たあるの忘却亭日常

たあること私めの日常茶めし事などを綴ります

滝波川本谷左俣2007.08.26 (2) ~追い上げられて・・・

2007-09-12 02:49:54 | Weblog
 地元の人の今月初旬に遡行したというブログでは、ゴルジュは右岸を巻いた、とあったのだが、、、「写真」のように右岸=向かって左側はほぼ垂直に切り立っていてかなり大きく巻かないといけないようであったので、向かって右、左岸のゴルジュ側壁の上の草付を(下から見るかぎり傾斜が緩るそうに見えたので)トラバースして上段の滝の落ち口に出ようとしたのだか、、、

しかしここ奥越山地も夏場には消えるとはいえ多雪をみる山々である。残雪跡特有のなんとなくヤラシサさを秘めた草付にスリップの危険を感じて、樹林に逃げ込んだのだが。。。そしてだんだんと水線から離れ、高い方高い方へと。
いわゆる「追い上げられる」というやつである。次第に薮も濃くなり、足は地面につかず、地面を這う木の枝に乗って、上部の枝につかまって体を持ち上げる---三村さんから聞いた笈が岳への薮漕ぎもこんなのだったのかなと想像しつつ---そんな作業を繰り返す。先を行く現役君にもう一度谷に降り沢を詰めようと提案するも、彼らはなかなか頑固というか、あるいは薮漕ぎに相当思い入れがあるのか、もう少しです、あとウン百mで主稜線なので、、とか言ってどんどん密集した枝をかき分けてズリ上がって行く。

そのうち私は軽い脱水症状なのかミネラル不足なのか、大腿部がツったのか肉離れなのか痙攣しだした・・フクラハギのこむらがえりはよく起こるが太股の痙攣は初体験・・・まあ日頃からの運動不足なので不思議ないのだが、、、この時点でスポーツ飲料を急いで補給するが水腹になるのみで体に回ってないのがよくわかる。昔、森川さんの会社で荷役のバイトの時に支給された丸塩(と確か呼んでいた錠剤)みたいなのが速効性がありこういうときのために用意しといたほうがよいのかなあ、などと考えながら現役君らから随分遅れながらもガサ・ボソ・ズリ・ゴソゴソ・フゥ~ッ、 #$%&#$%&、と兎も角もぼちぼちと追っていく。
先を行く現役二人の踏み跡は残るわけもなく、顔をあげると、彼ら二人のどちらかのザックかヘルメットの一部がたまにブッシュの隙間からチラリ見える、その方向に向け、ただひたすら、より高いところへ、そして出来るだけ尾根の背を外さぬようにと、我が身を上方に移動させるのみの数時間であった。

1150mあたりから高巻をはじめて1580mの主稜線上(2004年2月、大長山を行き過ぎてC2とした地点)の登山道に抜け出たのは、午後4時50分であった。水線を離れて実に4時間半、木々の密叢と戯れていたのである。
 
ここから余力のある現役の二人は、大長山の頂上を駆足でおよそ30分で往復してきた。
その後はよく踏まれた径を小原峠を経由して林道終点にゴールしたのは夕暮れ迫る午後6時30分になっていた。
(ここは大駐車場となっており約100台がP可である。どうも2004年2月の例の報道以後、赤兎・大長の登山基地として地元中高年登山者が激増したようで、オーバーユース気味となり9月から入山料を地元が徴収するそうな。)

ああしんどかった!
源流部を辿れなかったのは心残りだが、でもしんどいなりの達成感というか、この疲労感もいいもんである。
駐車場には唯一台、我が家のデリカ号のみ。午後4時前からここに迎えに来ていた家内いわく「まるでお散歩帰りっていう感じやったよ。現役さん達はね!」だと?!

では、無事帰路につくべし、と思ったのも束の間、、、入山料を取ろうかというワリにはボコボコの超悪路の林道を夕闇が次第に濃くなってきたのでここからは私の運転でと、下り始めた、ところが、、そのとたん、トラブル発生、、、フットブレーキをかけようしたら、こむらがえりがぁ~、、、今度はフクラハギが攣ってしまったのである。

・・・・

そして、トラブルはそれだけではなかった。
我々の齢になると週半ばに筋肉痛やら疲れがドッと出るのだが、、、今回はそうした「疲労」は出なかった。出たのは、赤いブツブツ!!。手首から腕にかけて発疹が火曜日あたりから出て来たのである。
猛烈な薮漕ぎのため、肌を露出していた袖口からウルシ科の植物にカブレてしまったらしい。以後、両腕に発疹、かやみ、やがて発疹が潰れて汁が出て、というふうに悩まされ、全治までおよそ十日。
そしてやっとようやく数日前に発疹がひき、その跡にかすかに痒みが残るが、ほぼ回復した。そんなことで、ようやく遅まきながら、以上報告と個人的感想まで、でした。