デスクトップコンピューターの登場から家庭用パソコンの登場まで。
数年掛けてスキャン・編集してきた広告を集めました。何かしらの参考にでもなれば幸いです。
各製品そのものの説明は必要時以外は最小限にとどめています。詳しいことは他のサイトを参照してください。
上は"マイクロコンピューターのすべて"(産報ジャーナル)よりSOL-20の写真。
SOL-20は米Processor Technologyから発売されたパソコン。CPUにIntel 8080を採用し、Altair 8800と互換性がある。電源、メインボード、S-100バススロット、キーボードを1つの筐体に内蔵しており、一説によれば世界初のオールインワンパソコンだと言われている。キットが995ドル、完成品が2,129ドルで販売された。日本ではムーンベース(新宿の山本ビルに存在した日本初のマイコン専門店)から745,000円で販売されていた。
次のページに飛ぶ
NEC PC-98の雑誌広告を掘り出してみるNo.2
○マイコンブーム発生まで (~1978年)
日立ベーシックマスター発売までの個人用コンピューターの歴史。ここでは基本的に日本視点としている。
年 |
できごと |
1965年 |
伊Olivettiが卓上コンピュータ(プログラム電卓)"P-101"を量産開始。(3,200ドル) |
1965年3月 |
富士通信機製造が安価なオフィスコンピュータ"FACOM 230-10"を発表。(1万円/日) |
1968年5月 |
服部時計店が国産初のデスクトップコンピュータ"S-300"を発表。(695,000円) |
1969年4月 |
輸出用電卓メーカーのビジコンがプログラム電卓の開発のため、 まだ新興企業だった米Intelと資金提供の代わりにLSIを共同開発する契約を結ぶ。 |
1970年11月 |
服部時計店がプログラム電卓開発のため、同じようにIntelと"1201"(8008) の開発に関する契約を結び、詳細検討を開始。 |
1971年3月 |
ビジコンとIntelが共同で世界初のワンチップマイクロプロセッサ製品"4004"を開発。 ビジコンが4004の専売権を得る。 |
1971年10月 |
ビジコンが4004を使った記録計算機"ビジコン141-PF"を発売。(159,800円) |
1971年11月 |
Intelがビジコンから4004の販売権を買い戻して、4004と8008を正式に発表。 |
1972年3月 |
服部時計店がIntelと共同で"8008"を開発。(加算命令サイクル:20μs) 同時にそれを搭載したデスクトップコンピュータ"S-500"を開発。(155万円~) 後に専売契約が切れると、8008は一般市場に公開された。(発売時単価:85,000円) |
1972年11月 |
ソードが8008を搭載したコンピューター"SMP80/08"を発表。性能不足で開発中止。 |
1973年12月 |
Intel 8080のエンジニアリングサンプルが完成。(加算命令サイクル:1.6~2.0μs) |
1974年2月 |
精工舎が8080を搭載した"SEIKO7000"を開発。従来機の10倍の処理速度。 |
1974年3月 |
米Motorolaがマイクロプロセッサ"6800"を発表。(命令サイクル:2~12μs) |
1974年5月 |
ソードが8080を搭載したコンピューター"SMP80/20"を発売。 |
1974年11月 |
米MOS Technologyがマイクロプロセッサ"6502"ファミリを発売。 |
1974年12月 |
米MITSが8080搭載の低価格マイコンシステムキット/完成品"Altair 8800"を発売。 |
1975年 |
Gary Kildallが"DEC TOPS-10"をモデルに8080用OS"CP/M"を開発。 |
1975年8月 |
精工舎がSEIKO7000からスペックを落とした廉価機"SEIKO5500"を開発。 |
1975年9月 |
米IBMが持ち運び可能な小型コンピューター"IBM5100"を発売。(8,975ドル~) |
1975年12月 |
米IMSがAltair8800の互換システム"IMSAI 8080"を発売。(I-8080 kit: 931ドル) |
1976年3月 |
東芝がTTY不要なTLCS-12Aのボードマイコンキット"EX-0"を発表。(99,000円) |
1976年7月 |
米Zilogがマイクロプロセッサ"Z80"を発売。 |
1976年8月 |
NECがTTY不要なμCOM-80のボードマイコンキット"TK-80"を発売。(85,500円) |
1976年12月 |
米Processor Technologyが完成品パソコン"SOL-20"を出荷。(2,129ドル) |
1977年1月 |
米Commodoreが一体型パソコン"PET2001"を発表。同年10月出荷。(298,000円) |
1977年 |
アスターインターナショナルが完成品パソコン"COSMO TERMINAL-D"を発売。 |
1977年6月 |
米Apple Computerが6502を搭載したパソコン"Apple II"を発売。(328,000円) |
1977年8月 |
米TandyがZ80を搭載したパソコン"TRS-80"を発表。(228,000円) |
1977年9月 |
精工舎がSEIKO5500を改良したSEIKO5700を発売。別売でBASICを用意した。 |
1977年9月 |
ソードがZ80を搭載したパソコン"M200シリーズ"を発表。(M220: 1,390,000円) |
1978年5月 |
パナファコムがMN1610を搭載した産業向け16ビットパソコン"C-15"を発表。 |
1978年5月 |
ソードがZ80を搭載したパソコン"M100シリーズ"を発表。(M110: 199,000円) |
1978年 |
松下が8085を搭載したスモールビジネスコンピュータ"my brain 700"を発表。 |
1978年中頃 |
スーパーブレインがパソコン"MCZ80"を発表。同年11月発売。(298,000円) |
1978年9月 |
キヤノンがデスクトップコンピュータ"AX-1""BX-1"を発表。(AX-1: 1,280,000円) |
1978年9月 |
日立が6800を搭載したパソコン"ベーシックマスター"を発売。(188,000円) |
1970年代初めはマイクロプロセッサ=マイクロコンピュータであったが、そのうちマイクロプロセッサを使った機器を"マイクロコンピュータ"、略して"マイコン"と呼ぶようになった。PET2001によって"パーソナルコンピューター"という概念が日本に取り入れられて、PC-8001の普及に伴ってそれが"パソコン"と省略されていった。
○電子計算機(コンピューター)の発展図

