ようやく、柳田さんの、『「死の医学」への日記』を読み終えた。
かなり、重いだろうなあ、という予測はもちろんあったんですどね。読み進めるにかなり苦労しました。取材されている人々の人生に共鳴してしまって、しとど、涙が……。ってことで、ね。
(泣くと、文字が読みにくくなるし、目が腫れるし、みっともないし…)
文庫化が平成11年。単行本はそれより前だから、13,4年くらい前の事情で、書かれていると思う。
終末期医療のことが主軸だ。
末期ガンの患者さんが、どう終末期を質の高い生でまっとうできるか。ってとこに主眼が置かれているように思う。
『クオリティ オブ ライフ』 人間らしく、自分らしく、納得して生ききれるかって、考えることって、病気に関わらず、人には、必要なことだと思う。
今はどうなのかな。
終末期をちゃんと生ききれる終末医療が用意されているんだろうか。どうかな? 多分、この本の時期よりだいぶたっているし、お医者さんも勉強しているから、きっと。
この頃ね、生きることってのは、どう死ぬかと同意味(意義)かもって、思い始めていたんで、多分、この本を読もうと思ったんだなあと思う。
でもなあ、死を考えるってやっぱり年をとったんだよね。
若い10代頃は、35歳くらいまでの自分しか想像できなかった。
結婚して子どもを生んだ時点では、もう、がむしゃらで、自分が死んだら子どもも死ぬ! ぐらいの勢いで、自分の死なんて絶対考えてなかった。
それが、40を過ぎて、体力的にも精神的にも衰えを感じてきて、50代の今、物凄く、身近に死を感じている。
病気になっても、質の高い生き方を望みたいと私も思う。意識もなくただ、呼吸しているっていう時間が続いたって、本当に生きているっていえないだろうと思うから。
そうなるくらいなら、延命治療なんかいらない。
ただ、呼吸しているだけの生命でも、人の役に立つのなら、それもあり、かもしれないとは思う。でも、それは人のために生きるってことで、自分のためじゃないよね。
申し訳ないけど、そういう生き方は私は嫌いだ。
ごめん。お願いだから死なせてって思う。
ガンってすごく辛い病気だけど、作者の柳田さんがも言うように、苦痛をともない、家族にも迷惑をかけることになるけど、心筋梗塞とか、脳梗塞で、瞬殺されるよりも、自分の生き方に整理がつけられる時間がある点で、ガン死もいいって、私も思ったりする。
でも、ね、そのためには告知してもらう必要があるんだよねえ。
ノミの心臓の私は、堪えられるかなあ。そこが疑問ではあるなあ。
まあ、息子と無駄な延命治療だけはやってくれるな…と、日ごろ話してはいますが。…やっぱり、息子の言うように、一筆、残しておくべきでしょうかね。
というか、昨今、50歳にして、遺言を残す決心をした私です。
ま、一年ごとに、見直せばいいって思っているので、それほど、悲壮感とかない決心ですけど。
私が現役からリタイアしているから、こんなことを考えるのかなあ、とも思いますなあ。
しかし、実務的なこと以外で、何を遺言にしたらいいのだろうか……。
罰当たりのような気がするけど、
『墓はいらない』
ってのを、一番最初に記したら、はたして、息子はその通りにするのだろか……。
・・・・・・・
って、けっこう、遺言書ってのも、書き甲斐があるような気がするなあ~~♪
50歳を過ぎると「死」を考えてしまいますね。
で私の場合は、できれば一人「ひっそりと死にたい」です。
10年ほど前に遺言を書いたんですが、引越して 今 どこにあるのやら?
葬儀・戒名不要 海に散骨・・・エトセトラ
好き勝手に書いてやりました(笑)
遺言書、書いたんですか~。すごく興味がありますわ。
どんな内容なんだろうか、とか、どういう順番で書くのか、とか。
でも、葬儀、戒名不要は私も思います。
でも、きっと世間様もシガラミとかで、若い息子の伝聞でのごり押しは通らないだろうなあ…、ってことで、遺言書がいるんですよね。
故人の意思ってのを残す必要が。
死後が一番、自分の思い通りになりにくいですね。
だって死んじゃって、いないんだもん。
葬儀は多分、死んだ人のためじゃなくて、生きている人のためなんだろうと思います。