今朝の酔言で書いた、偏差値70からの受験・・・
受験にはまったく無縁な世界で生きてきた私には、ある種、衝撃的な話しであった。ここまで、受験と言うものが学生を苦しめる・・・う~ん適当ではないなぁ・・・ものなのかと・・・ただ十代の時と言うのはやりたい事があるのに、それが見つからず、悩み、苦しみ、喘ぎ続ける時代だと言う事は少なからずの経験から知っていた。だからこそ、ここまでなのかと・・・
奇妙な違和感を感じたのは、この作者も言っていた事なのだが、人生を生きていく上で最初に得られるチケットの終着駅がどこにあるのか、と言う選択、もしくは選別の第一段階が受験であると言う事なのだ。これは、多分、どんな奇麗事を言おうが、今の日本では動かしがたい事実である、しかして私の感じた違和感とは、それ、自体なのである。時代の中でそのような選別を行わないと、何かが円滑に進まないって事があったのも事実だし、それ自体を否定するつもりもないのだけれど・・・時代というのはそれ自体がもの凄いスピードで進んでいて、今あったものは、あっという間に過去の遺物と化している。しかし、人と言うのは実際、その集大成としての意識として時代を構築しているのに、必ずと言っていいほどそれに乗り遅れてしまう。その温度差に耐え切れず、ある種、昔の名前で出ています的発想をしてしまう。そうする事によって、その時代を生きている、他の人達となんともいえない一体感、何かを共有している満足感てのに浸れるのではないだろうか・・・
決して私はそれを否定するつもりはないのだけれども、それは自分の可能性に対する裏切りであるし、成長には繋がらないと思う。作者も言っていたのだが、勉強する、知識をつけて本当に豊な人生を送る、と言う事と受験で覚えなければならない、しなければいけない勉強とは別物なのであろう。そんな事は賢明で世慣れた、どの時代の学生も知っている事なのだけれども、人ってのは手に入れたもの、今在る自分と言うものを変えて、新たなる事に着手していくってのは本当に大変な事なのだと思う。故に結果、既存の価値観に迎合し、世間と言う、自分から始まってる世界に飲み込まれていくのだろう。
しか~しね、このお話しは面白かった。社会に出てから直面するであろう、人との関わり合い、妬み、嫉み、足の引っ張り合い・・・等々を受験、必死に勉強をしているだけ、って事だけで気付いてしまった。それにもまして努力をし続けていくとかなりの所までは昇って行ける。しかし、その先の本当の頂点てのはそこまでやった者のみに許された、ある種の無我の境地であるって事までが分かってしまった。彼(作者は)そこで得られた爽快感てのを言っているし、私にはよく分からない偏差値80の、受験の世界で言われている、神の領域に到達したとしても、そこでは、そこにいる者にのみ許された、また同じような世界が展開されている事さえも垣間見てしまった・・・う~ん、すごい事だ。
何事もとことんやってみて、ここが本当に自分の限界ってのを感じるってのは快感なんだよなぁ・・・例えそれが、受験って事であっても・・・いろんな事を突き詰めて、極めるのには人生ってのは短すぎる。私の基本的な、自分に言い聞かせている事、一個が極められれば、互換のなかで他の事もある程度解かる。ってのは凡人に許された人生の楽しみ方なのかな・・・なんて思ってしまいました。
一気に書いてきて、私の悪いとこ・・・あまり読み返さない、誤字、脱字もしくは言い回しの分かり辛いとこたくさんあるとは思うのだけれどもしゃべるように思った事書かせてもらいました。これもまた、私が生きていく上での決め事・・・こんな事言っていても、今夜は違う事言っている・・・成長する上での朝令暮改・・・ちょっとずるいかな・・・でも楽しい読み物です。よろしかったらみなさんも読んでみて感想聞かせて下さい。なんせ、受験の実体を全く知らない私なのですから・・・
それからアドレス書いといて、そこから直接飛べるようにしたつもりだったのだけれど・・・分からん・・・ごめんなさい、飛べないのね・・・