○コンピューターの小型化(ダウンサイジング) (1960年代~)
日本IBM IBMシステム/360 (1964年4月発表)(モデル20: 51万円/月)

(日本経済新聞 昭和39年4月9日付)
1960年代前半まで、コンピューターと言えば大型のメインフレームのことであった。コンピューターを設置するために"電算機センター"の設置など大がかりな工事と莫大な費用が伴い、コンピューターを導入できたのは大企業や研究所などに限られた。
メインフレームの歴史で必ず出てくるのがIBM System/360だ。それまでのIBM7000シリーズやIBM1401は機種間に互換性がなかった。S360ではアーキテクチャーとハードウェアを明確に区別し、小型から大型まで幅広いラインナップで同じハードウェア・ソフトウェア資源を共用できた。日本では1965年10月に国内受注第1号機が東海銀行本店に導入された。
ちなみに1964年11月に発表された最下位モデルのモデル20のみ上位のモデルとは互換性がなく、やや異色の存在である。メインフレームというよりはIBMシステム/3に通ずるオフィスコンピューターであった。
NEC NEAC-2200 (1964年発表)(基本システム構成: 80万円/月)

(日本経済新聞 昭和39年5月7日付)
NEAC-2200は米Honeywell社が開発したH200の輸入モデル。後にNEAC-シリーズ2200としてシリーズ化して、しばらくの間は国内で人気を得る。しかしHoneywell社の製品開発が遅れてくると、それが影響してメインフレーム市場におけるNECのシェアはしばらく落ち込むことになる。
見ての通り、この頃のコンピューターは穴を開けた紙テープでプログラムを入力し、タイプライターで文字を入出力して、データは磁気テープに保存した。ディスプレイ端末はまだ一般的ではなかった。
富士通信機製造 FACOM 230-10 (1965年3月発表)(1万円/日)

