くるみの世界

金でやっていく世の中や、あいさつが正しいとされていることは間違っているということを主張したいです。

脱金社会 金でやっていく世の中は不正だ2

2023年05月07日 | 脱金社会

 

9.国家や権力者や法律は異常なカルト宗教で、多くの国民もそんな権力者に依存していたり、法律の一部を正しいと信じていておかしいのだ

昔、日本で国家に都合の悪いことを言ったとか、権力批判したことで特高警察に逮捕されていたみたいだ。
昔、明治時代生まれの作家の小林多喜二(こばやしたきじ)が特高警察に逮捕されて、逮捕された後に警察から拷問をされて昭和8年に拷問死しているみたいだ。
特高警察は、無政府主義、社会主義、共産主義や、国家の存在を否定する人などに取り締まりや査察などをしていたらしい。
小林多喜二は何度か逮捕されたり、刑務所にも入れられていたみたいだ。
詳しくは知らないが、小林多喜二が逮捕されたのは、国家に都合の悪い思想を持っていたり、小林多喜二が書いた蟹工船という本が不敬罪で法律違反だったから逮捕されているのだろう。

多くの人は、国家に都合の悪いことを信じていて、それを言ったりなどしていることで思想犯などと言われたりして逮捕されている人がいることを
知らない人もたくさんいるだろう。
私が30代の時に、小林多喜二以外のことをネットで調べていた時に、小林多喜二が逮捕されたり、拷問死で亡くなっていることや、
思想犯などという言葉が使われていることを初めて知ったのだ。
誰でも世の中や人間や色んなことについて、ほとんど知らない無知なのだ。

小林多喜二が恋人に書いた手紙に「闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番本当に光の有難さが分かるんだ。」というようなことを書いたらしい。
私がこの手紙のことを知ったのは2021年の12月21日で、2021年12月20日にいつもは見に行かないエキサイトブログのサイトに行き、
ブログのジャンルがたくさんある中でスピリチュアルというジャンルが気になったので、そこをクリックしたら、
スピリチュアル人気ランキングの中の誰かのブログで
「闇から現れる光」とブログの題名に書いてあるブログを読んだ。2021年12月21日にグーグルで「闇から光」と検索していたら、
検索結果に小林多喜二が書いた、闇があるから光があるという文章が出てきて、初めて小林多喜二がこういう文章を書いていることを知った。
誰かがブログでこの小林多喜二の闇があるから光があると書いていたことに対して「闇が有るから光が有るは間違いです」と書いていた。
同じ文章を読んでも同じことを思うわけではないし、闇があるから光があるという言葉に小林多喜二はどういう意味を込めて言ったのだろうか?
闇が有るから光が有るは間違いだと言った人も小林多喜二が言いたかった意味を分かっているのかどうかは分からない。

日本人には小林多喜二を知らない人もいるだろうし、知っていても小説家ということぐらいしか知らない人もいるだろうし、
小林多喜二が、闇があるから光があると書いている手紙があるのを見聞したことがない人の方が多いだろう。
ネットに誰かが色んなことを書いていても、ほとんどは多くの人から見聞されないだろう。不特定多数が見聞できる所に出していても、
知られていないことの方が多いのだ。多くの人もほとんどのことに興味、関心がないだろうから、ほとんどのことを調べたりはしないだろう。

逮捕されたり、刑務所に入れられていると知れば、悪いことをしたからだと思い、なんで逮捕されたのかとかを全くか、ほとんど知ろうとはせずに、
逮捕されたとか、刑務所に入れられたことがあるというところだけを持ち出して、見下したり、バカにして、蔑んだりする人もいるのだ。
多くの人はほとんどの人や物事や世の中に関心、興味がなくて、一部のことだけにしか関心がないだろう。

国家、権力者側の人や、それ以外の人達に都合が悪いことや、自分と同じことを信じていない人を逮捕したり、裁判を起こしたりするようなことは、
今も日本や日本以外の国でもやっているので、そういう意味では小林多喜二が生きていた時も、その後も同じところがあるのだ。
金でやっていく世の中が正しいと信じている金信者の多くは、金を払わない人を逮捕してもいいと信じている人がたくさんいるだろうから、
自分と同じことを信じていない人を理解する気もないところがあったり、見下したりして嫌っている点では権力者側も、それ以外の国民も同じだ。

