http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140508-00000127-mai-soci
長崎のハウステンボスに案内してくれと知人に頼まれて同行した折、ハウステンボス内部に入っての知人の第一声は「ここには人間の生活がない」というものだった。バブル期の金に任せて オランダの街並みに似せて作った「街」は所詮、人間が生きた時間の堆積がない「ガランドウ」であり、映画の書き割り舞台同然のものだ。生き生きとした人間の営みのない「街」は、いずれは「ガランドウ」そのものになり果てる運命にあった。いのちのない街なのである。
原発立地自治体に落とされる原発マネーが生み出す「街」はハウステンボスと同様「ガランドウ」である。底力のある、生き生きとした人間の営みは「金任せのガランドウ」からは生まれえず、したがって「ここで暮らしたい、ここで生きていきたい」と思う若者は少ないのである。
多少は生活に困窮しようとも、這いつくばって生きる道を探す人々の方が圧倒的に魅力があるのだ。
それがまた人間にとっての「希望の道」なのである。