(日本経済新聞 昭和40年4月13日付)
FACOM 230-10はリースで最小構成1万円/日という経済性と、オペレーター不在でも操作できる使いやすさを主軸に開発された(当時としては)小型のコンピューターであり、オフィスコンピュータの先駆けとなった。主記憶装置のサイクルタイムは2.0μSで、S360/20では3.6μSだったことを考えると、価格性能比が優れていることがわかる。このモデルは富士通のコンピューターとして初めて製造台数が1000台を超えるベストセラーとなった。
日本オリベッティ プログラマ 101 (米国:1964年発表、日本:1967年5月発売)(159万円)


(日本経済新聞 昭和42年5月27日付)
時期から考えると、第34回ビジネスシヨウに合わせて発表されたものと思われる。
Olivetti Programma 101(P101)は世界で初めて"Desktop Computer"を名乗った製品である。ここで"名乗った"としたわけは、キーボードがタイプライター配列ではなくテンキーと機能キーしかないことからわかるように、コンピューターと言うよりは電卓の延長線上の"プログラム電卓"に分類されるからである。それでも、デスクに乗るサイズで計算式を作成できる電卓としては世界初の製品である。開発時点ではICが発明されたばかりの頃であったため、回路はディスクリート部品のみで構成されている。狭い空間に多くの部品を詰め込むため、基板の実装方法に独特な工夫した。
服部時計店 S-500 N20/N30/N40型 (1972年発表)(155万円~)

(日本経済新聞 昭和47年5月9日付)
こちらもデスクトップコンピュータを名乗っているが、P-101と同じくプログラム電卓に分類されるだろう。演算装置にIntel 8008を使用している。ディスプレイは当時よく使われていたニキシー管による数字・記号のみの表示と思われる。建築・土木関係の科学技術計算用途を中心として開発されたようだ。
服部時計店(精工舎)は米Intel社と提携を組んでいたため、Intel製マイクロプロセッサを搭載したコンピュータが早い段階で開発されている。しかし主に建築・土木関係の科学技術計算用途を対象にしていたため、一般の知名度は低かった。
日本IBM IBM5100ポータブル・コンピューター (米国:1975年9月発表、日本:1976年5月発表)

(日本経済新聞 昭和51年5月17日付)
第51回ビジネスシヨウに合わせて発表されたものと思われる。
IBM5100はIBMから初めて発売された持ち運び可能な個人用コンピューター。寸法は高さ20cm、幅45cm、奥行き61cm。重量は23kg。演算装置はワンチップのCPUではなく、複数のIBM独自開発のチップで構成されている。メモリには当時としては大容量の48Kビットのチップを採用して小型化を図った。画面表示は64字x16行。外部記憶媒体は交換可能なテープカートリッジ。プログラミング言語にはAPLとBASICが用意された。ホストコンピューター(システム/370)に接続可能なため、通信端末としても使える。オプション機器は通信アダプター、直列入出力アダプター、モニター・テレビ・アダプター、IBM5103印刷装置、IBM5106補助テープ装置。
以上のように、高価ではあったが当時としては超小型ながら本格的な機能を備えたコンピューターであり、日本のコンピューター業界にも少なからず影響を与えた。
ここまで挙げてきた製品はオフィス向けのものである。マイコンブーム発生まで国産では安価な個人用コンピューターは存在しなかった。そのためコンピューターに関わりのない個人はコンピューターにあまり興味を持たなかった。例え興味があっても資金面・技術面で敷居が高く、コンピューターを個人で入手・運用する者は少なかった。ここからは個人向けのマイコン製品に注目してみる。
○NEC μCOM Training Kit TK-80 (1976年8月発売)(88,500円)