思想犯と言われている人が国家に都合の悪いことを信じていて、その人たちが国家に都合の悪いことをしようとしていると、権力者側の警察はそれを止めようとしたり、逮捕をして、犯罪者や罪人という言葉で表すことで、自分達に都合が悪いことをしている人達に汚名を着せて悪い印象を持たせようとしているが、誰かが信じていることをまかり通らせてやったことで、
誰かが嫌がったり、迷惑したりして、不利益なところがあることを思想犯という言葉で言い表すならば、誰でも思想犯だろう。金でやっていく世の中が正しいと信じている多くの金信者は、金でやっていく世の中で大勢が苦しんでいて、金非信者や金信者のどちらも苦しむことをやっている。
あいさつについても、みんながあいさつを返すことを正しいとは信じてはおらず、あいさつを初めにしろとか、あいさつを返せという態度を取られて嫌がっている人や迷惑している人もいるのだ。
自分が正しいと信じていることをまかり通らせることで誰かが嫌がっている。
金信者やあいさつが正しいと信じているあいさつ信者は、自分の思い道りにならないことで不快なのは、自分が気に入らない言動や態度を取った人のせいだと信じている人がたくさんいるだろう。

思想という言葉の定義は人によって違うとはいえ、何かの決まり(ルール)という意味で使っている場合が多いと思う。
何かの決まり、ルールを信じているというのは、宗教や教義と言われていることと同じで、宗教と言われていなくても、何かを信じている信仰心を誰でも持っているだろう。
一般に宗教と言われている、キリスト教やイスラム教や創価学会やエホバの証人や幸福の科学などの信者の人が自分達に都合の悪い人や、
気に入らない人を部屋などに閉じ込めたり、身体暴力をやればカルト宗教や、おかしい宗教と言われるだろうが、国や法律ならカルトとは言われにくいのだ。

国家、権力者側が、自分たちに都合の悪い人間や大勢と同じことをしない一部の人を逮捕しても、カルト国家とか、カルト法、カルト法律とは言われにくいだろうし、逮捕することを正当化している国民のことをカルト国民などとは言わないのだ。
カルトの定義、意味付けも人によって違うとしても、宗教と言われている集団に属している人が、その宗教の教義を信じてやったことなどで、
おかしいことをしていると思ったり、間違っていることをしていて異常だと思うと、カルト宗教と言う人が多いだろうが、宗教と言われているものではなくても、誰かがおかしいとか、間違っていると思うことはやっているが、そのほとんどはカルトとは言われにくいだろう。

国家、権力者側はカルト国家なのだ。権力者側は法律で国民を縛り、言いなりにさせたいところがあるわけで、自分達権力者側に都合が悪いことをやると、権力者側の人は自分達の思い道りにならないことを嫌がるのだろうが、
自分達の信仰を押し付けている国民が不満を持つのはよくても、自分達が不満を持つことは許さない特権階級意識を持って、高慢、傲慢なところがあるのだ。
自分の自由は許しても、他人の自由は許さないところがある。国家や権力者側は自分達が決めた決まりを押し付けて、言うことを聞かないと
逮捕したり、牢屋に入れるような異常なことをやっているのだ。
国家、権力者側は正しくもない、間違っている決まりを押し付けている異常な宗教集団、カルト宗教なのだ。

金でやっていく世の中もカルト宗教なのだ。この金でやっていく世の中で、値段ついているものに金を払わない人や税金、年金を払わない人を見下したり、逮捕したり、税金Gメンの差し押さえをしているのも不正で異常で間違ったことをしているのだ。
あいさつしたら、あいさつ返すことが正しいという信仰を持ち、あいさつ返ししない人を嫌ったり、見下したり、嫌がらせしに来たりして攻撃しに来たりする人がいるが、あいさつもカルト宗教で異常な、おかしい宗教なのだ。大勢がやっていることが正しいと信じている人が多いから、
金でやっていく世の中やあいさつも正当化する人が多いのだろうが、これらが正しい根拠などどこにもないのだ。
正しいことで、すべきことだと勝手に信じている人が多いだけだ。
大勢と同じことをしていると、普通とか、常識人とか言われて悪くは言われにくく、金でやっていく世の中が正しいと信じていることや、あいさつが正しいと信じている人がたくさんいるのも、
一度もこれらのことに対して否定されなかったり、止められたことがないか、否定されることを言われたり、止められても、根拠がなくても正しいと信じているから、自分の信仰が間違っていて、おかしいとか異常だとは思わないのだろう。

