メキシコって

こんなところです!普通のメキシコ生活の写真を送ります。特別出演>King(ゴールデンレットリバー)Laika(雑種)

メキシコ地震 3

2017-09-30 | 日記
日本から救助隊が派遣されるというニュースがありました。
それと同時にSNSで、「救助隊が日本語スペイン語の通訳を必要としている」という投稿が、あっという間に広がりました。初め人づてにFBで見たときは、ちょっと?と疑問がありましたが、FB上であっという間に広がる様子を見ていると怖くなりました。
発信者の真意は分からないけど、シェアして広めている人たちは善意で、「言葉が通じない日本人を助けよう」と思って広めたと思うのですが、実際は通訳は別に用意されていて、募集の必要が無かったので、デマでした。

職場でこの話題を話していると、家から電話があり、「姪が日本人救助隊の通訳のためサンタフェ(メキシコ市西部で地震の被害は聞いていない)に向かっているけど、心配だから救助隊は今どこにいるか分かったら教えて欲しい」と連絡がありました。
ちょっと待ったー、姪は高校生で、英語は話せても日本語は話せない、かつサンタフェなんて地震の被害は聞いていないし、未成年の子に危険な場所での通訳なんて頼まない、、と、ちょっと考えればわかる事なのに、この話に関わった、姪の父親、それを聞いた夫と、私に伝わるまで2人以上の大人フィルターがあるのに、この話の胡散臭さに気づかない事が怖い。
夫に、その情報は間違っていると思うから、今すぐ姪に家に帰るようにと伝えてもらいました。
大学から要請があったと言っていますが、こんなデマがあっという間に広がり、普段なら信頼できる情報かどうか判断出来ることも、地震後の混乱で周りに流されるんだと感じました。
「困ってる人を助けよう」と思っている人の善意から事実と違うものが生まれて広がっていく感じです。
SNSの拡散力は凄いです。そして、シェアされた発信元が分からない情報ほど無責任で信頼性がないことも痛感しました。
災害が起こったときは、信頼できる機関から出された正しい情報を入手して下さい。

私は地震後も通常通り出勤し、明るいうちに帰らせて貰っていました。テレビでは倒壊した建物の中にいる人の救出の様子を、ずっと中継しています。私は帰宅のルートが若干変わった他は、通常通りの生活を送っていました。

地震から5日過ぎた土曜日の朝、外で防災サイレンがなりました。私は、起きたばかりでコーヒーを入れようとしていたところです。窓にかけている縦型のブラインドが、ユラユラ揺れていたので、思わず通りに避難しました。
この日はオアハカが震源地だったようです

この日は、大きな余震に驚いたので、防災バッグを用意することにし、必要なものの買い物に行きました。
途中クアウテモック通りでは、14、5階建のマンションの外壁にバッテンの亀裂が繰り返し付いているビルや、半分倒壊しているビルがありました。ニュースで取り上げられて無かったところでも、こんな被害があるということは、メキシコ市内にどれだけ崩れかけた建物があるのか、考えると恐ろしいです。

大型スーパーは、私たちと同じことを考えてる人が、防災グッズを求めに来ていました。

ユダヤ系メキシコ人が、ネットで今回の地震について分析し、今後の地震の予測をしているサイトがあるのですが、そこで、近々この前より大きな震度8以上の地震が来るので用心するようにと声だかに言っています。
私も漠然とそんな気がしています。

先週末は、余震が怖かったので家で大人しくしていました。

そして今週、、、突然というかボンヤリと次に又大きな揺れが来たら怖いという思いが頭から離れず、気分が塞ぎがちになりました。
自分でコントロールできないところで、地震への恐怖が膨らんでいきました。
防災グッズを揃えたことで、必要以上に心配し過ぎてるかもしれないし、日常に襲って来た災害に対して、無意識にたまったストレスかもしれません。
心境的にローテンションでした。

そんな状態で、木曜日歯医者に行き、そこで歯医者から聞いた話で、それまでの渦の中から取り敢えず脱出しました。

と、今日はここまで。続く

本文と関係ありません。。




メキシコ地震 2

2017-09-29 | 日記
昨日書き忘れたこと
地震後オフィスにいましたが、近くに大きな病院が2つあるので、救急車のサイレンが途切れず、落ち着かない気持ちになりました。

家に着くと、停電で電気がありません。いつ戻るかも分かりません。取り敢えずロウソクを探しましたが、小さなものしかありませんでした。みなさんも、必ずロウソクは常備しましょう。

ハンドルを回して自家発電するライト付きラジオから近況を把握。私はオフィスで、ネットもテレビもあったのでそれまでの状況は分かっていたけど、停電で、テレビもネットも携帯のバッテリーもなかった夫の方が、情報が不足していました。ここで教訓です。電池式のラジオを用意し、予備の電池を近くに置くこと。

夕飯は何を食べたかな。覚えてないけど、ウチはIHなので、電気がないと料理も出来ません。もちろん電子レンジも使えないわけで、温かいものは食べれませんでした。でも、私たちは時々犬と山小屋に行くので、携帯用ガスコンロを持っていて、いざとなったらラーメンぐらいは作れたと思います。教訓、ガスコンロとガスを常備すること。

暗く、テレビもネットもない状態は、逆に時間がタップリあります。(普段忙しい〜と言ってる方は、電気を消してテレビとネットを付けなければいいのです!)
する事がないので、10時ごろ寝ることにしました。