(トランジスタ技術 1976年12月号)
1971年にIntelが世界初のワンチップマイクロプロセッサ"4004"を開発。世界中で注目を集めたが、まだ性能が悪く実用的ではなかったため、当時の主要コンピューターメーカーには相手にされなかった。4004の開発にはビジコン(日本計算機)、8008には精工舎(服部時計店)が関わっていて、それぞれプログラム電卓を開発した。
1974年、Intel 8080やMotorola 6800を始めとして各社から安価で使いやすいマイクロプロセッサが登場し、これらを製品に応用しようという動きが活発になる。ただし、それ自身をコンピューターとして使うことはあまりなく、家電、工場の機械や生産制御、測定器、検査機、コンピュータ周辺機器などへの応用が多かった。
1975年、アメリカのMITS社からIntelの8ビットCPU"8080"とS-100バスを搭載した低価格コンピューターシステム"Altair 8800"が発売される。これまでは個人でコンピューターを入手することはかなわず、少数の技術者が自分で設計して自分で部品を選別・入手して組み立てていた。それがたった397ドルでキットを購入して組み立てれば、最新のIntelのCPUを搭載した拡張性豊かなコンピューターが完成するということで、アメリカで大ヒットした。日本でもIEEコーポレーションによって輸入販売されたが、本体(キットで28万5千円、完成品で39万円。)と実用的に使うために必要な周辺機器をそろえると費用がかさみ、一部の技術者や好事家が使用するのみであった。
そんな中、1976年8月にNECからIntel 8080のセカンドソース"μCOM-80(μPD8080A)"の評価キット"TK-80"が発売される。あくまでマイコンの採用を検討する企業の技術者がμCOM-80を試用するためのキットであり、電源を用意して組み立てる必要があった。それでも高価なテレタイプ(ASR-33が75万円)が不要ということと、大手メーカーのNECから発売されたということで噂になり、技術者以外の人にも売れた。同年9月には秋葉原ラジオ会館7Fにサービスルーム"Bit-inn"が開設され、そこで製品の試用や技術者のサポートを受けることができた。当初販売台数は月20台程度と予想されていたが、結果的に7万台を売り上げる大ヒットとなった。これによりNECマイコンショップという販売チャネルが構築され、今後に繋がってゆく。
ちなみに、μCOM-80のプログラム開発にはこのキット以外にもちゃんと開発環境が用意されており、クロスアセンブラ(FORTRAN IV)とハードウェア(PDA-80など)が用意された。
以下にPDA-80とPDA-800の仕様を示す。
/ |
PDA-80 |
PDA-800 |
CPU |
μPD8080A |
μPD780C |
RAM |
8KB(56KBまで増設可) |
56KB |
FDD |
なし(オプション) |
5.25インチFDD x 2台 |
主な機能 |
エディタ、セルフアセンブラ |
エディタ、セルフ/クロスアセンブラ |
入出力インターフェース |
TTY |
TTY/ミニプリンタ/タイピュータ |
開発サポートする製品 |
μCOM-42/43/44/45/46/47 μCOM-80/82/84/85/87 μPD8041/8021 |
μCOM-43/44/45/46 μCOM-80/82/84/85/87 μPD8041/8021 |
価格 |
? |
1,780,000円 |
PDA-80の外観はこちらの方のページが参考になる。
デジタル降魔録 私的なパソコン史1
○各社から発売されたマイコントレーニングキット(-1978年)
メーカー |
型名 |
CPU |
種類 |
ROM |
RAM |
発売元 |
RCA |
COSMAC |
CDP1802 |
キット |
512B |
256B |
大倉電機サービス |
Fairchild |
F8 KIT 1A |
F8 |
キット |
1KB |
1KB |
TDKフェアチャイルド |
Mostek |
F8 Evaluation Kit |
F8 |
キット |
1KB |
1KB |
システムマーケティング |
Intersil |
Intercept Jr. |
IM6100 |
完成品 |
1KB |
256B |
インターニックス |
MOS |
KIM-1 |
MCS6502 |
完成品 |
2KB |
1KB |
日本テクセル |
Motorola |
MEK6800DII |
MC6800 |
キ/完 |
1KB/2KB |
384B/512B |
モトローラセミコンダクターズジャパン |
NS(ナショセミ) |
SC/MP Kit |
ISP-8A/500D |
キット |
512B |
256B |
旭硝子 |
Intel |
SDK-80 |
i8080A |
キット |
1KB/4KB |
256B/1KB |
パネトロン |
Intel |
SDK-85 |
i8085 |
キット |
2KB/4KB |
256B/512B |
パネトロン |
東芝 |
EX-12/5 |
TLCS-12A |
キット |
0/1Kw |
256w/1Kw |
東京芝浦電気 |
日立 |
H68/TR |
HMCS6800 |
完成品 |
4KB |
1KB |
日立製作所 |
松下電器 |
パナキットKX-33 |
MN1400 |
キット |
1KB |
135B |
九州松下電器 |
富士通 |
LKIT-8 |
MB8861 |
完成品 |
1KB/2KB |
768B/1280B |
富士通 |
パナファコム |
LKIT-16 |
MN1610 |
キット |
1Kw/2Kw |
512w/1Kw |
パナファコム |
三菱 |
MELCS8/2 |
M58710S |
組込用 |
1KB/2KB |
256B |
三菱電機 |
ロジックシステムズ |
MP-80 |
8080A |
キット |
256B/512B |
256B/1KB |
ロジックシステムズインターナショナル |
MTコーポレーション |
PROTO-80 |
8080A |
完成品 |
512B/2KB |
256B/1KB |
MTコーポレーション |
日本電気 |
TK-80 |
μPD8080A |
キット |
768B/1KB |
512B/1KB |
日本電気 |
日本電気 |
TK-80BS |
μPD8080A |
一体型 |
8KB/12KB |
5KB/7KB |
日本電気 |
ビットインにてTK-80(上)、新宿コスモスにてコスモ・ターミナル―D(下)によるゲーム実演

