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養老の滝

2013-01-19 | 名所


                      【孝子物語】

千二百年ほど昔、養老山麓に源丞内という貧しいきこりが年老いた父と住んでいました。
ある日、源丞内が山奥に入り薪を採っていると、どこからともなくお酒の匂いがしてきました。
不思議に思い、辺りを見回すと、石の間から山吹色の水が流れ、手ですくってなめてみると本当のお酒でした。
親思いの源丞内が毎日これをひさごに汲んで帰ると、お酒の好きな父は大変喜びました。
水がお酒になったのは「親孝行のたまもの」との噂は時の元正天皇にも伝わりました。
そして元号を養老と改められ、水がお酒になったところは「養老の滝」と命名され、源丞内はのちに美濃守となりました。


 

養老駅(養老鉄道養老線)

 

富士山

2013-01-01 | 名所




     青空高く そびえたち
     からだに雪の 着物着て
        かすみのすそを 遠くひく
        富士は 日本一の山 



江戸時代の面影を残す寺内町今井

2012-11-26 | 名所
 

称念寺を中心とした寺内町今井は、完全な城塞都市で江戸時代初期には、東西600メートル、南北310メートル、周囲には環濠土居を築いた戸数1100軒、人口約4000数百人を擁する財力豊かな町であったと考えられる。

 

 

内部の道路で見通しのきくものはなく、ほとんどが一度屈折させてある。これは、敵の侵入に備えて、その遠見、見通し、弓矢・鉄砲の射通しを不可能にしたものであった。 これらは当初、軍事目的のためにつくられたものであるが、江戸時代中頃は富裕な商人の生命、財産等を外部から守るというものに変貌した。

 

9つの門からは木橋を通って濠を渡り、外部の道路に続いている。

 


所在地 奈良県橿原市今井町

天空の城(竹田城)

2012-11-23 | 名所


竹田城は、天守台をほぼ中央に置き、本丸以下、二の丸・三の丸・南二の丸が梯郭式に配され、大手口を防御する枡形部に沿う北千畳郭と搦手口のある南千畳を双翼とし、さらに天守台の北西部には花屋敷と称する一郭がある。

 

規模は南北約400メートル、東西約100メートルである。

 


所在地 兵庫県朝来市和田山町竹田213

錦帯橋

2012-10-01 | 名所


流されない橋を作りたいという先人達の情熱と独自の技術によって生み出された錦帯橋

        

中央3連は迫持式といわれるアーチ構造   両端の2橋は反りを持った桁橋構造と呼ばれる




楊貴妃伝説

2012-09-30 | 名所
楊貴妃は、戦乱を逃れ日本海を渡って唐の国より山口県油谷の里に辿り着いたと云えられている。



玄宗皇帝の愛妃・楊貴妃の歴史ロマンにちなんで「楊貴妃の里」が作られ、大理石の楊貴妃像が真西(西安方向)に向かって立っている。

        


所在地 山口県長門市油谷向津具下津

津和野物語(其の参)

2012-09-22 | 名所
多胡家老門                                                   津和野町郷土館

 

喜多屋(石州和紙)                                     アンティックドール美術館

 




軍医として、そして文学者として ・ ・ ・

第1展示室は、上京するところから始まり、生涯を閉じるまでを映像や著作、遺品、直筆原稿などで紹介している。小憩ホールからは三本松城の石垣を眺望できる。

  

森鴎外旧宅(国指定文化財)

森鴎外(本名森林太郎)は文久二年(1862)一月十九日この家に生まれ、明治五年(1872)十歳で上京するまでこの家で過ごした。
この建物は嘉永六年(1854)に発生した火災の後に建てられたと伝えられる、

   

   

この他、西周旧宅、嘉楽園(物見櫓・馬場先櫓)など散策したが津和野は急ぎ旅ではなく2~3日滞在すれば、また見る目も変わるだろう。




津和野物語(其の弐)

2012-09-20 | 名所
「藩政時代の面影を残す城下町」「山陰の小京都」といわれる津和野

 

本町通りから殿町通りへ

    

掘割、白壁、石州瓦 津和野は江戸時代津和野藩の城下町として栄えたまち

 

養老館(津和野藩校)島根県指定史跡



郷愁に満ちた山陰の小京都を満喫する津和野


津和野物語 (其の壱)

2012-09-18 | 名所
津和野城跡出丸跡から津和野大橋方面を望む。



津和野城は鎌倉時代に吉見頼行公が30年かけて築城したもので三本松城とも呼ばれる。
出丸は、1600年津和野に入城した坂崎出羽守直盛が津和野城改築の折に築いたもので別名「織部丸」ともいわれる。

    

出丸は門を入ると右に番所があり石垣に沿って堀が巡らされていた。

    

昔の侍は偉かった、この山城歩いて登城した。
出丸門から本丸門まで約250メートル、約10分、「殿 残念じゃ 雨が降ってきたので 帰るゎ」

月見台

2012-09-14 | 名所
旧月見台(須磨離宮公園)



この地を月見台と称するのは旧・武庫離宮建造の際、かねてより須磨の名勝とされていた在原行平ゆかりの「月見の松」付近に石灯篭や傘形四阿舎「傘亭」を建てたことによるとある。



四阿舎の屋根は六角形の竹穂葺きで作られていたが太平洋戦争の空襲で焼け落ち立木に似せた青銅鋳物の支柱のみが残っていた。

古来、月見の名所は静かな水面に月が映える眺望の良い場所が選ばれ、この地も「遠く波間に淡路島を望む庭内第一の景勝地」と記録されていると案内される。

ほてい寺(養仙寺)

2012-08-26 | 名所
約500体余りの布袋像を祀っていることから別名ほてい寺と呼ばれている。

 
ほてい尊は七福神のなかで唯一実在の人物で度量と寛容の大切さを説き身をもって大衆と共に教えを行じた僧とある。




所在地 兵庫県亀岡市千歳町国分南山ノ口17