拙作集

自作の物語をアップしました。つたない話ですが、よろしくお付き合い下さい。ご感想などいただければ幸いです。

もう妖精は要らない(13)

2010年02月26日 22時56分04秒 | Weblog
13 娘婿への遺言

「この間は、あなたにも悪いことをしたわね。すっかり騒がせてしまって」
 いつものようにベッドの背を起こして窓の外を眺めながら、妙子は傍らの丸椅子に腰掛けた祐史に語りかけた。この人の背筋は今日もぴんと伸びていると思いながら、祐史は笑顔を返した。栞理は、早紀を見つけて入っていったナースステーションで一躍アイドルになっていた。

「あまり気にしないで下さい。大事に至らなくてよかったです。薬が合わないこともあるんですね」
「私がわがままを言って出してもらったのよ。栞理にも気の毒なことをしてしまって」
「大丈夫ですよ。相本さんがいてくれて本当によかった。おかげで適切な処置が迅速にできたみたいです」
「医療や看護の技術にかけては、ここにいる人はみんな優秀だわ。でも彼女は特別。こういうのを運命って言うのかもしれないわね」

 少しの間、黙って窓の外を見ていた妙子は、やがて心を決めたように祐史の方を向いて言った。
「今日はあなたに渡したいものがあるの」
妙子は、ベッド脇に置かれた物入れの引出しを指差した。祐史は言われるままにそれを開け、小ぶりのスケッチブックを取り出して妙子に渡した。彼女はおもむろにある頁を開くと、祐史に示して見せた。
「あっ」
 そこに描かれた人物を見て、彼の口からは小さな驚きの声があがった。一人の女性がベッドの背に身体を預けている。自分を描いている者からは視線を外し、遠くを見ているその表情には、かすかな微笑みが浮かんでいるように見てとれた。
「優理…」
「ちょうど、栞理がおなかにいる頃ね。落ち込んで、私が泊まりに行ったことがあったでしょう。あの時に描いたの」
 しばらくの間、祐史は黙ってスケッチブックの人物を凝視していた。やがて彼は静かに言った。
「まるで、生きてここにいるみたいです。でも、どうして今、これを僕に?」
「亡くなった直後には、さすがに渡せなかった。あなたには、できるだけ優理を引きずらないでほしかったから。でも、もういいわよね。私が逝く前に、渡しておきたかったの」
 祐史は黙ってスケッチブックを見つめていた。必死に何かを堪えているようにも見えた。
「あなたに渡したいものは、これだけじゃないの」
 そういうと、妙子は手を伸ばしてスケッチブックを受け取り、別な頁を開いて再び彼の手に戻した。
「えっ!」
 今後は別な驚きを持って、祐史はスケッチブックを覗き込んだ。そこには、小さな女の子が屈託のない笑顔で立っていて、そのすぐ前に一人の女性がしゃがみこんで笑っている構図のスケッチが描かれていた。女の子は栞理、そして彼女と目線を合わせてたたずむ女性は、早紀のように見えた。
「これは…」
「そうよ、相本さん。早紀ちゃんを描いたの」
「お義母さんは一体何が言いたいんです?」
「私はね、早紀ちゃんのことが大好き。そのせいかしらね、あなたがあの子を見る目も特別みたいに思えてならないの」
「そんな乱暴な。第一、彼女に迷惑ですよ」
「あら、そうかしら。私はあなたに優理を忘れてほしくない。でも、それ以上に縛られてほしくないの」
「お義母さんらしい冗談として受け取っておきます。もしかして、栞理に母親をって、お望みなんですか?」
「あなたは本当によくやってくれていると思う。でも、これからさらに大きくなっていく栞理に、父親だけしかいないのは、やはり不憫だわ。うまく伝えるのが難しいけど」
「これはありがたくいただいて大切にします。今日はそれだけで勘弁して下さい」
「そんな、勘弁だなんて。どうしてほしい、とまでは言わないけど…。あなたもやがて優理から解き放たれる日が来る、その時には、どうか心が求めるものを諦めないでほしいの。それが私からのお願い」
 祐史は黙って深くうなずくと、スケッチブックをしっかりと胸に抱えた。


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