くるみの世界

金でやっていく世の中や、あいさつが正しいとされていることは間違っているということを主張したいです。

脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ3

2023年05月07日 | 脱金社会
目次
第1章から第8章へのリンク
第9章から第10章へのリンク
11.大勢と同じことをしていたら無難だと思っている人が多そう
12.多くの人がやっていることのほとんどはやりたくないことだろう
13.言葉という変なもの おかしい変な基準 おかしい変な法律
14.全ての人に対して愛があるのなら金でやっていく世の中など要らない
15.2人のサッカー選手に見る日本人の独裁的、支配的さ
16.見下している人やバカにしている人、おかしいと思う人について言い表す言葉
第17章へのリンク
第18章から第19章へのリンク
第20章から第24章へのリンク
第25章から第29章へのリンク
第30章へのリンク
第31章へのリンク
第32章から第34章へのリンク
第35章から第39章へのリンク
第40章から第41章へのリンク
第42章から第45章へのリンク
第46章へのリンク
第47章へのリンク

 

11.大勢と同じことをしていたら無難だと思っている人が多そう

 

私がごみを捨てに行くゴミ捨て場は、檻みたいなゴミ捨て場でカギが掛かっている。
燃えるごみは火曜と金曜の週2回で、資源ごみと埋め立てゴミは、それぞれ月に一回ずつあって、
ゴミ当番がゴミの日の前日の夜6時から8時までにカギを開けに行かなければいけない決まりがあり、
ゴミ当番は一回やると次の当番にカギを渡しに行く決まりになっている。
こんな決まりいらないと私は思うが、何のためにこんな決まりを作っているのだろうか?
火曜の当番が、翌日が資源ごみだった場合に火曜にカギを閉めて、次の当番にカギを渡しに行ったら、
その日の夜にはカギを開けないといけないのに、何のためにゴミ捨て場を閉めないといけないのか?
カギを閉めずにずっと開けておけばいいことだ。
ゴミ捨て場の中にあるバケツや、ほうきなどを誰かに取られるかもしれないという理由でカギを閉めるようにしているとするのならば、ゴミの日や、その前の日などは開いている時もあるわけだから、なんでゴミ捨て場を閉めるのか?

 

もし、当番の人がカギを開け忘れていたり、開けに行くのが面倒だからなどの理由でカギを開けなかったら、開けなかった人が不満を持たれて、「地域のルールを守れ。人に迷惑かける」とか言う人が絶対にいるだろうが、ゴミ捨て場の決まり(ルール)を作った人や、その決まりを正しいと信じている人や、その決まりを嫌々守っている人を問題視したり、おかしいと思う人はあまりいないだろう。
ゴミ捨て場の決まり(ルール)だけではなくて、他の決まりでも同じことだ。
大勢がやっていることは問題視されにくく、大勢と同じことをしない人は変は目で見られたり、問題視されやすい。
 
同じ日本でもゴミ捨て場事情など全然違うのだ。私が大阪に住んでいた時に、いくつかのマンションに住んでたが、ゴミ当番なんてなかったし、ゴミ捨て場にカギなど掛かっていなかった。
日本人は人の気持ちが分かるという人もいるが、あまり人のことを分かっていないだろう。

 

ゴミ捨て場にカギが掛かっていて当番が開けなければいけない決まりを、やる必要がないと思っていたり、嫌がったり、面倒くさがっている人はたくさんいるだろうが、町内会の上の人にカギを掛けなくてもいいのではないかと言っても、自分の言い分が通るかどうかも分からないし、町内会の人やそれ以外の人から不満を持たれても嫌だから言わない人もいるだろう。
ある集団の中で、上の立場の人や、それ以外の人が決まりを決めて、大勢がその決まりを守っていると、決まりを守らない人の方が不満を持たれやすく、ほとんどの人が決まりを守っていなかったら、守っている人の方が奇異な目で見られたり、バカにされたりする場合もあるだろう。
少数派の方が変な目で見られやすいのだ。
自分が属している集団で大勢が守っている決まりや、権力者や立場の強い人の決めたことの場合はその決まりを正しいと信じていなくても、決まりを守っていた方が無難だと思っている人が多いのだろう。
年金や税金を払うことを正しいと信じていなくても、税金Gメンが強制で差し押さえをしに場合があるから、法律や権力者側の方に嫌々、渋々合わせて従うようなことをしたり、誰かから不満を言われたくないから形だけ信じていない決まりを守っている人もいるだろう。