国家、権力者側が国民を自分達の言いなりにさせたくて、国民を自分達の所有物のように思っているところがあるのだろう。
権力者側が人を同じ人間だとは思っていなくて、人に上下を付けて、ヒエラルキー、カーストがあり、国民にもそういうところがある。
小林多喜二が拷問死で亡くなったことに、誰かが「日本人は国家犯罪に甘い」というようなことを書いていたり、小林多喜二のこと以外のことでも、
日本人のことを「日本人は自分に甘い」と書いている人がいた。
日本人の中には、上の立場の人がやったことに甘いところがあり、同じことを下の立場で自分が好きでもない人がやれば許さないような差別をしている人もいる。
上の立場の人に甘いだけではなくて、多数派や好きな人にも甘いところがあるのだ。
政治家が税金から違法で金を取ったことを、コソ泥の方がましであるかのように言っていた私の叔父が天皇家が特別扱いされていることは許しているみたいだ。
天皇家関連のことに税金から毎年100億以上を取っていても、多くの人は合法だからとか、天皇家の人を上に見ていたり、
好きだからなどの理由で許して許可している人もいる。
これらのことも合法か違法の違いで、誰かが嫌がっていたり、間違っているとか、不正だと思っていることをやっている点では同じなのだ。

引きこもりや無職やニートと言われている人のことを悪く言ったり、見下したり、不満を持ったり、気味悪がっている人もいて、
この人達が何もしていないと思っている人もいるが、家の外に出て何かをしていても、小林多喜二がやられたようなことをされたり、自分が信じていること、思っていることを書いたり、他人に話していても、外に出て自分がやりたいことをやっても不満を持たれたり、逮捕されたりする場合もあるのだ。
何もやっていないと不満を持ち、何かをやっていても不満を持つ人もいるのだ。自分が気に入らないことならば何をやっても不満を持つのだ。
やらないことに勇気がないと不満を言う人もいれば、何かをやっても刑法違反ならば逮捕して、罪人や犯罪者と言って悪く言い、
刑法違反でなくても図々しい、出しゃばり、調子乗ってる、勘違いしている、おかしいなどと言い悪評価される場合もある。

昔、日本で戦国時代ぐらいの時にヨーロッパに生きていたジョルダーノ・ブルーノという人が地動説を主張していた。
地球は自転と公転していて、宇宙の中心は太陽だというのを地動説と言われていて、地球は動かなくて、宇宙の中心は地球であるというのが天動説と言われているみたいだ。
当時のキリスト教の人は天動説を信じていたみたいで、ブルーノは地動説を主張していたので火刑で処刑されたと言われている。
でも他の人は、この処刑はブルーノが地動説を主張していたから処刑になったのではないと言っている人もいる。
ブルーノは地動説以外でもキリスト教の教会制度を強く批判していたことで、火刑になったのではないかと言っている人もいる。
同時代に生きていた有名なガリレオもブルーノと同じように地動説を信じていて裁判を起こされていたみたいだが、処刑にはなっていないみたいだ。
ブルーノやガリレオが生きていた地域で立場が強かったキリスト教の人が信じていたことに否定的なことを言っていて処刑になったり、
裁判を起こされたり、牢屋に入れられている。
自分の信じていることを大勢が見聞できる所に主張しても、こういう扱いをされる場合もあるのだ。

天動説と地動説については、今も昔も人によって信じていることが全然違うのだ。
ネットの質問サイトの回答を読んでいたら、「天動説が間違っているなら、地動説も間違っている。地動説が正しいなら、天動説も正しい」というようなことを書いている人もいたし、学校では地球は自転や公転すると教えているが、みんながそれを信じているわけではない。
地球は自転、公転すると信じている人の中には、宇宙の中心が太陽だとは信じていない人もいるだろう。
私は宇宙に中心があるとは信じていないので、そういう意味では天動説も地動説も正しいとは信じていない。

