つるや連合(盧武鉉前大統領の遺業を記憶する勝手連)

通常時:李明博の国策捜査を批判する座間市民会議

[CML 002419] 敬称の問題について

2010-07-22 20:27:59 | AML/CML(とほほ氏・永好氏他)
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[CML 002419] 敬称の問題について~Re: [集会報告と御礼]12・19緊急報告会
http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-December/002379.html


higashimoto takashi******
2009年 12月 22日 (火) 10:42:44 JST

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増田都子さん(CML 002391) wrote:
> 平和力フォーラムを主宰されている前田朗先生も驚かれていたぐらいの参加者があり・・・

増田都志美さん(CML 002414) wrote:
> このたびの前田先生の間髪を入れぬ企画、私個人、本当に感謝しております。

増田都子さん 増田都志美さん

おふたかたは前田朗さんを「前田先生」と敬称することで共通しています。

尊敬のお気持ちからそういう敬称を用いられているのであろう、ということはよく理解できるの
ですが、前田さんに限らず特定のどなたかだけを「先生」などという呼称のしかたはやめにし
ませんか?

たとえば私は前田さんより半回りほど年上です。
その私を「東本さん」と呼び、
前田さんを「前田先生」と敬称されるのは
どういう事情からでしょうか?


大学の「先生」だから「先生」と呼ぶということであれば、私も大学で教えた経験があります。
ただし、非常勤講師としてですが。大学の教授ないし准教授であれば「先生」で、単に非常勤
講師でしかないしがない者は「○○さん」ということでしょうか? 違うでしょう? もちろん左記
は一例でしかなく、これが大学教授と一般労働者との対比であっても同じことです。

本MLは人権や市民的な権利、社会的なマイノリティーの権利などのために活動しているさま
ざまな市民運動、社会運動、民衆運動に関する情報や資料の交換、また、意見の交換を目
的として立ち上げられました。上記のような呼称の使い分けはそうした本MLの目的にふさわ
しくない行為だとおふたかたは思われませんか?

私はこの問題についてあるMLで次のように問うたことがあります。

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人間が対等な存在である以上、このような日常的な「差別」の体系(だと私は思うのですが)
【注:上記のような呼称の使い分け】は、「人権と民主主義」という価値を尊ぼうということで
結ばれた私たちとしては《意識的》に掘り崩していく必要がある。そういう《変哲もない日常》
の中での私たちとしての仕草を変えてみるところからほんとうの民主主義の第一歩も始まる
というべきではないのか。私はそう思うところがあるのです。

つまりこういうことです。たとえ「心からわき出る自然な言葉」として「先生」という言葉を用い
ようとするときも、一刹那自省してみて、私たちの中では、このMLでは、極力「さん」づけを
用いようではないか、と。

むろん、「先生」という言葉が自然な気持ちの発露として出てくるときもある、というのは、私
にもよくわかります。私も小学校、中学校で教えていただいた自分の直接の恩師、それに
子どもらのかかりつけのお医者さんなどに対しては「先生」と呼びます。敬愛の念をこめて
「先生」と呼ぶことにはまったく私は反対しません。

でも、そういうときでも、極力意識的に「さん」づけで呼び合う本MLでの「慣習」をつくるべき
ではないか。それが私の提案です。

上記のことをわきまえた上で、それでもなお自然な気持ちの発露として「先生」という呼称
が自然にわき出ることもあるでしょう。そういうことにも私は反対しません。
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以上、私の問題提起をお受けとめいただければ幸いです。


東本高志@大分
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☆前田朗氏は現在のCMLではエース的な存在ですからこうなってしまうのでしょう。




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