12.多くの人がやっていることのほとんどはやりたくないことだろう

 

多くの人がやっていることのほとんどはやりたくないことを色んな理由でやっていると思う。
やりたくないことをやっている理由は次の文書に書いたような理由だと思う。
・本当は給料を貰うような仕事をやりたくないけど、金がないと自分や家族の死活問題だから嫌々、給料貰うような仕事をしている。
・本当はあいさつを正しいと思ってないから、やりたくないけど嫌われたくないからやっている。
・本当は値段ついてるものに金を払うことを正しいとは思っていないけど、逮捕されたくないし、自分や家族が嫌われたり、
嫌がらせされたりして、攻撃されるのが嫌だから金を払ってる。
・本当は町内会費を払いたくないけど嫌々払ってる。
・本当は嫌いな人と関わりたくない、会いたくもないけど、関わらないと給料という金が入ってこなかったり、不満を言われるのが嫌だから嫌々関わってる。
・本当は葬式、法事に行きたくないし、行くことを正しいとは思っていないけど、嫌われたくないから、大勢と同じ人間だと思われたいから行っている。
・本当は税金払いたくないけど、税金Gメンの差し押さえが嫌だから払っている。
・本当は年金払いたくないけど、老後のために嫌々払っている。
など、本当はやりたくないのに、なんで嫌々やったりしているのかの理由は、
人から嫌われたくない、嫌われることで嫌がらせされたりして攻撃されたくないとか、
自分のことを大勢と同じことをする普通の人や常識人だと思われたいからなどの理由が多いだろう。

今までは権力者や多数派に合わせる人が多かった時もあるが、これからは権力者や多数派に合わせることはあまりなくなるだろう。
今までの時代の中には長年、権力者などの立場が上の人や多数派に色んな理由から合わせて従う人が多かっただろうが、今後は、そういうことが少なくなってきて、例外あれど、自分の本当の信仰心を隠さずに出したり、自分の本心、本音を出す人が増えるだろう。

自分の信仰心や本音を隠さずに外側に出して大勢と同じことをしていないことに不満を持たれて、悪く言われて低評価、悪評価される場合は、わがまま、勝手、人のこと考えていない、自己中心的、一人でも嫌がることは今すぐやめさせろ、犯罪者、罪、変人、変わっているなどと言われたりするが、
自分の信仰心や本音を隠さずに外側に出したことを高評価される場合は、純粋、ピュア、自分を持っている、アイデンティティー、自主性、オリジナリティー、独創性などと言われたりする。

大勢と同じことをしていなくても、自分や大勢の人から役に立っていることや、尊敬されて上に見られていることならば許されやすいだろう。
今までは大勢と同じことをしていないと変な目で見られたりバカにされやすいところがあったが、
今後は例外あれど、大勢と同じことをしていない人が今までほど変な目では見られなくなると思う。
今後はよほど気に入らないことをしていたり、よほど嫌いな人や見下している人などでない限り、今までよりも個人が尊重されやすくなるだろう。