みんな他人が決めた決まりや、人が言っていることの全てを信じてはいない。ほとんどの決まりを正しいとも信じていないだろう。
自分が何であれは正しくて、これは正しくないと感じたかの理由も分からないだろう。
今生きている人は地球は自転、公転していると信じている人が多いと思うのだが、それを信じている人たちが地球が自転や公転しているのを
直接見たわけではなくても、自転、公転していることが正しいと信じたいから信じているのだろう。
自分が正しいと信じていないことを信じている人をバカにしたりする時に、それが正しい根拠や裏付け、証拠を言えと言う。
裏付けや根拠がないから正しいと信じない場合がある人たちが、別のことでは正しいという根拠や裏付けのないことを断定的や半信半疑に信じていて、
それを同じことを信じていない人にも押し付けるのだ。

金でやっていく世の中や、あいさつなどがそれで、金でやっていく世の中が正しいとか、値段ついているものに金を払わないことで逮捕することが正しいという根拠などどこにもないし、あいさつ返しをすることが正しいという根拠もどこにもないが、これらを正しいと信じている人がたくさんいるから、金でやっていく世の中や、あいさつを辞めようとはしないし、間違っているとか、不正だとは思わずに自分に都合のいい捉え方をしているだけなのだ。
自分が正しいと信じたいことだけを信じて、自分が正しいとは信じていないことは信じないだけのことだ。
日本人が無宗教や無神論者という人がいるがウソで、日本人は色んなことを信じているが、一般に宗教と言われているもの以外のことには、自分達が信じていることを宗教や教義や信仰、信者、教祖という言葉で言い表さない場合が多いだけだろう。
多くの人は金でやっていく世の中が正しい宗教の信者で、あいさつ返しが正しいし、しなければいけないと信じているあいさつ信者だろう。

権力者とかの立場が強い人に逆らうと殺されたりする場合があるのは、昔から日本でも日本以外でもある。
今、同じことをやれば、おかしいとか間違っていると大勢が思うことも、昔はまかり通っていたのだ。
金でやっていく世の中も、今は世界中でまかり通っていて、たくさんの物とかサービスに値段を付けてよくて、一部のものには値段を付けてはいけないとか、税金や年金の制度が正しいと信じている人がいるが、これが間違っていることも後の時代になれば分かることだ。
今後、絶対に金がなくてもやっていける世の中になるが、徐々に金でやっていく世の中が間違っていて、金を払わない人を逮捕したり、刑務所にいれたりすることが間違いだと多くの人が気づいていくだろう。

昔から、人間には自分達と同じ信仰を持っていない人、気に入らない人に不満を持ち、嫌がらせしたり、見下したり、罪名をつけたりして、
自分たちの方が正しいと正義を気取って裁判にかけたり、捕まえたり、殺したりして排他的、閉鎖的なところがあるのだ。
誰にでもあることだろうが、本当に正しいことと、正しいと信じていることを一緒にしているのだ。
大勢がやっているから正しいとか、尊敬している人などの一目置いている人が決めたことだから正しいと勝手に正しくもないことを正しいと信じ込んでいるところがあるのだ。

私の叔母が以前、橋本元大阪知事が知事をしていた時に「給料を下げて凄いと思う」というようなことを言ったので、私がすごいと思わないと言うようなことを言ったら、「他の知事は下げてないのに下げたからすごいと思う。
知事に文句がある人は知事になったらいいと思う」という感じのことを言った。
私は知事に文句も不満も言っていない。給料を下げたことをすごいと思わないと言ったことを文句という人もいるのだ。
この叔母は、みんなが世の中や国や県などのことを、政治家や知事や市長などが決めることが正しいと信じていない人がいることを知らないか、
知っていても、自分が政治家などの上の立場の人を上に見ているから、立場が下の人は上が決めたことに逆らうなという信仰を持っているのだろう。
叔母の今までの喋っていたことを聞いていても、上から目線の高慢なところがある人だとは思っていたが、根拠はなくても自分が正しいと信じているところが叔母にはあるのだ。