(マイクロコンピューターのすべて / 産報 / 1978年)
写真はそれぞれゲームを実演しているところ。上はオセロゲームで、下は野球シミュレーションゲームと思われる。
アスターインターナショナル COSMO TERMINAL-D (1977年発売)(299,000円~)

(日本経済新聞 昭和52年10月25日付)
"COSMO TERMINAL-D"(コスモ・ターミナル―D)は1977年に株式会社アスターインターナショナルから発売された完成品パーソナルコンピューター。国産初のパソコンについては諸説があるが、その1つに挙げられている。コスモス(黎明期に存在したパソコン販売チェーン店)という名前を聞くとピンとくる方がいるかもしれないが、その運営会社がアスターインターナショナルであった。CPUはMC6800上位互換のFACOM MB8861 1MHzを搭載。メモリは1-33KB。ディスプレイは7色までのカラー表示ができ、家庭用テレビを使用することも可能。モニタROMとしてMIKBUGを内蔵。さらにMB8518用ROMライターを内蔵。当時パソコンを名乗るには必須のBASICも用意していた。RAMの容量(2K or 16K)とディスプレイの有無で計4モデルが存在し、価格は299,000円~449,000円であった。
ただ、一般的には1978年に日立製作所が開発した"ベーシックマスター"(MB-6880)が国産初のパソコンと見られている。
1977年、Commodore PETやApple IIなど、実用的な完成品パソコンが発売される。やや高価だったため家庭には普及しなかったが、中小企業を中心に導入する例が見られた。
1978年より、日立"ベーシックマスター"を代表として日本の様々なメーカーから完成品の安価な家庭用マイコンが発売される。その多くは性能や拡張性に乏しく、"おもちゃ"と揶揄されることもあったが、家庭や中小企業にパソコンが普及するきっかけを作った。1978年10月には、日本国内最大のマイコン同好会"日本マイコンクラブ"の会員が1700人になった。そのうち女性は30人程度と少なかった。
初期の8ビットパソコン