テレビでSNSに誰かが書いていることがテレビに出ていて、土産物返す文化がなくなってほしいと言っている人がいた。
この人は土産物を返すことを正しいと信じていないのに、嫌われたくないからとか、大勢と同じ人間だと思われたいとか、変わっているとか思われたくないから、嫌々、形だけ土産物を返しているのだろう。他の人も同じ理由で渋々、嫌々何かを返している人もいるだろう。
土産物を返すことを文化という言葉で言い表す人もいるのだ。日本人がお風呂に入ることも文化と言っている人がいたが、これらのことを文化と言っている人は、土産物を返している人や風呂に入っている人の心理や信仰心、動機には触れていないのだ。
大勢がやっていることを文化という言葉で言い表していて、人の内面については言っていない。
あいさつ返しを大勢がやっていることを、社会のルールやコミニケーションなどと言う人も、あいさつしている人の信仰心や心理、動機には触れていない。
土産物を返すのが嫌だったり、あいさつ返しを正しいと信じていなかったりして、やりたくないなら、やらないことも出来るが、本音や本当の信仰心をまかり通らせると嫌われたり、嫌がらせされたり、逮捕されたりなどしたくなくて、相手の望んでいそうなことに合わせたり、大勢と同じことする場合があるのだ。
大勢の人がやっていなかったり、特に自分の身の周りにいる人がやらなくなったりすると、今まで嫌々やってきたことも堂々とやらなくなる人が多いと思う。
例外として、大勢は大勢でも、人類全体の中の大勢はやっていなくても、自分が属している少数の集団の中で少数派だった場合、その少数の集団の中の誰かから不満を持たれるのが嫌で、正しいと信じているわけではない、やりたくないことも嫌々やる場合もあるだろう。
例えば、田舎では神社のことをやる当番があったりするのだが、多くの人はやりたくないだろうし、その決まりを正しいとは思っていないだろうが、形だけ当番をやっている人も多いだろう。どこの地域にも同じ当番の決まりがあるわけではなくても、同じ地域に住んでいる一部の少数の人から、あそこの家の人だけやっていないと不満を持たれたりするのが嫌だからやる人もいるだろう。
自分が属している集団の中で大勢と同じことをしないことで嫌われて、不満を言われたり、嫌がらせをされたりして、攻撃されるのを嫌がる人が多いだろうから、大勢と同じことをするのが無難だと持っている人も多いだろう。

あいさつも同じことで、あいさつしてきた人や周りの人に、あいさつ返さないと変な目で見られたくないなどの理由で、形だけ渋々あいさつ返していたり、通夜、葬式、法事が、自分が大勢と同じと思われたいとか、嫌われたくないとかの見栄、体裁で、亡くなった人のことを全く知らなかったり、どうでもいいと思っている人だったり、何の思い入れもない人の通夜、葬式、法事に行くことを、常識人とか、きっちりしている人などと言えばカッコが付いて、綺麗事にはなるが、
本当は通夜、葬式、法事に行きたくもないのに形だけ行っているだけの人もいるのだ。
通夜、葬式、法事に行っている人の心理には興味がない人が多いだろうし、大勢と同じことをしていれば常識的、一般的などと言われやすい。
私の叔母が「みんな株内辞めたがってる。誰も言わないから」と言っていた。株内は葬式や法事に来るが、本当は葬式や法事に行きたくなくても、形だけ行っている人もいるのだ。
あの人は大勢と同じことをやっていると思っている人に、なんで大勢と同じことをやっているのかについて興味がない人が多いだろう。

防寒対策や、防犯対策などの言い方に似せた言い方をすれば、嫌われないために何かをやったり、やりたいことをやらないのは、防嫌対策(ぼうけんたいさく)という感じだ。嫌われないため対策や、攻撃されないため対策や、嫌がらせされない対策などとも言える。
人が色んなことをやっているのも、やりたくないことを嫌々やっていることの多くは、防嫌対策だろう。

触らぬ神に祟りなしと言うが、現実生きていくのに間接的、直接的に人と関わる場合が多いだろうし、
人間以外の生物も周りにいて、自分以外の人は自分と同じ人間ではないのだから、誰かが嫌がる言動を取ったり、誰かが嫌がる外見をしていたりなどすれば、嫌われたり、その後、嫌がらせされたり、攻撃される場合があるのだから人間関係は難しい。周りに人がいて、触らぬ人間に祟りなしというわけにはいかなくて、何かをやった言動で不満を持たれる場合もあれば、無言だったり、何の言動を取っていなくても不満を持たれる場合もあるのだから。
人間は自分が可愛い、我が身が可愛いので、自分の思い道りにならないと不快になり、嫌がった相手のせいにする場合がある。
直接不満を言われたり、嫌がらせされたり、裁判起こされたりしても面倒だし、嫌だろう。
だから、相手に合わせて、嫌々従ったりして合わせたり、イエスマンになることで相手は満足して自分の信仰心や感じたことが正しいと思ったりして満足したり、嫌な思いをしないだろうが、相手に合わせた人は本当に自分が信じていることや本音、本心をまかり通らせることが出来なくて嫌な思いをしたり、不満足だろう。誰かが良い思いをすると他の人は嫌な思いをする。
多数派が優先される場合が多いだろうが、多数派が良い思いをして嫌がらなくても、少数派が嫌がったりする。