みんなが金でやっていく世の中を正しいと信じていないし、金でやっていく世の中は不正だが、知事が給料を下げたことを良いことと感じ、
他の知事などと比較して、他の人は給料下げていないからスゴイなどと思うバカな国民もいるのだ。
金でやっていく世の中で多くの人が苦しんでいるが、知事が給料を下げようが金でやっていく世の中に橋本元知事も加担していて、
人が嫌がったり、苦しんでいる金でやっていく世の中を辞めようとはしていないのはおかしいとも言えるのだ。
橋本元知事のことを誰かは、橋本の独裁を許すなと言っている人もいたが、こういうことを言っている人は、知事の決めた政策とかの方に不満があったり、おかしいと思っていることを決めているから、独裁を許すなと言っているのだろう。
同じ知事に対して、日本国民が同じことを思っているわけではないのだ。
私の叔母は、以前、私が言ったことで気に入らないことがあって許せなくて、別々の日に3回、私に対して嫌味をしつこく言ってきたことがある。
人間は自分が一番可愛いので、自分が気に入らないことをした人のことは嫌ったり、不満を言ってきたり、許さなかったりするが、
自分が良いことだと思うことや、自分に都合のいいことをすると褒めて高評価したり、好きになったりするのだ。
人や物事を自分中心に捉えているだけだ。だから、叔母が知事の決めたことで誰かが嫌がっていることを知っても、自分が嫌でなければ、他の人が嫌がっていても、嫌がられている人を悪くは思わなさそうだ。

叔母の様に、政治家や知事や市長などの権力者側を上に見ていて、よほど自分が気に入らないことを権力者が決めたりしない限り、
下の立場の国民は権力者の決めたことに従わなければいけないと信じている人もたくさんいるだろう。
権力者に従わなければいけないと勝手に信じて、同じことを信じていない人にも自分の信仰を押し付けてくる信仰の押し売りをしている国民もいるのだ。
自分の言いなりなってほしいけど、自分の信じていることを一切説明しないか、詳しいことは言わずに人を自分の思い道りにさせようとしている。

白人至上主義で白人が一番上で偉いから、白人以外の人に対して、白人に合わせて従えと白人が思っていたり、言ったりすれば、
白人の人種差別という人もいるだろうが、誰かを見下していたり、バカにしていても、ほとんどは差別とは言われない場合が多いだろうが、
ただの差別なのだ。叔母が権力者側の知事に文句がある人は知事になったらいいと思っているのも、権力者という立場が上の人を、それ以外の人よりも
上に見ていて、権力者以外の人を下に見ているところがあるのだ。
自分が感じたことが正しいと思って、自分と同じことを思わない人がおかしいと思っているところがあるのだろう。
知事や政治家などは選挙で大勢の人から投票された人が選ばれるわけだが、「知事に文句がある人は知事になったらいいと思う」
と言っているのは、大勢から求められている人ではない人が知事に不満を言うのはおかしいとでも言いたいのだろう。
たくさんの人から好かれてる人や求められている人の方が、そうではない人よりも素晴らしい人で立派な人であると思っている人もいるだろう。

言葉とは、それぞれが勝手に都合よく使っているもので、自分の言葉の定義が正しいと信じているから、同じ言葉の定義を持っていない人が間違っていると思っている場合もあるだろう。日本は民主主義と言われるがウソだ。
民主主義の定義も人によって違うが、誰かの民主主義の定義は「国のあり方を決める権利は国民が持っている」というようなことを言っているが
この定義で日本を見るならば、日本は民主主義ではない。
「選挙権が多くの国民に与えられていて、政治家や知事などを国民が選ぶことが出来るから民主主義なんだ」とでも言いたい人もいるだろうが、
国民や世の中のことを政治家や知事や市長が決めることを正しいとは信じていない人もいるのに、一方的に国民に選挙権を与えて、
国民の代表を選ばせてあげていると言いたいのだろうが、自分が投票した人が当選しない場合もあるし、政治家や知事や市長に立候補した人達の誰に対しても政治家や知事や市長になってほしいと思わない人もいるだろう。
どう見ても、国のあり方を国民のほとんどは決める権利など持っていなくて、一部の国民が政治家、知事、市長などの権力者になっているだけで、
この権力者側が大勢の国民に関わることなどを勝手に決めているだけだ。
だから、日本は独裁国家なのだ。下らない言葉遊びをしているだけで、たくさんいる国民の信じていることが何でもまかり通るわけでもなく、全ての国民の要望が通るわけでもない。日本に限らずに他の国でも同じことだ。

