拙作集

自作の物語をアップしました。つたない話ですが、よろしくお付き合い下さい。ご感想などいただければ幸いです。

もう妖精は要らない(6)

2010年02月22日 22時08分01秒 | Weblog
6 冷たい雨の日の外出

 その日はあいにくの天気となった。寒波に乗って来た前線が、朝から冷たい雨を降らせていた。冷える日には痛みも出る。それでも、底冷えのする部屋に一人でいるよりはと心を決め、ブーツと厚手のコートで武装すると、早紀は目的の場所へと足を運ぶことにした。

 中央線から、バスに乗り継いだ。バスは車体を震わせながら、丘陵地帯の登り坂を進んでいった。霊園の名前が付いたバス停にたった一人降り立った時、雨はまだ降り続いていた。早紀は傘を広げると、墓前に供える花束を抱えて、ゆるい坂道を歩き始めた。
 細い道を進み、霊園の入り口に辿り着いた。門をくぐり、急な石の階段を登ると、突然、眼下に視界が開けた。小さな丘に沿って、整然と墓石が並んでいる。妙子が言うように、晴れていれば穏やかな陽だまりが広がっていただろう。しかし、煙る雨の中、誰もいない霊園は重く冷たい沈黙に支配されていた。

 妙子に教わった通りに行くと、そこに目的の場所があった。周囲と同じく、低く平たい形をした石材には、一輪の花が彫り込まれていた。
(カサブランカ?)
 大輪のユリがまさに花びらを広げようとしている。それは、妙子が若くして逝った娘のために描いたものかもしれないと早紀は思った。表には花の絵があるだけで、何の文字も刻まれていない。裏に回ると一人だけ名前が彫られていたが、苗字は妙子とは違っていた。亡くなって三年、享年は早紀より四つ上だった。

(こんな若さで亡くなるなんて…)
 同時に、娘に先立たれる母親の心中が思い起こされて、早紀は一層身体が冷える思いがした。コートの襟を立て、ベルトを締め直した後、彼女は持参した花を供え、両手を合わせて祈った。
(私からお母様にして差し上げられることは、決して多くはありません。でも、少しでもお力になれたらと思っています)

 しばらくの後、早紀は頭を上げると、来た方向へと戻っていった。急な階段を降り、霊園の出口まで来ると、雨は小止みになっていた。傘をたたむ早紀の耳に、かん高い声が届いてきた。どうやら、新たな来訪者は子供連れらしい。受付の建物でトイレでも借りているのか、声は聞こえるが姿は見えなかった。さっきまで空だった駐車場には、わナンバーの小さな車が止まっていた。

 ここで知り合いに会うなど考えられないのだが、見知らぬ人の墓参りに来たのを見られることに抵抗を感じて、早紀は足早に霊園を後にした。次のバスまではかなり時間が空いている。ふと見上げると、雨は上がり、流れる雲の切れ間から一筋の光が差し込んでいた。

(冷たい雨もいつかは降り止む。私にも光差す時が来ると信じたい)
 身体は冷え切っていたが、ほんの少しだけ心に火照るものが感じられた。左足をわずかに引きずりながら、早紀は長い下り坂をゆっくりと降りて行った。


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