酔狂な人は、当ブログの2005年初頭あたりの記録を読んでみるのも
一興です。大学院時代の末期から、会社に入るまでの記録です。
今の僕が失ったある種の瑞々しい感性がそこにはまだあるようだ。昔僕自身が書いた文章の中から、僕が気付けない何かを感じた人は、それが何なのか、教えて欲しいです。
2005/3/8「3/7続き」 生活(diary)
失恋の腹いせに島民7人を殺害して自殺したドキュソが縁結びの神として祭られている東台所神社への道は、苔むしたちっこい丸い石でできた物凄い急傾斜の階段で、ほとんど崖。こんな所で一眼レフ持った観光客のおじさんとすれ違った。苦労してよじのぼった割にはあまりにもこじんまりしていて拍子抜けしたが一応手を合わせておいた。
下山して、サウナにでも行こうと歩いていると、海を眺める先程のオサーンを発見。何でも、離島大好きで、5年前リストラされてからあちこちの島を訪れているらしい。それも幸せかもしれんね
投稿者:anao2005/3/8 12:22ふれあいサウナは内輪山のふもとにあるんだけど、ついでにその尾根を一周した。青ケ島は200年位前に大噴火を起こして焦土と化し、何十年も無人島だった時期があるそうで、その時にこの内輪山が出来たそう。沢山の島民が脱出したけれど、多勢が亡くなった。今は火口内は木が生い茂っている。
サウナで例のオサーンに再会。お互いふれあいサウナの高熱には長時間耐えられず、二度入って早々に退散した。
サウナの帰りに、キャンプ場で酒盛をしている二人組に呼び止められ、酒を勧められた。鉢巻の人は宿のオーナーの先輩で、もう一人は… 続く
投稿者:anao2005/3/8 12:40もう一人のオサーンは前田と名乗り、あちこちの離島でキャンプをして暮らしているらしい。なるほど、随分汚れた皮ジャンを来ているし、髪もかなり伸びている。ホームレスは都会に住むけれども、前田さんは放浪者とでもいうべきか。実に明朗快活で礼儀正しい話ぶりだ。人を嫌って放浪を始めたわけではないんだろうか。詳しくは聞かなかったが。
A「これからもずっと青ケ島にいるんですか?」
M「いえ1週間したら沖縄の方に渡ります」
A「またどこかの島で会えたらいいですね」
M「そうですね。またどこかで」
投稿者:anao2005/3/8 12:56二人との別れ際、鉢巻きオサーンにパッションフルーツをもらった。珍しい果物。
日も大分傾いていた。大凸部で夕日が見たいので、メロス気分で急いでいると、工事の兄さんが車に乗せてくれた。横浜から三宝港の工事のために来ているらしい。やはり凄い難工事で、良く人が逃げ出すそうだ。無理もない。島外の人は、見ればすぐ分かるから、僕が何日か滞在してる事も知ってた。凄いなー。
降ろしてもらい、大凸部に急ぐ。シダが刈られてない道で歩きにくいが、二度目なので楽だ。
夕日は素晴らしかった。地球上で唯一あの景色を独占できた僕は幸せ者だな。