やあ、どうも。
半島ヲチャー・Kusu☆BU-riです。 カッコエエw
ええと、
強制連行についてなんだけど。
最初に認識しなければいけないのは
当時、朝鮮は国際的に見ても、
合法的に併合された『日本』であった
ということ。
朝鮮人、とは
『朝鮮半島出身の日本人』
という意味であること。
法的には、
朝鮮戸籍といわれる戸籍に登載された者を朝鮮人と称する、ということ。
国籍は日本。
さて本題。
強制連行、とは何を指しているのかというと
『国家総動員法』1938年(昭和13)4月
に基づいて1939年(昭和14)に策定された
朝鮮人内地移送計画
によって朝鮮人労働者が
朝鮮半島から日本内地へと集団的に移送されたことを指してる。
この計画によって7年もの間、朝鮮人が
強制的に移送されてきたかというと、
そうじゃないんだ。
じゃ、その流れを見ていこう。
『強制連行』以前の状況からね。
朝鮮人の日本への渡航は
制限はされていたんだけど、
日本国籍を有するとして
容易に入ることができた。
けれども
朝鮮人の日本への渡航がたくさんあって、
日本の失業者が増加するので朝鮮総督府は、
日本企業の朝鮮人募集に対して、
<労働者募集取り締>という行政指導を行い規制する。
しかし、
東亜日報は1921年(大正10)9月9日に社説で、
「朝鮮人全体を無視し侮辱する悪法」と言ってキャンペーンを行った。
1922年(大正11)12月5日
「府令第153号」を発令して制限を撤廃。
1924年(大正13)5月17日には
釜山港で5万人程の市民集会があり、
渡日制限撤廃を訴え、朝鮮労農総同盟、朝鮮青年同盟が抗議をしている。
在日朝鮮人の数は、
1925年(大正14)には13万人
1933年(昭和8)には46万人に増えていた。
1938年(昭和13)4月
国家総動員法が成立
第4条
必要なる時は勅令の定めるところにより、帝国臣民を徴用する事が出来る
1939年(昭和14)4月
日本では
国家総動員法 第4条 に基づき徴用令が施行された。
台湾では、
徴用令の制定に合わせ
10月府令で施行規則が制定され
台湾本島他、内地や南方占領地に徴用された。
しかし、
朝鮮では施行されず
9月に
自由募集
が始まっただけだった。
それまで、
朝鮮人の内地の移住は
『労働市場を乱す』
として制限されていたんだ。
1942年(昭和17)2月
自由募集が、
官斡旋
に切り替わる。
1944年(昭和19)9月
戦争が終わりに近づいたこの年に内地同様の
徴用令
が施行された。
1945年(昭和20)8月
終戦
さて、
日本国内の労働力不足を補うために朝鮮で行われた戦時動員は
3段階あったことがわかったと思う。
1939年 9月 自由募集
↓ (2年5ヶ月)
1942年 2月 官斡旋
↓ (2年7ヵ月)
1944年 9月 徴用
↓ (11ヵ月)
1945年 8月 終戦
といった流れで。
このうち、
応じないと処罰の対象になる
というのは徴用だけ。
他の2つはわりと緩やかだったんだ。
さあ、だんだんウソがばれてきたねw
<2へ>
半島ヲチャー・Kusu☆BU-riです。 カッコエエw
ええと、
強制連行についてなんだけど。
最初に認識しなければいけないのは
当時、朝鮮は国際的に見ても、
合法的に併合された『日本』であった
ということ。
朝鮮人、とは
『朝鮮半島出身の日本人』
という意味であること。
法的には、
朝鮮戸籍といわれる戸籍に登載された者を朝鮮人と称する、ということ。
国籍は日本。
さて本題。
強制連行、とは何を指しているのかというと
『国家総動員法』1938年(昭和13)4月
に基づいて1939年(昭和14)に策定された
朝鮮人内地移送計画
によって朝鮮人労働者が
朝鮮半島から日本内地へと集団的に移送されたことを指してる。
この計画によって7年もの間、朝鮮人が
強制的に移送されてきたかというと、
そうじゃないんだ。
じゃ、その流れを見ていこう。
『強制連行』以前の状況からね。
朝鮮人の日本への渡航は
制限はされていたんだけど、
日本国籍を有するとして
容易に入ることができた。
けれども
朝鮮人の日本への渡航がたくさんあって、
日本の失業者が増加するので朝鮮総督府は、
日本企業の朝鮮人募集に対して、
<労働者募集取り締>という行政指導を行い規制する。
しかし、
東亜日報は1921年(大正10)9月9日に社説で、
「朝鮮人全体を無視し侮辱する悪法」と言ってキャンペーンを行った。
1922年(大正11)12月5日
「府令第153号」を発令して制限を撤廃。
1924年(大正13)5月17日には
釜山港で5万人程の市民集会があり、
渡日制限撤廃を訴え、朝鮮労農総同盟、朝鮮青年同盟が抗議をしている。
在日朝鮮人の数は、
1925年(大正14)には13万人
1933年(昭和8)には46万人に増えていた。
1938年(昭和13)4月
国家総動員法が成立
第4条
必要なる時は勅令の定めるところにより、帝国臣民を徴用する事が出来る
1939年(昭和14)4月
日本では
国家総動員法 第4条 に基づき徴用令が施行された。
台湾では、
徴用令の制定に合わせ
10月府令で施行規則が制定され
台湾本島他、内地や南方占領地に徴用された。
しかし、
朝鮮では施行されず
9月に
自由募集
が始まっただけだった。
それまで、
朝鮮人の内地の移住は
『労働市場を乱す』
として制限されていたんだ。
1942年(昭和17)2月
自由募集が、
官斡旋
に切り替わる。
1944年(昭和19)9月
戦争が終わりに近づいたこの年に内地同様の
徴用令
が施行された。
1945年(昭和20)8月
終戦
さて、
日本国内の労働力不足を補うために朝鮮で行われた戦時動員は
3段階あったことがわかったと思う。
1939年 9月 自由募集
↓ (2年5ヶ月)
1942年 2月 官斡旋
↓ (2年7ヵ月)
1944年 9月 徴用
↓ (11ヵ月)
1945年 8月 終戦
といった流れで。
このうち、
応じないと処罰の対象になる
というのは徴用だけ。
他の2つはわりと緩やかだったんだ。
さあ、だんだんウソがばれてきたねw
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