 

13.言葉という変なもの おかしい変な基準 おかしい変な法律

 

日本の法律に動物愛護法違反という、おかしい変な法律の決まり(ルール)がある。
食用(食べることを目的にしている)の動物以外の動物を殺したり、虐待したら逮捕になっても、食用の動物を殺したり、販売したり、買ったり、食べることは逮捕にならないという変な差別をしている。
食用動物を殺して食べることは虐待ではないと言っている人がいるが、変な言葉遊びしているだけだ。
人への身体暴力で、子どもを躾るために、あざができない軽い身体暴力をやることを許す人はたくさんいるだろうが、あざができるぐらいに暴力をやれば虐待などと言ったりするが、暴力をやっている点では同じだ。
似たり寄ったりのことをしていても、言葉を変えたら違うもののように見せかけている所があるのだ。

食用や食用以外の牛、豚、鶏、魚に身体暴力をやると、ひどいとか、冷酷とか思う人もたくさんいるのだろうが、食用の牛、豚、鶏、魚を殺したり、食べるとことはおかしいとは思わなかったり、ひどいとか、冷酷だとは思わない人も多いだろう。
同じように食用でも犬猫を食べたらおかしいとか、ひどいと思う人はたくさんいるだろう。
一体何を基準に冷酷とか、ひどいと思っているのだろうか?変な基準で物事を決めている人達の多くは普通の人や一般人などという言葉で言い表されている。

多くの人が色んなことを許す基準のひとつは、大勢が許していることや、大勢がやっていることは許す人が多いだろうけど。
犬猫を食べるのは大勢の感覚からズレているけど、牛、豚、魚、鶏、卵を食べるのは大勢と同じことやっているから間違っていないと思い、
食べてもいいと大勢の人が信じているのだろう。例外あれど大勢がやっていることは許されやすい。
もし、日本人のほとんどの人や人類のほとんどが、牛、豚、魚、鶏、卵を食べなかったり、大勢が肉食がおかしいとか、ひどいことしていると思っていると雑誌、テレビ、新聞などで取り上げられたら、
ほとんどの人は大勢から嫌われたくないだろうし、大勢がやっていることは例外あれど正しいと思う人も多いだろうから、多くの人は肉食をしなくなるだろうし、肉を店で売ることや、肉を買うことや、動物性のものを食べることで逮捕になる法律ができたら、逮捕されるのが嫌だろうから肉食する人はほとんどいなくなるだろう。

警察が身体暴力をした人の一部を逮捕するが、その警察の多くも肉食をしている人が多いだろうが、食用の牛、豚、鶏、魚などの動物を殺していることには逮捕はせずに、食用以外で殺したり、身体暴力をやると逮捕する場合があるのもおかしいことをしていて、えこひいき差別をしているのだ。

 

14.全ての人に対して愛があるのなら金でやっていく世の中など要らない

スピリチュアルの人で、「愛を出すとお金が入ってくる」と言っている人がいた。
愛という言葉の定義は人によって違うが、誰かのことをいい意味で思っていたり、誰かの役に立つような言動を取ったり、誰かの役に立つ外見をしていたりなどして、誰かの役に立っていることを愛と言っている感じがする。誰かの役に立っていても、自分がやらなくてもいいと思うことをやっていたり、間違っているとか、悪だと思うことの場合は愛とは言わずに、甘やかし、過保護、過干渉などと言ったりする場合がある。
赤ちゃんは愛の存在、多くの大人を癒すというようなことを言っていた人がいるが、何もしなくても、いてくれて存在しているだけで大勢の人の役に立っている人のことを愛がある人と言いたい人もいるのだ。
誰かから好かれていて役に立っているところなど誰にでもあるだろう。でもそれで誰でも金が入ってくるわけではない。
誰かの役に立っていることを愛と言い、愛があるから金が入ってきたなどと言えばカッコが付くだけだ。
大人で無職、ニートと言われている人や、子どもや年金暮らし、
天皇家の人などが給料や印税という形以外で金が入ってきているわけではないのは同じなのに、子ども、年金暮らし、天皇家の人などが給料や印税という形以外で金を貰っていることは許しても、ほとんどの大人が
給料や印税という形で金を貰うことをしていなかったら許さないような差別をしていて、ほとんどの人は価値がないか、価値が低い人だと見下している
のだろうが、例外除いて無職やニートと言われている人が給料や印税という形で金を貰うことをしていないのを許さないというのは、この人たちに愛がないとも言えるが、給料や印税という形で金を貰っている多くの人のことも、どうでもいい人だとか、見下している場合もあるのだ。