例えば、AさんがBさんとCさんに、それぞれ一人一人に5枚の服を持ってきて「この中から好きな服を一枚選んでいいよ。あなたに選択の自由を与えてあげる」と言ったとする。
Bさんが5枚の服の中に好きな服が一枚あって、喜んで一枚の服を選び「Aさんはやさしい。私に選ばさせてくれた」と言い、Aさんを褒めた。
Cさんは5枚の服の中に好きな服もなく、どの服も選ばなくて、「私が欲しい服を持ってきてくれなくて、Aさんは私のことを分かっていない」と不満を言っている。こんな感じなのが民主主義と言われているものだろう。
自分が政治家や知事や市長になってほしい人が当選すれば満足して、
自分が望んでいる人が当選しようが、しなかろうが、政治家や知事や市長が決めたことに満足していれば不満は持たずに、気に入らなことをしたら不満を持つのだ。
こんなことを昔からずっとやってきているのに、国民もバカで頭が悪いところがあるのだ。

昔は幕府を倒幕して別の幕府を作ったり、江戸幕府から明治政府になって、今まで政治をやっていたのを幕府と言っていたのを政府と言い方を変えただけだろう。
言葉の言い方を変えているだけで、一部の権力者が多くの国民を支配しているのは昔と変わっていない。
権力者だけが国民を支配しているのではなくて、国民も国民を支配していたり、支配しようとしているところがある。

独裁国家の定義は、国の一番上の立場の人や、一番上の人の周りにいる少数の人によって、大勢の国民に関わることを決めて、大勢が上が決めたことが気に入らなかったりすると、独裁国家と言われやすいだろうが、日本も国民の一部が選んだ権力者側の人が大勢の国民に関わることを決めていて、誰かは嫌がっているのだから、独裁国家と言われている国と同じなのだ。民主主義と言って国民に権力者を選ばせるようにしていても、
国民が色んなことを直接決めているわけではないのだから。

政治家などの権力者が気に入らないことをすれば、辞めろなどと言ったり、他の人に変えようとしてしているが、誰が政治家などの権力者側になっても、誰かは常に不満を持つだろうから、そういう意味では誰が権力者になっても同じだとも言えるのだ。
どんな人か分からない人に国民の多くも依存していて、自分達の代わりに色んなことを決めろと依存している国民もおかしいとも言えるのだ。
政治家や知事や市長に依存しないことも出来るのに、多くの人が権力者側に依存していて、自分達でやっていこうとしていない人もたくさんいるのだから。
そもそも、権力者側が色んなことを決めてやることにも金が要るわけだが、金でやっていく世の中自体が不正で間違っていて、その金でやっていく世の中を土台にして、政治をやっていておかしいことをしているのだ。権力者側も国民も間違っていて不正な金でやっていく世の中に加担しているのだ。

 

 

10.人間の裏の顔と表の顔  みんな泳がされていて、野放しにされていて、ほったらかしにされているところがある

 

私が20代前半で大阪に住んでいた時、万引きで逮捕された後、警察署に連れて行かれた。狭い部屋に連れて行かれたら、男の私服の警察がいた。
その警察は逮捕された人に名前とか聞いて事務的なことをやる係りの警察だろう。
その部屋で私が興奮して何かを喋っていたら、ガラが悪そうな私服を着た背の低い男の警察が入ってきて「お前、クスリやっとんか?」と言った。
その後、私は意識はあるが床に倒れていて、仰向けになっていた。別に演技で倒れていたわけではない。
目をつむって仰向きに倒れていたら、私の顔に細かい水が何度もかかったのだが、多分、警察が霧吹きで何度も私の顔に水をかけていたのだと思う。
警察が水を私にかけていたのは、私を見下げてバカにしているからやったと思っている。水を使った軽い暴力を警察はやってきたのだ。
その後、多分、担架でどこかに運ばれたみたいだ。
その日か、別の日か覚えていないが、私は病院に運ばれたみたいだった。
私は意識はあるが倒れている。病院から私が多分、担架で運ばれて出ていく時に、警察が担架を持っているのだろうが、「看護婦さん笑ってた」というようなことを私を運んでいる人が言った。
私が逮捕されて倒れているのは演技で倒れているフリをしていると思った女の看護師の人が私のことをバカにして笑っていたのだろう。
それを警察が見ていて、看護婦さん笑っていたと言ったのだと思う。
私は意識はあったが、演技で倒れているわけではない。

