牽強付会、って言葉がありますが。
邪馬台国やっぱり畿内?有利な証拠集まる : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
まぁ、ぶっちゃけ邪馬台国が畿内にあろうと九州にあろうとどっちだっていいんですが(それが判ると今の我々の生活が変わるとかいうわけでなし)、この記事を何の先入観もなしに読んだ人は、果たして山尾氏の言うことに素直に頷けるでせうか。この記事に書かれているのは、「邪馬台国と同時代とされるホケノ山古墳と、近畿や瀬戸内各地の古墳には共通する特徴がある」ということだけですからねぇ。「魏志倭人伝」(の現代語訳(^^;;)を通して読んだことのあるワタシには、この記事はどう読んだって山尾氏の言い分より高島氏の言い分のほうに分があるように思います。もちろん高島氏の言うことだって「どうして邪馬台国ではないと言い切れるのさ」って思いますけど。
読売新聞にとっては、どうも邪馬台国は畿内にあって欲しいらしいです。5年前にもこんなこと書いてましたし。それにしたって、この記事はかなりコジツケくさいですなぁ。今これを載せる意味がさっぱりわかりませぬ。ちなみにワタシ的には、邪馬台国の時代は今ほど交通機関が発達していないので、当時文明的に進んでいた中国大陸に近いトコロのほうがより高度な文明を持っていたと思えるので、邪馬台国は九州にあったと考える方が自然なんでね? とか思ってますが。
邪馬台国やっぱり畿内?有利な証拠集まる : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
古代史最大の謎とされる邪馬台国の所在地について、「畿内大和説」に有利な“証拠”が、近年の発掘調査で集まってきた。
邪馬台国が存在した時代(3世紀前半~中ごろ)に築造されたとされる奈良県桜井市のホケノ山古墳(全長80メートル)を中心とする大和地方の古墳と瀬戸内地方東部などの古墳との間に強い結びつきがあったことが明らかになりつつある。
2000年に発掘されたホケノ山古墳は、〈1〉墳丘が前方後円形〈2〉木槨(もっかく)内に木棺を納めた二重構造の埋葬施設〈3〉画文帯(がもんたい)神獣鏡など中国鏡の副葬――という三つの特徴があった。
一方、今年3月、徳島県教委などが調査した同県鳴門市の萩原2号墓は埋葬施設は未確認だが、全長25メートルの前方後円形で、3世紀前半の築造。その南50メートルにある同時期の萩原1号墓からは1979、80年の発掘で画文帯神獣鏡が出土している。埋葬施設は二重構造とみられている。
さらに、兵庫県たつの市の綾部山39号墓では03年9月、二重構造の埋葬施設と画文帯神獣鏡が出土。墳形も前方後円形の可能性が強いとされる。
こうした特徴が一致するのは、京都府南丹市の黒田古墳、岡山県総社市の宮山古墳、兵庫県加古川市の西条52号墳など、近畿や瀬戸内東部で十数基に達する。
山尾幸久・立命館大名誉教授(古代史)は「共通する墳形や埋葬施設、副葬品は、同じ信仰や価値観念を共有し、結びついていた証拠。その中心が邪馬台国であり、後の大和王権につながる」と考える。
しかし、九州説を唱える高島忠平・佐賀女子短大学長(考古学)は「ホケノ山古墳などの年代観が正しいとしても、日本列島全体が統一されていない段階。大和に大国があってもよいが、それは邪馬台国ではない」と反論している。
◆邪馬台国=3世紀後半の中国の史書「魏志倭人伝」に記された倭(日本)の諸国のうち最大の国で、諸国に擁立された女王・卑弥呼が都とした。所在地を巡っては、江戸時代以来、九州北部にあったという九州説と畿内大和説とが激しく対立している。
(2006年8月22日14時38分 読売新聞)
まぁ、ぶっちゃけ邪馬台国が畿内にあろうと九州にあろうとどっちだっていいんですが(それが判ると今の我々の生活が変わるとかいうわけでなし)、この記事を何の先入観もなしに読んだ人は、果たして山尾氏の言うことに素直に頷けるでせうか。この記事に書かれているのは、「邪馬台国と同時代とされるホケノ山古墳と、近畿や瀬戸内各地の古墳には共通する特徴がある」ということだけですからねぇ。「魏志倭人伝」(の現代語訳(^^;;)を通して読んだことのあるワタシには、この記事はどう読んだって山尾氏の言い分より高島氏の言い分のほうに分があるように思います。もちろん高島氏の言うことだって「どうして邪馬台国ではないと言い切れるのさ」って思いますけど。
読売新聞にとっては、どうも邪馬台国は畿内にあって欲しいらしいです。5年前にもこんなこと書いてましたし。それにしたって、この記事はかなりコジツケくさいですなぁ。今これを載せる意味がさっぱりわかりませぬ。ちなみにワタシ的には、邪馬台国の時代は今ほど交通機関が発達していないので、当時文明的に進んでいた中国大陸に近いトコロのほうがより高度な文明を持っていたと思えるので、邪馬台国は九州にあったと考える方が自然なんでね? とか思ってますが。
でも、邪馬台国畿内説を唱える人はマルクス系の学者に多いとか。つまり、大和の豪族が武力で各地を制圧したのが現皇室の祖で、大日本帝国はその末裔である!これは歴史的必然として、やがては他の被征服民によって転覆されねばならない!!という香しい考えがベースにあるそうな。
そういえば、今度みたいなちょっと痛いなあって論が多いな畿内説。
大雑把に言って、畿内説は方角に、九州説には里程に弱点がありまする。今の松浦半島一帯でほぼ鉄板の末廬国からの距離を、「魏志倭人伝」に書かれている通りに邪馬台国までなぞっていくと、九州の南海上にまで達してしまう解釈もできるんですよね。「邪馬台国フィリピン説」なんてのもあるくらいで。だから里程が合わないことを無視したりしてるのが痛い。一方の畿内説は、『「魏志倭人伝」に書かれた「南」は「東」の書き間違い』なんてこと言わなくちゃならないあたり、すでにコジツケ臭がプンプンなわけです。
↓この方も畿内説には批判的。リンク先は音が出ます。
http://inoues.net/club/makimuku.html
『邪馬台国が大和朝廷の祖であるならば、記紀にその記録が残っているはず。なぜそれがないのか』という疑問は説得力ありますなぁ。特に日本書紀なんか、大和朝廷の正統性を主張するために編纂されたものなんですから。『卑弥呼の記憶は“天照大神”となって神話に残った』という説はロマンがあっていいですね。
それなんてムー大陸?(w
これは鍋つねんがヨミウリ憲法で新邪馬台国を建国するための陰謀だったんだよ!!!!(AA略
実際問題として年代が被らないような気もします(真に受けるな)。
これによると周防灘沖合にあった「知珂島」が、
邪馬台国の所在地で、地殻変動で沈んだっていうのだが。
いや、その本立ち読みしたことがあるすよ。
プレートテクニクスの驚異!みたいな感じだったなあと。
なにとぞ良しなに。
ところで、その瀬戸内にあった島っていうか、その場所付近、島が沈むほどの地殻変動が起きる可能性ってあるんですか?(^^;
いやその、ね、阪神の震災みたいな「活断層型地震」みたいなのはありそうなんですが、はたしてそれで島が沈む可能性があるんでせうか?(^^;