金がないとやっていけないから、自分や誰かに金が入ってきたことを美化して、綺麗事を言い、愛があるから金が入ってきたなどと良く言い、金でやっていく世の中を正当化させたいだけなのだ。
自分の役に立つものを作った人、自分の役に立つ外見をしている人の一部に金を渡しても、別の役に立った人には金は渡さない場合もあるのだから、
愛を出すとお金が入ってくるというのはウソである。
売られている商品を買っても、間違って買ったりなどして、買った後に後悔している場合もあるのに、金が入ってきたのは愛があるからだと良く言ってバカなことを言う人もいる。

給料や印税という形で金を貰うことをしている時に、自分と同じ職場の人や、自分が売っている商品を買う人に対しては褒めたり、
感謝をしている場合があるのは、自分が必要とされたいという存在意義が満たされたり、金がないとやっていけないから、自分が売っている物を買われたら、金が入ってきて自分の利益になるから褒めているわけで、自分の役に立った人を褒めているだけだ。
でも、自分の役に立っている人たちなどを良く言って褒めるのを愛や、他己愛がある、などの言葉で良く言っても、良く言って褒めた理由をはっきり言っていないのだ。
店や会社、個人が商品、サービス、物を売っても、買う人もいれば、買わない人もいるのだ。
スピリチュアルの人の本もある程度は売れていても、ほとんどの人は買っていないだろう。
その本を全ての人が知っても、ほとんどの人は買ってまで読みたいとは思わないだろう。
本を買って読んだ後に、内容に共感しないから途中までしか読まない人もいたりなどして、全部を読んでいるわけでもない。
同じことをやって金を貰える人と貰えない人がいるのもただの差別である。金を貰ってても給料や印税や年金という形で金貰っている人の方は悪く言われにくいが、例外除いて無職やニートと言われている人が金を貰うと悪評価されやすく、悪い意味で差別されている。

自分や大勢の人に給料や印税という形で金が入ってきたのは、こういう形で金が入ってきた人達に愛があるからと思う人がいる一方で、
工場で作られた食品には愛がないなどと言っている人がいたり、気に入らない値段を付けている人に悪質商法やぼったくり、この値段詐欺などと言っている人もいるのだ。

お金はエネルギーだと言っている人がいるがウソだ。内面で何かを思っていたり、何かを色んな理由でやっていたりすることをエネルギーというのならば、誰にでもエネルギーはある。金が全く入ってこない人もいれば、金が入ってきたとしても、入ってくる金額が全く違う。
エネルギーが多いからたくさんの金が入ってきたというのならば、歌手や芸能人などでたくさん金が入ってきている人が他の人よりも
エネルギーが多いから金がたくさん入ってきているとは思わない。大勢から好かれている歌は大勢から買われて、歌手にたくさんお金が入ってきて
いるのを、その歌手にエネルギーが多いからだと思う人もいるのだろうが、
エネルギーがあって何かを作って売っても、それが求められていなかったり、好かれてもいなかったら買ってもらえなくて金は入ってこない。
金でやっていく世の中という不正社会を大勢の金信者がまかり通らせていて、商売の場合、誰かから求められているものや、好かれている物を売らなければ買ってもらえずに金が入ってこなくてやっていけないような異様で異常な世の中なのだ。
商売以外でも、職場の人から嫌われて、あからさまに悪態つかれたりするので、人から好かれなければ上手くやっていけないから、同僚や客に良く思われたいために媚売りをする人もたくさんいるだろう。
本当に全ての人のことをいい意味で思っていて、全ての人に愛があるのならば金でやっていく世の中などやっているわけがない。

 

