我々日本人には、嫌な事は忘れ、また新たな気持ちで新年を迎えよう、という「忘年会」なるものがある。また「水に流す」とい言葉もあるように、過去にとらわれずまずくなった関係性を結びなおそう、という未来志向の方便もある。
反面、国民性として「深刻な事故も、のど元過ぎれば忘却の彼方」という傾向があるのは事実であり、困難を乗り越えて行くには障害となる性向である。
「忘れる」あるいは「忘れたことにしよう」という心理操作は人生を生きる上で、とても有効な知恵の一つである。しかし、民族にとって「致命的な歴史的事実」は忘却してはいけないし、問題に正面から当たらなければならず、見ないふりしても何の解決ももたらされない。
今になって「放射能汚染水漏出」などとさわぎになっているが、京都大学の小出助教は事故発生当初から現在の事象を予測し、対策を講じるよう訴えていたにもかかわらず、無視され、現状に至っている。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2309.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130821-00000140-jij-soci
http://takenouchimari.blogspot.jp/2013/08/2013731-fukushima-children-thyroid.html
海外のメディアが国内メディア以上に敏感になりつつある。
以下の映像は若い役人たちの応答場面であるがまことに心もとないものだ。かれらに眼前の深刻な問題の処理ができるようには思えない。
しかしかといってもっと年齢が高い役人さんがきても、書類を作成することが仕事だ、と思いこんでいるレヴェルでは対処できる問題ではない。
大規模設備プラント立ち上げなどもっと経験を積んだプロジェクトマネージャー、商社マンや、プラント現場指揮者など、問題の深刻度を適正に測れ、射程距離の長い見通しの立つ人材に権限を委譲して采配させなければ今でさへ手遅れぎみな致命的問題に為す術もなくなってしまうことになる。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/97827
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/radioactive_substance/?id=6088603