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空になりたい

透明の自分とトラウマ⑵

私のトラウマ的なことの原因を考えてみました。

子どもの頃、母が感情的に怒る人で、怒り方が異常に
怖かったです。母は、勉強と恋愛のことにだけ、すごく
感情的になったのと、父はまた、勉強のことだけに厳し
かったです。2人とも、それ以外が甘いわけではなく、
それ以外は、無関心でした。

(そのくせ…父の趣味は、パチンコ、麻雀、競馬、
競艇etc…)

高1の時、部活の大会で、渋滞でバスが遅れて帰るのが
遅くなった時、帰った途端、2人一緒になって、勉強の
妨げになるから、そんな部活辞めろ!って的外れな怒り
方をされてたのを思い出しました。

小学生の3〜4年の頃、友だちと遊ぶのに夢中になって、
遅く帰ったら、玄関に鍵をかけられていて、けっこう
長い時間家に入れてもらえなかったこともあります。
外にいる間中、お母さんが怒ってる〜というのが怖かっ
を覚えています。

また、小1ぐらいの時かな、友だちのお父さんが、遠くの
畑だったかどこだかに車で連れてってくれて、帰りが
遅くなって母に怒られました。その人は、確か、うちの
母の知り合いか親戚だったと思うのですが、連れ出す
のにその人が母に連絡してくれなかったことが悪いのに
私を怒るのはおかしなことだと、今なら思えます。

今となっては、その記憶も正しかったのかどうか、わかり
ませんが、母に酷く怒られて怖かった、ということだけが
残ってて、どこへ行ったのか、何をして遊んだのか、そこ
での多分楽しかっただろう記憶は全くありません。

そんな感じで、こうしたら怒られるって、だいたい
分かるはずなのに、なぜか友だちと話をしてて、帰るの
遅くなるとか、怒られる状況を繰り返していたような
気がします。

コレは、決して反抗ではなくて、熱中して時間を忘れる
ことが多かったのかも知れません。多分なんですが、
ADHD的要素も影響していたとかも知れないと思って
います。そうしているうちに、怒られないように振る舞
おうとするようには、なってきました。

私が高校生の頃、家族で初めてディズニーランドに行こ
うという話になった時、私は、勉強するから行かないと、
自発的に言いました。私以外の家族は、行ったんだと
思います。

高校の冬休みに、希望者だけ、スキー合宿というのが
あったと思うのですが、それも、塾の冬期講習がある
から行かない、と自分で決めたと思います。

この頃から、すでに、勉強以外は興味がない感じに
なってました。かと言って、そんなに勉強して、こうなり
たいという目標があったわけではありません。勉強だけ
していたら、親が何も言わないから気が楽だったのかな
と思います。 

ちなみに、冬期講習は、母が近所の、息子さんが東大を
目指してる奥様についていって、当時家から1時間くらい
かかる、代々木の代々木ゼミナールに申し込んできた
ものですが、2日目くらいに山手線で痴漢に遭った
ので、3日目からは、行くのをやめて、通ってるフリを
して友だちの家に行ってたような気がします。

ほかにも思い出したのが、中学生の頃、先輩へ書いた
ラブレターを見つけられて、ぐちゃぐちゃにされて、机の
上においたあった事件…母が校長先生に言いに行く、と
言ったのを父がなだめるということがあったなあ、という
のは覚えています。

そんな感じなので、私は、勉強は、親の前ではしなきゃ
しなきゃと思っていて、恋愛については、とことん隠し
ました。



…今考えると、多分、父も母も、子どもの育て方が分から
なかったんだろう、と思います。そして、私も、それが
当たり前で、怒られるのは、自分が悪いことをしたから
当たり前、という考え方をしていました。

もし、今、私の体の中にいる透明の私が、傷ついた子ども
のときのままでいるとしたら…

怒られた私は悪くないし、怒った父も母も、その時の
一生懸命で、その時は、そんな風にしかできなかった
のだと考えると、仕方がない流れだったのかも知れ
ない…と思うことはできます。

そう思うことで、今でもちょっとしたきっかけで繰り返し
訪れる大きすぎる恐怖感をどうにかできないかなあと、
考えます。

今、穏やかにいられる時はいいのですが、人の怒りが
自分に向いたと意識した時の恐怖感は、酷いものです。

大学に進学して、家を出たとたん、親は私に対しての
意識はなくなり、ほぼ無関心になりました。親の目標の
一つが達成したので、満足したんだと思います。

ただ、大学生になって、一人暮らしを始めてからは、今
までの親の過保護と無関心と、結局自立できてなかった
自分のせいで、「ギリギリ登校拒否」になり、半期で5回
以上大学を休むと、その時点で単位が取れなくなるので
そこまで追い詰められないと学校に行けない、という
感じになってました。

ストレスがかからないと、体が動かないことの原点が、
ここにありました。

正直、私の怖がりの原因は、特に母だと思っていますが、
その母も、歳をとって、離れて暮らしていると、たまに
電話をしても、昔怒ってた母とは、別の人のような感じ
がします。

もう、怒ってる母はいないし、私も母に対して怒っている
訳でもないから、今なら、この感情の起伏をどうにか
できるのではないかと思います。

父は常に口うるさく、父の前でも怒られないように振る
舞う癖が、今でもついていて、本音で話をすることが
ありません。

でも、酷い虐待を受けたという訳ではないのに、もう、
半世紀近く苦しんできたのは、なぜなんだろう…

この程度の環境なら、同じようなケースの人や、もっと
辛い人がいるはずだと思って、私が特別不幸な訳じゃ
ない、ずっと自分が悪いんだろうと思っていました。
それは、多分、親の転勤が多く、親に依存しない
生きていけないという理由もあったのだと思います。
だから、反抗期というのが、全くありませんでした。

またまた長くなってしまいました。このことについては、
しっかり考えてみた方がいいと思うので、もう少しだけ、
続きます。


〈昨日のお弁当〉


今日は、トンカツを新しい油で揚げようとしたとき、
あ、冷凍のごま団子揚げてみようと思いました。

下の子にこっそり、弁当にごま団子入ってたら嫌?って
聞いたら、別になんとも思わん、と言っていたので、
入れてみました。まだ感想は聞いていませんが…。
今日は、野菜が全く入ってない弁当だったので、
気休めにきゅうりを何枚か散らしてみました😅


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