15.2人のサッカー選手に見る日本人の独裁的、支配的さ

以前、テレビに日本人のサッカー選手が2人出ていた番組を見たことがあるのだが、その番組に出ていたサッカー選手は外国のサッカーチームに属していたみたいで、外国の選手に対する不満を言っていた。「日本人は周りの人に気を遣うじゃないですか」というようなことを言っていたり、
外国の選手のことを「エゴのプレー」というようなことを言っていた。
日本人が人に対してエゴという言葉を使う場合は、いい意味で言っていない場合が多いだろうが、外国人選手に対してエゴのプレーと言っていた日本人選手は外国人選手に対する不満を持ってエゴと言ったのだろうが、
外国人の姿も自分達日本人の姿なのだ。
日本人は周りに気を使うと言っているのも、日本人の一面であり、日本人は常に周りに気を使ってなどいないし、日本人は子どもの時から人の気持ちがほとんど分からない人達だろうが、他人のことをほとんど分かっていなかったり、分かる気もないところもたくさんあるのに、人に気を使っているなどと言えば、日本人に対する綺麗事や美化にはなる。

日本人は自分に甘いと言われていたりするが、自分達日本人が他人の気持ちが分からないところがあったり、人の信仰心や気持ちが分かっても、何でも相手に合わせるわけでもないのに、日本人は周りに合わせるが、外国人はそうではないと思っている人もいるのだ。
日本人も日本人以外も他人に合わせる所はあるだろうが、他人に合わせて気を遣う理由は色々違うだろう。
日本人が一部の人や、権力者が決めた一部のことを正しいと信じていないのに従って合わせるのは逮捕されるのが嫌だったり、
税金Gメンに差し押さえされたくないから、嫌われたくないから、大勢と同じと思われたいからなどの見栄、体裁などの理由でやっていたりする場合が多いだろう。
知っているほとんどの決まりを守らなかったり、他人の要望、欲求に従わずに合わせないところがあるのが日本人なのに、
色んな理由で他人に合わせて従ったところだけを持ち出して、日本人は周りに合わせるなどと言っている人がいるだけだ。

権力者は、いかにも自分達に合わせて従えという上から目線だが、権力者だけがそんな人間なわけではなくて、国民にもそういうところがあるのだ。
日本人が自分の思い道りにしたいと思っているのに、自分の思い道りにならないと、本人のいる所や本人のいない所で不満を言ったり、嫌がらせをしたり、刑法違反なら刑法を都合よく利用して逮捕させるようなことをして、自分の思い道りの言動をやらない人を嫌ったり、見下して、不満を持つのだ。

2人のサッカー選手は、外国人選手がサッカーの練習や試合の時や、それ以外の時の言動で、同じチームの外国人選手が自分の思い道りのプレーをしなかったりなどしたことに不満を持ち、エゴのプレーとか、外国人は周りに気を遣わないなどと不満を持ったのだろう。
日本人は根拠がなくても自分が感じたことに自信を持っているところがあり、自分が正しいのになんで自分の思い道りの言動をしないのだろうと不満や疑問を持っているところがあるから、このサッカー選手達は自分に問題があるのではなくて、自分達から不満を持たれた外国人選手に問題があり、
おかしいと思ったのだろう。
日本人の中には、根拠なく自分が正しいと信じ、自分の思い道りにならない人に不満を持つ独裁的さや、支配的さがあるのだ。
日本人は自分の思い道りにならなかったことの不満を影で本人以外に言う場合が多いだろう。人に対する不満を持ったり、
言っていたりしても、謙虚、控えめなどと言われているところがある。
一部の他人に色んな理由で合わせて気を使ったと言えばカッコがついても、形だけ表面的に合わせて、後から影でコソコソ不満を言ったり、
後から不満を持っている相手に不満を言ったりしていても、周りに気を使っているなどと言って、一部の人の要望に応えたり、
一部の決まりだけを守っている日本人を良く言う人もいるのだ。

