんかと思ってもらえれば……。
裁判員制度の趣旨はうっすらとわかる気がしますけど、やっぱり、人を裁くってのは気が重いですね。
けいこさんは、海外の作品に長けていらっしゃるんですね。私は、どうも、ダメで。
SF作家さんくらいしか知らないんです。
いいものをご紹介いただけたら、嬉しいです。
ランダムに選んで、裁判員にするにしても、一応、プロもアドバイスをしてくれるにしても、なんだか、ね~の、世界ですよね。
アメリカの陪審員の協議とかドラマになっていて、見たりする機会があるんですけど、けっこう、アンチョコに決まっていたり……。
高校生の時、『12人の怒れる男』って演劇を見て、(しっかり覚えてないので違ってるかも…映画にもなっているらしいけど)陪審員制度とか、人が下す判決ってのが、すごく重いというか、人を裁くことの重大性とか、重いな~と思った記憶があります。
11人が有罪、たった一人だけが、疑問を呈して戦う…。っていう内容だったように思います。
あの演劇は良かったなあ~。俳優さんも素敵だった。
ミュージカルとか演劇とか、初めて触れたのは、学校の芸術教室だったんですよね。昔はなかなか自分で見に行く機会なんてもてないのが普通の家庭でした。
その機会を学校が担っていたんですよ。
ところが、このところ学校は変わってしまって、芸術に触れる時間も削減。
課外授業も削減。
情操部分に裂く時間が惜しいって、何やってんだ~と思います。
なんか、話がそれましたね、えへへ。