受験にはまったく無縁な世界で生きてきた私には、ある種、衝撃的な話しであった。ここまで、受験と言うものが学生を苦しめる・・・う~ん適当ではないなぁ・・・ものなのかと・・・ただ十代の時と言うのはやりたい事があるのに、それが見つからず、悩み、苦しみ、喘ぎ続ける時代だと言う事は少なからずの経験から知っていた。だからこそ、ここまでなのかと・・・
奇妙な違和感を感じたのは、この作者も言っていた事なのだが、人生を生きていく上で最初に得られるチケットの終着駅がどこにあるのか、と言う選択、もしくは選別の第一段階が受験であると言う事なのだ。これは、多分、どんな奇麗事を言おうが、今の日本では動かしがたい事実である、しかして私の感じた違和感とは、それ、自体なのである。時代の中でそのような選別を行わないと、何かが円滑に進まないって事があったのも事実だし、それ自体を否定するつもりもないのだけれど・・・時代というのはそれ自体がもの凄いスピードで進んでいて、今あったものは、あっという間に過去の遺物と化している。しかし、人と言うのは実際、その集大成としての意識として時代を構築しているのに、必ずと言っていいほどそれに乗り遅れてしまう。その温度差に耐え切れず、ある種、昔の名前で出ています的発想をしてしまう。そうする事によって、その時代を生きている、他の人達となんともいえない一体感、何かを共有している満足感てのに浸れるのではないだろうか・・・
決して私はそれを否定するつもりはないのだけれども、それは自分の可能性に対する裏切りであるし、成長には繋がらないと思う。作者も言っていたのだが、勉強する、知識をつけて本当に豊な人生を送る、と言う事と受験で覚えなければならない、しなければいけない勉強とは別物なのであろう。そんな事は賢明で世慣れた、どの時代の学生も知っている事なのだけれども、人ってのは手に入れたもの、今在る自分と言うものを変えて、新たなる事に着手していくってのは本当に大変な事なのだと思う。故に結果、既存の価値観に迎合し、世間と言う、自分から始まってる世界に飲み込まれていくのだろう。
しか~しね、このお話しは面白かった。社会に出てから直面するであろう、人との関わり合い、妬み、嫉み、足の引っ張り合い・・・等々を受験、必死に勉強をしているだけ、って事だけで気付いてしまった。それにもまして努力をし続けていくとかなりの所までは昇って行ける。しかし、その先の本当の頂点てのはそこまでやった者のみに許された、ある種の無我の境地であるって事までが分かってしまった。彼(作者は)そこで得られた爽快感てのを言っているし、私にはよく分からない偏差値80の、受験の世界で言われている、神の領域に到達したとしても、そこでは、そこにいる者にのみ許された、また同じような世界が展開されている事さえも垣間見てしまった・・・う~ん、すごい事だ。
何事もとことんやってみて、ここが本当に自分の限界ってのを感じるってのは快感なんだよなぁ・・・例えそれが、受験って事であっても・・・いろんな事を突き詰めて、極めるのには人生ってのは短すぎる。私の基本的な、自分に言い聞かせている事、一個が極められれば、互換のなかで他の事もある程度解かる。ってのは凡人に許された人生の楽しみ方なのかな・・・なんて思ってしまいました。
一気に書いてきて、私の悪いとこ・・・あまり読み返さない、誤字、脱字もしくは言い回しの分かり辛いとこたくさんあるとは思うのだけれどもしゃべるように思った事書かせてもらいました。これもまた、私が生きていく上での決め事・・・こんな事言っていても、今夜は違う事言っている・・・成長する上での朝令暮改・・・ちょっとずるいかな・・・でも楽しい読み物です。よろしかったらみなさんも読んでみて感想聞かせて下さい。なんせ、受験の実体を全く知らない私なのですから・・・
それからアドレス書いといて、そこから直接飛べるようにしたつもりだったのだけれど・・・分からん・・・ごめんなさい、飛べないのね・・・
今回はあの大陸や半島のコトをあまり話せませんでした。次行ったときに是非お話しましょう。