日本人が周りに気を使うと言ったサッカー選手は、周りの一部の人に合わせているところがある日本人の心理の内面の部分については言及していないのだ。
人間は自分が可愛いので、自分の好む外見の人や、自分の望む言動を取った人を褒めて高評価するところがある。
自分の思い道りの言動を取らないから不満を持つのだ。
2人のサッカー選手は外国人選手が自分の思い道りの言動を取らないことを問題視して不満を言っているが、自分達が不満を持ったことを問題視していないのだ。
外国人選手が周りに気を遣わないと不満を持つのは、自分も人に気を遣わないところがあるからだろう。
他人の決めた決まりを、断定的や半信半疑で信じて守るのは、自分がその決まりを正しいと信じているから守っているのだが、
誰かの決めた決まりや、他人の要望に合わせたのを、正しいとは信じていないのに形だけ仕方なくやった理由が、嫌われたくない、嫌がらせされたくないなどの理由でやっているのならば、他人に気を使っていると言えばカッコが付いても、自分に気を使っているとも言えるのだ。
他人を優先させたと言えばカッコが付き、優しい、思いやりなどと言われやすいだろうが、他人を優先させたと言われている人が、いつでも他人を優先させているわけがないし、自分の都合で色んな理由から他人を優先させる場合があるというだけだ。

「日本人は世界一やさしい。分かる人にはわかる。」と言った日本人の占い師のじいさんがいるのだが、ある政治家の人が亡くなったことについて、あの人は殺されるような人だというようなことを言っていたのだが、
日本人が世界一やさしいと言っていて、こんなことを言っているのもおかしいし、日本人の多くは動物を食べているだろうし、動物を食べることを嫌がっている人がいることを知っている人もたくさんいるだろうし、
イスラム教で豚を食べてはいけないと言われていることを知っていて、豚を食べているのがイスラム教の信者に対して、気を使っていないとか、
失礼だとは、ほとんどの人は思わないだろう。
一番やさしいなら、あいさつをしてほしいのに、あいさつをしなかったからと不満を持ったり、嫌がらせしてきたり、嫌ったりしないだろうが、
日本人の中には、あいさつしてほしいのにしないことで、見下してきたり、嫌う人もいるのだ。

これから人間は、他人の意見に合わせる人と、自分の本音に従う人に分かれるというようなことを言っている人がいるが、
多くの人は、他人に合わせている所と合わせていない所の両方があるだろう。
何から何まで全て自分の本音がまかり通るわけがなく、自分の本音に従った言動を取っても、刑法違反なら逮捕される場合もあり、
自分の信仰や本心が何でもまかり通るわけではない。
下らない言葉遊びをしていて、他人の意見に合わせている人と言われている人が、他人が決めた決まりのほとんどを守っていなかったり、
他人の欲求、要望の全てに合わせてはいないのだ。
本人のいる前では相手の言うことを聞いているふりをして演技をしていて、本人がいない所では言うことを聞いていなくても、
他人の意見に合わせるなどと言えばカッコが付くのだ。
正しいと信じていなかったり、やりたくないのに誰かからやれと言われたことをやったら、他人に合わせたと言えばカッコ付いて良く言われるが、
やれと言った本人のいない所では言うことを聞いていないのだから、他人に合わせていないとも言えるが、
他人に合わせたという言い方をした方がカッコが付くし、いい感じに言えるので、こういう言い方をするのだろう。カッコつけて、本音を言っていないのだ。

 

 

16.見下している人やバカにしている人、おかしいと思う人について言い表す言葉

人間の中には「常識、社会のルール、人間のルール、人間の基本、当たり前、マナー、モラル、法律」などの言葉を名目、建前にして、
自分が根拠や裏付けもなく正しいと信じていることを、
同じことを信じていない人にも押し付けて、自分の言いなりにさせて、自分の思い道りにさせたいと思っているところがあるのだ。

自分が正しいと信じていることをしなくて見下している人やバカにしている人や、おかしいと思う言動や態度の人などに対しては、
「マナー違反、モラルの欠如、非常識、常識はずれ、親の躾がなっていない、猿みたい、頭おかしい、キチガイ、DQN(どきゅん)、罪人、犯罪者、罪、世間知らず、獣、畜生、悪魔、人間の姿した人間ではない奴、低俗、低レベル、バカ、アホ、変人、変わり者、変な奴、変態、変質者、精神異常者、精神障害、人格障害、精神病、病気、気持ち悪い」などの言葉で言い表している人はたくさんいるだろう。

言葉の定義は人によって違うとはいえ「常識、社会のルール、人間のルール、人間の基本、当たり前、マナー、モラル」
などという言葉の定義、意味付けは「人として正しいこと」とか
「例外あれど、大勢と同じことをするのが人として正しいことである」とか
「正しくはなくても大勢と同じことをしなければいけない」などの定義、意味付けの人が多いと思う。

 



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