ベッドで横になった時、電気が復活。途端に文明的な生活が戻ってきました。
携帯の充電が十分出来なかった夫が安堵してました。極端な話、私たちは携帯がなければ、生活出来ないほど携帯に依存しています。

テレビでニュースを見ていると、学校が崩れ中に子どもがいる事が分かりました。
次の日、中にいる女のコが携帯で無事を知らせたと報道され、その子を救い出す様子がずっと放映されてました。水を飲ませるために入れたホースが動いたとか、声が聞こえたとか。ほぼ2日ぐらい救出の様子がずっと中継され、いつ救出され女のコが現れるかみんなが注目していましたが、最終的にそんな女のコは存在しない事が判明。視聴者は踊らされた結果になりました。

メディアと言えば、(きっとこんな災害が起こるとテーマになるのだろうと思いますが)、人々はメディアから得る情報が全てになっています。メディアが、建物の倒壊場面ばかり放映すると、メキシコ中がガレキの山のような印象を与えます。現に日本に届いたニュースは、倒壊した建物の映像ばかりだったのだろうと想像します。
心配した日本の皆さんから連絡を頂きました。

日本にいる人ばかりではなく、メキシコの人たちも悲惨な映像ばかり見て、テレビにマインドコントロールされそうだなと怖くなりました。流されてくる情報を鵜呑みにせず、自分で判断できるようになりたいと思います。
ところが、こんな状況でも通常放送をする局もあり、チャンネルを変えるとアニメが流れていて、別世界のようでした。

私は、次の日通常通り勤務しましたが、メキシコ市全体でも働いてたオフィスは3割ぐらいだったと思います。
被害の大きさから3日間は喪に服すと公表されました。
この間、大統領はあまりメディアに現れなかったな。何してたんだろう。国の姿勢が伝わって来ませんでした。

この頃日本から救助隊が来ると伝わってきました。

今日はここまで。続く。

メキシコ地震

2017-09-28 | 日記
メキシコ地震から10日たちました。
いろんな心の動きがありましたが、生きているのは幸運なんだなぁと言うのが、今の心境です。

長くなりますので、覚悟してね。

地震が起こったのは1:15ぐらい。ちょうどスタッフミーティング中で、揺れに気付いたけどすぐおさまるだろうと思ってたら、どんどん強くなり怖くなりました。今まで私が体験した中で一番揺れが大きくて長かったです。(今でも揺れの大きさがトラウマです)

揺れが収まってからすぐ非常階段で6階から降り、路上に出ました。メキシコは建物が危ないので、地震後は建物の検査を終えて異常がないか確かめてからでないと中に戻れません。

この時点で、今回の地震がかなり大きかったことが分かりました。救急車が何台も目の前を通り過ぎて行きました。

夫は55階建ビルの27階にいるので、携帯で無事が分かるまでの20分ぐらいは、とても心配でした。55階建てビルで働く全ての人が、2つの非常階段を降り30分かけて路上に出たそうです。

私たちはその後、異常なしということでオフィスに戻たのですが、部屋の隅の天井板が2箇所落ちてました。図書室の本も数冊落ちてました。オフィスの被害はこれぐらいです。

テレビで状況を確認すると、よくご飯を食べたり、キングと散歩したローマ、コンデッサ地区の建物倒壊の様子がずっと流されていました。この時点で、オフィスでは、電気も水道もインターネットも通常通りで、仕事ができる状態でした。
夫は、オフィスには戻らずそのまま帰宅。公共の交通機関がないので、2時間かけて歩いて帰宅しました。犬たちは興奮してたけど、みんな無事でした。この時点で家は停電になりました。

地震直後は倒壊している建物が多く、道が閉鎖され、家路に急ぐ車の渋滞が起こったそうです。子供を学校に迎えに行った友達は、もうつかないかと思ったほどに、ひどい渋滞が起こったようです。彼女は、これがトラウマになってるそうです。

私は、渋滞を避けて夕方7時ごろオフィスを出ましたが、いつも通る道が閉鎖され交通警備員に通行止めと言われ、途方にくれ新しいルートを考えてモタモタしてたら、バイク二人乗りの悪い集団グループが現れました。どうして、辛い思いをしてる人もいるのに、面白半分につるんで暴走するなんてことが思いつくのか不思議でした。

途中、がれきと人だかりの横を通りました。テレビで中継して倒壊した建物の1つのようです。中にまだ人がいるんだろうなと思いながら、通り過ぎました。

その後も何故かバイクグループに目をつけられてしまい、クルマに寄ってきて並走され、怖い思いをしました。災害をアドレナリンにした獣のようでした。家が近かったので、家までの辛抱と思ってたら、どっかに行ってくれて、幸い何事もありませんでした。

家に着いたら携帯のバッテリーが切れた夫が私と車を待ってました。即クルマで携帯の充電を始めました。ここで教訓です。バッテリーは努めて100パーセントに近い状況にすること。モバイルバッテリーを常備すること!(早速購入しました!)

家の被害は屋上の水タンクが動き、管が外れたこと。幸い支えてるだけの管なので水漏れはありませんでした。

次の日、私は出勤、夫は自宅勤務でした。
閉鎖されてる道があっても、道路はガラガラ。働いてる会社が少ないから、逆にこっちの仕事がはかどるーぐらいの気持ちでした。この日辺りは。。

今日は、疲れたのでここまで。
続く。