≪川っぺりムコリッタ≫
幸せに気づくことって。
幸せに気づくことって、いつもそれをなくしてから。なんですよね。
だから、ちいさな幸せをどれだけ気づいていくか。ほんとに大切だと思いました。
ネタバレ、いっぱいです。未見の方はスルーくださいませ。
朝いちばん、8時半の回に行ったんです。大阪ステーションビル。
映画館の外は≪風の広場≫というスペースになっていて、
上映30分前にはすでに20人以上のひとたちがバラバラにベンチに腰掛けていました。
私もベンチから喧騒の聞こえない、眼下の都会を見下ろしてました。
すっごく贅沢だなあって思いました。普段には見ること、味わうことのできない瞬間。
当たり前にスルーしてるわけじゃないですか。
こういう風景のなかの一部になれるんだなって思いました。
ちなみに初回上映後、館内から出ていくひとは50人以上いらしたんですよ。
その多さにびっくり。だって平日水曜日なのに。
この映画がこんなに人を呼び込んだんだなあって感慨深かったです。
思い出すまま、前後すると思うんですが、感想をあれこれ。
まず、作品の外側の話ではあるんですが、
松山さんが荻上監督から映画出演を打診されて、
現状ではこの役はできないと、地方で実際に農業をするに至る、
ライフスタイルの変更まで行ったとのことで、
もちろんプライベートな部分が大きな割合を占めての変更ではあると思うんですが、
それでも、これまでの体重管理であるとかトレーニングであるとかを超えた、
凄まじい(と思う)役作りがあったんですね。
そのことにまず驚きました。リアリティのレベルが違います。
松山さんはまったく山田で、やせぎす、猫背で≪ある種≫の人間のリアリティがありましたね。
島田がずけずけと踏み込んできて、拒絶しようとしても押し切られてしまう、
徐々にこころの垣根の1本1本を引っこ抜かれて、自分でも意図しないうちに、
それに馴染んでいく様子、観察者の目で見ていました。
それは職場でも。当初、所長の沢田さん(緒方直人さん)がどういう人間なのか、
よくわからなかったんです。「更生」という言葉を工場のなかで使ったりするあたり、
めっちゃ気遣いのないひとじゃないか、と思ったのだけれど、
単調な仕事を10年やっても意味があるのかないのか、それは10年やってみたひとでないと
わからない、というひとで、実はハイツムコリッタに紹介してくれる人物であることを思うに、
やっぱりムコリッタに暮らすひとたちと根っこは同じなのだなあと。
そして、何度か出てくる≪イカ≫の作業で、山田のしんどさがよくわかりました。
丁寧に描かれてますよね。あれ、10年やるって、本当にやったひとしかわからないだろうなあと。
監督はぬめぬめ系が大丈夫なひとなんだな、とちらっと思いました、なめくじといい、
人型のしみにいるあの虫といい・・(まろうさぎさん、心構えできました。ありがとうございます)
工場でともにはたらく中島、あのひとが江口のりこさんだったとは!
いのちの電話の相談員の声が薬師丸ひろ子さんだったとは! エンドロールで絶句しましたよ!
(この調子でいったら、朝までかかりそうな感想、汗)
7人に1人、こどもが貧困のなかにいる、という日本において、ハイツムコリッタはまちがいなく、
そういうひとたちがいる場所ですよね。だけど、家のまえに畑があり、やぎがいて、
寝転がれる川原があり、誰が音を立てようが、縄跳び振り回していようが、許されている豊かな場所でもある。
めちゃめちゃ豊かな居住空間ではないですか。
その日暮らしの川原の住人と音楽でつながっていたり、こどもはさらに空の上の宇宙にむけて
自分から発信するんですよね。自分にひきこもろうとするありようと、宇宙と交信しようとするこころ、
そういう、今の日本では考えられないような一種の桃源郷と、
今の日本には総数もわからない夥しい孤独者とを出合わせるダイナミズムがすごいなと思いました。
山田は強引に引き入れられなければ、父の遺骨を手にして、もっと根源的な恐怖を募らせたんじゃないかな。
島田が孤独死した山田の父親を「いなかったことにしてはいけない」と諭してくれ、受け入れることができた、
あのセリフひとつで、山田が役所の堤下(柄本佑さん)と父の最期の場所を訪ねるまでに変化する、そしてそのことを
納得させてしまうのだからすごいなあと思います。
個々、抱えている事情は別だけど、ひとつの鍋をつつきあえる仲間。
