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Life Line

18年続いたteacupでの活動をこちらへと引き継ぎました

日々を綴ります 生きている限りにおいて

fragment8

2008-11-03 22:58:00 | fragment
銘記して欲しい。

生活者や労働者としての視点しか持てなくなった時、
その人の成長が終わる。空想すらできなくなる。





テレビのこととかパチンコの勝ち負けだけでなく、

関心はもっと大きく持つことだ。学校は卒業したが学徒のつもりで。哲学でも科学でも歴史でも良い。生活者とは違う軸を持ってくれ。誰もが学者にはなれずとも、学徒にはなれる。


生活に完全に埋没したら、もう二度と戻れない。

それが立派な社会人なんだとしたら、そんな人にはならなくていい。
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fragment7

2008-11-03 13:42:17 | fragment
何度でも書く。共有されない思い出に意味は無いと。
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dance in the past

2008-10-30 23:55:40 | fragment
酔狂な人は、当ブログの2005年初頭あたりの記録を読んでみるのも
一興です。大学院時代の末期から、会社に入るまでの記録です。

今の僕が失ったある種の瑞々しい感性がそこにはまだあるようだ。昔僕自身が書いた文章の中から、僕が気付けない何かを感じた人は、それが何なのか、教えて欲しいです。





2005/3/8「3/7続き」  生活(diary)
失恋の腹いせに島民7人を殺害して自殺したドキュソが縁結びの神として祭られている東台所神社への道は、苔むしたちっこい丸い石でできた物凄い急傾斜の階段で、ほとんど崖。こんな所で一眼レフ持った観光客のおじさんとすれ違った。苦労してよじのぼった割にはあまりにもこじんまりしていて拍子抜けしたが一応手を合わせておいた。

下山して、サウナにでも行こうと歩いていると、海を眺める先程のオサーンを発見。何でも、離島大好きで、5年前リストラされてからあちこちの島を訪れているらしい。それも幸せかもしれんね



投稿者:anao2005/3/8 12:22ふれあいサウナは内輪山のふもとにあるんだけど、ついでにその尾根を一周した。青ケ島は200年位前に大噴火を起こして焦土と化し、何十年も無人島だった時期があるそうで、その時にこの内輪山が出来たそう。沢山の島民が脱出したけれど、多勢が亡くなった。今は火口内は木が生い茂っている。

サウナで例のオサーンに再会。お互いふれあいサウナの高熱には長時間耐えられず、二度入って早々に退散した。

サウナの帰りに、キャンプ場で酒盛をしている二人組に呼び止められ、酒を勧められた。鉢巻の人は宿のオーナーの先輩で、もう一人は… 続く


投稿者:anao2005/3/8 12:40もう一人のオサーンは前田と名乗り、あちこちの離島でキャンプをして暮らしているらしい。なるほど、随分汚れた皮ジャンを来ているし、髪もかなり伸びている。ホームレスは都会に住むけれども、前田さんは放浪者とでもいうべきか。実に明朗快活で礼儀正しい話ぶりだ。人を嫌って放浪を始めたわけではないんだろうか。詳しくは聞かなかったが。
A「これからもずっと青ケ島にいるんですか?」
M「いえ1週間したら沖縄の方に渡ります」
A「またどこかの島で会えたらいいですね」
M「そうですね。またどこかで」

投稿者:anao2005/3/8 12:56二人との別れ際、鉢巻きオサーンにパッションフルーツをもらった。珍しい果物。

日も大分傾いていた。大凸部で夕日が見たいので、メロス気分で急いでいると、工事の兄さんが車に乗せてくれた。横浜から三宝港の工事のために来ているらしい。やはり凄い難工事で、良く人が逃げ出すそうだ。無理もない。島外の人は、見ればすぐ分かるから、僕が何日か滞在してる事も知ってた。凄いなー。

降ろしてもらい、大凸部に急ぐ。シダが刈られてない道で歩きにくいが、二度目なので楽だ。
夕日は素晴らしかった。地球上で唯一あの景色を独占できた僕は幸せ者だな。

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fragment6

2008-10-29 22:00:36 | fragment
上位階層に富が集まる収奪システムは既に完成されている。
最早それは誰にも壊すことはできない。

文明が起こったころからそうなのだ。複雑化して全地球規模になったものの、その基本的な部分は全く変わらない。


「もっといいものを貯めこみたい」という考えが人間に生まれながらに備わっているからその収奪システムはできた。自然発生的にだ。

もしも人間が「他人に富を分け与えることを至上の喜びとする」ような動物であれば下部階級ほど潤う逆ピラミッド型のシステムができあがっただろう。


身分制度というものは表向きは撤廃されたことになっている。だが実際は残っている。


先の記事にも少し書いたが、僕らの大部分は実質農奴階級だ。上層に奉仕するための。ただ、今は作るものが農作物だけではなくて、サービスとか電子機器だったりするけれども。

中流階級の声は、上層に対して少しは影響力を与えるだろう。そして中流と下層が意見を一にすれば、今の議会制民主主義であれば、上層の意向を退けることができる。だが、下層はテレビや娯楽で骨抜き、労働でくたくたで、分断されてしまっている。よって中流だけでは票は全く足りない。だから何も変わらない。


戦後日本は、下層階級に中流という幻を見せながらひたすら突っ走った。その結果世界2位の経済大国という地位を手にすることとなった。大衆(マス)のための様々なガス抜き娯楽も充実しているし、日々の仕事に忙殺されていれば、目くらましには気付きにくい。

ぼんやりと余計なことばかり考えがちな自分が、社会というものに参加したからこそ、この事実に気が付いた。自分ですら気付いたのだから、既にこういうことを書いてある書物は何万とあるであろうけれど、得心がいったのだ。


学校というものも、このシステムに奉仕するために都合の良い人間を育てるための機構の一つだ。表向きは違うが本質はそうだ。


窓ガラスを壊して回り、盗んだバイクで走っても、七日間戦争を戦っても、人生は何も変わりはしない。それこそガス抜きだ。不良中高生は目の前の巨大な敵(=教師たち)に立ち向かうことしかできはしない。その戦いに勝てば満足で、彼らの戦争は終わる。

だが現場の先生というのもシステムを担う一兵卒に過ぎない。彼らにとっては大戦争でも、事象は、下士官と新米兵士の小競り合い程度のレベルの話。



これも学校がらみで、高校球児の姿は何故美しいといわれるのか。それはその輝きが彼らの人生で最後の輝きだからだ。桜の花びらが散るのが美しいのと同じだ。彼らも卒業すれば、ダルビッシュやイチローといった例外を除いて、皆労働者階級としての道を歩むだろう。そこでは甲子園で浴びたような脚光は一生ない。それでも甲子園の思い出は彼らの辛い日々を支えてくれるだろう。それも一生。


自分も、このシステムの中で良い仲間に恵まれたと自負している。思い出は一生の宝物だ。





もう寝るとしよう。明日も奉仕する生活が始まる。
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fragment5

2008-10-27 23:03:10 | fragment
システムに"完全に"組み込まれる前に幸せになりたまえ。

さもなければ君は一生ただのボルトやナットも同然だ。

それでもいいかい?
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