- コモドールジャパン PET 2001 (月刊アスキー 1979年4月号)
- Apple II (コンピュータランド、月刊アスキー 1979年4月号)
- タンディラジオシャック TRS-80 (月刊アスキー 1979年6月号)
- 日立 ベーシックマスター (月刊アスキー 1979年6月号)
- シャープ MZ-80K (月刊アスキー 1979年6月号)
- 日本電気 COMPO BS/80-A (月刊アスキー 1979年4月号)
ソード電算機システム M200markIIシリーズ (1978年10月発表)(M223 markII: 1,186,000円)

(日本経済新聞 昭和54年2月2日付)
現在、ソードは東芝の子会社の"東芝パソコンシステム"となっている。社史は企業サイト、その概要はWikiを参照して欲しい。
ソードは精工舎と並び、マイクロプロセッサが登場した初期の頃からそれを採用したコンピューターを開発していた。1977年にはZ80マイコン"M200シリーズ"を発表。これはキーボードからディスプレイまで一体化したオールインワンパソコンであり、情報処理学会 コンピュータ博物館ではこれを国産初のパソコンとしている。"スマート・ホーム・コンピューター"と称しているが、対象や価格帯は企業向けであった。1978年5月には低価格パソコン"M100シリーズ"を発表。注目を集めたが、ホビー用途として受け入れられなかったのか、あまり売れなかった。これらを改良して同年10月に発表されたビジネス向けコンピューター"M200markII"シリーズは、国内の中小企業に加えてアメリカでもヒットし、海外市場にも進出することになる。それからはOAパソコンを主軸において、プログラミングの負担を減らした"SORD-PIPS"、3.5インチFDをいち早く採用した"M23markI"(688,000円)、CPUに68000と10MB HDDを搭載しながらも低価格を実現した"M685"(475万円)など、ベンチャー企業ならではの製品開発が注目を集めた。しかし、パソコン市場で大手コンピューターメーカーが台頭してくると、ソードは経営危機に瀕する。1985年に東芝と業務提携を組むことで倒産を回避し、その後も細々と経営していたが、1987年に創業者が退社、1999年には"ソード"の名前が消えた。
ソードは最近のパソコン史ではあまり取り上げられないが、一時期は国内パソコン市場の20%のシェアを誇っていたメーカーとして、パソコン黎明期の歴史を語るには欠かせない存在だ。
ソードのコンピューター雑誌広告





- ソード電算機システム M5 (月刊アスキー 1983年1月号)
- ソード電算機システム M23markI (月刊アスキー 1981年11月号)
- ソード電算機システム M343 (日経コンピュータ 1983年1月24日号)
- ソード M243EX, M68 (月刊アスキー 1983年12月号)
- ソード M685 (日経コンピュータ 1984年2月20日号)
次へ進む
NEC PC-98の雑誌広告を掘り出してみるNo.2
○マイコンブームの歴史で参考にした文献
- ビジコン社の歴史、電卓博物館。
- 田渕紀雄、精工舎に於けるマイクロコンピュータ応用の経緯と今後の展望、研究報告「計算機アーキテクチャー(ARC)」、情報処理学会、1977年。
- SEIKOパーソナルコンピュータ - はつかいち。
- コンピュータ博物館、情報処理学会。
- 安田寿明、マイ・コンピュータ入門 コンピュータはあなたにもつくれる、講談社、1977年。
- 堀部潔・鈴木将成、増補改訂 マイクロコンピュータ活用事典、テクノ、1980年。
- 小林紀興、松下電器の果し状、光文社、1989年。
- 月刊アスキー 1978年4月号、アスキー、1978年。
- 月刊アスキー 1978年10月号、アスキー、1978年。
- 月刊アスキー 1978年11月号、アスキー、1978年。
- マイクロコンピューターのすべて、産報ジャーナル、1978年。