先住者の亡霊に出逢った山田に大家の南(満島ひかりさん)が「こんど私に逢いに来てよって伝えてね」と言うシーン。
あのシーンは素晴らしかったですね。死への恐れのハードルが下がりますね。
孤独死を孤独のままで終わらせないのが当たり前と思える価値観があって、救われます。
岡本さんの幽霊の話のときに、知らず涙がマスクのしたを流れたんですよ。
ひとって、こんなちいさな言葉のひとつ、ひとつに救われるんだなあって思いました。
その場しのぎの言葉ではなくて、その後の人生を変えるようなことが、想いのある言葉で起こるんだなあって。
できごとじゃなく、ちいさな言葉を気づくことで、幸せにもなれるんだなあと教えてもらいました。
台風で川原に住み着いてるひとが流される、ということの行きつくところがあの無縁仏の棚なんだというのが
ショックでした。というか、今までそういうことを考えたことがありませんでした。
堤下さんはあの役所にいてくれたけど、映画の外の世界に、彼のように、死者を親しみをもって話す人が、
社会のなかにいるんだろうか、と思います。そういうまなざしがあってほしいという願望で、
だから私には天使にしか見えませんでした。人間存在を愛する≪ベルリン天使の詩≫の天使。
実はそういうまなざしが今、あまりにも身の回りに感じられなくて、冷たい視線や味あわされた蔑み、不快感から
身を守るために、こころも耳も目も、閉じてしまってるんじゃないかと思います。
堤下も、ムコリッタの住人も、住職も、葬列の最後を歩く川原の住人も、やっぱり天使なんでしょうね。
だから晴れやかな葬列に涙してしまったんだろうなあと思います。
いろんなことを考えたけど、やっぱり観終わってすぐにしたいと思ったのは、
炊きあがったご飯を、むらし時間を無視して、かきこみたいなあということでした。
何度出てきたかわからない食事の場面。秀逸でした。ホームドラマではないのに。
食はひとをちかづけるんだなあと感嘆しました。
いっぱい書き忘れていると思いますが、いったん、閉じます。
江口のりこさんと薬師丸ひろ子さん、エンドロールで驚きましたか?それ、松山さんの狙い通りです。「江口さんが出ていると知らずに見てほしい、エンドロールで驚いてほしい」と仰ってました。江口さん自身は、顔が出るシーンがないことを「ええやん、面白いやん」と仰っていたそうで、ムロさんが「江口、かっこいい」と絶賛でした。
ラストシーンの知久さんの件ですが、いつの間にか葬列に加わっているので、初見の時、私は「もしかして、台風でお亡くなりになっていて、あれは幽霊では?」と思ったのです。2回目を見て、台風後に後ろ姿が映るので、「あぁ、無事だったんだな」と思うのですが、でも、実は今でも半信半疑(3/4信1/4疑くらい 笑)。
柄本佑さん演じる堤下さんは、確かに天使ですね。死者を優しく尊敬をもって包み込む方。堤下さんとの会話で、父の姿を思い出す山田のシーンもとても好きです。「僕の父でした」と言って歩き出す山田を見送って、堤下さんは、にっこりと微笑んだのではないかしら。
その他にもたくさん感想を書きたいのですが、とりあえず、虫のご忠告が役立ってよかったです(笑)
松山さんの狙い通りだったこと、教えてくださってありがとうございます(笑)
普通、気にしてないですよ。先輩が江口さんだと見破れたひと、全国で何人おられるか(笑)
薬師丸さんのほうは、この声、どなたかなあ、芸達者だなあとは思っていました(笑)
さすがですねー-。
実は≪初恋の悪魔≫というドラマで、久しぶりに柄本佑さんを拝見して、
いやほんっと、ええ役者さんやなーと思っていたので、
その柄本さんがエキセントリックな役ではなくて、なんとお優しい役柄で、
松山さんとお話しなさってくださって、嬉しくなりました。
きわめてナチュラルな演技なのに、その場を特別なものにしてしまわれる役者さんですね。
あの堤下さんの控え目な、でも信じがたい優しさがこの作品のなかで果たす役割の大きさ、
いろいろ考えさせられました。
知久さんは≪たま≫時代に夕焼け時刻の小学校というようなセットでのコンサート、
今もそのセットが強烈に焼き付いています。
まろうさぎさんのような見方はしていなかったので、
かえって、あ、そうなのかも、なんて感慨にふけりました。
ありがとうございます。
松山さん、いい作品に主演してくれたなー。
今回も感謝ですー-。