順番とか全部覚えていないが、その後、逮捕された後に連れて行かれた警察署とは別の場所に私は連れて行かれたのだと思う。
その別の場所は留置所だろう。私は寝ている時を除いてほとんど横になっていて目をつむっていた。
はっきり覚えていないが、5日だか一週間ぐらいして釈放と言われて、その場所を出ていく前の日ぐらいに一回ぐらい、出された食べ物とお茶を飲んだが、それ以外は飲み物も食べ物も飲食しなかった。

この留置所に連れてこられた時に意識はあるが倒れていた私に、そこの職員の人だと思われる人が私の服を脱がしたみたいだ。
留置所の決まりで何か武器とか持っていないか見るために服を脱ぐような決まりがあるのだろう。
留置所に来るほとんどの人は倒れていないだろうから、自分で服を脱ぐのだろうが、私は倒れていたので他の人が私の着ていた服を脱がした。
他の人が私の服を脱がした後、誰かが「お前も女だったんだな」とか「妊娠しているのに」というようなことを言っていた。
私の外見、見た目を見て勝手に男だと思っていた職員がいたのだろうが、その人が私の胸を見たか、男性器や金玉がないのを見て女だと思って「お前も女だったんだな」と口に出して言ったのだろう。
私は妊娠したことはないが、太っていて腹が出ていたのを妊娠しているから腹が出ていると勘違いした人が「妊娠しているのに」などと言い、
子どもを妊娠しているのに万引きなんかして刑法違反をしておかしいとでも思ったのだろう。
この留置所の職員は私について勘違いして間違ったことを思っているのだ。

この人たちも、ほとんどの人も金信者で金でやっていく世の中が正しいと信じているのだろうが、その信仰が間違いであり、金でやっていく世の中は不正で、正しいことではなくて間違っているのだ。
逮捕することが正しいという根拠などどこにもない。誰かが嫌がることや、誰かかが間違っているとか、不正だと思っていることなど誰でもやっているのだ。
具体例でいえば、動物を食べることを、ひどいと思っている人がいたり、人間は動物を食べるようにはできていないなどと言っている人がいたり、
あいさつを返せとか、初めにあいさつをしろという態度を取る人や、あいさつしないことに悪態ついてきたり、不満を言ってくることを嫌がっている人もいるのだ。
それ以外でも、人間や人間以外の生き物などが嫌がることなど誰でもやっているのだが、気づいていない場合が多いのだろう。

自分が格下に見ている人に対して、刑法違反したからと逮捕したり、留置所や刑務所に入れることが正しいという根拠はどこにもないが、
今の日本の法律上では逮捕は合法なので、まかり通らせているのだろう。
江戸時代の権力者はキリスト教信者を迫害して殺していて、それがまかり通っていたが、今はそんなことをしてはいない。
ある時代にまかり通っていて常識とされていることが、別の時代には常識だとは言われないし、おかしいことだと多くの人から思われていることもあるのだ。

みんなで助け合いしていたら金でやっていく世の中などやっているわけがないのだ。
あいさつを一部の人にさせたいと思い、あいさつさせたいのにあいさつしなかった人を、見下したり、ダメ人間と言ったり、嫌ったり、嫌がらせをしたりして攻撃してくるのも、例外あれど、あいさつさせたい人を仲間だと思っていなかったり、大切だと思っていないからだ。
例外除いて、友人や恋人や家族や、自分が好きな人ならば、初めから相手にあいさつしないか、相手があいさつ返さなくても許す場合が多いだろう。
あいさつさせたがるのも、金でやっていく世の中をやっているのも、ほとんどの人を仲間と思っていないし、大切ではなかったり、どうでもいい人だから、これらのことをやっているのだろう。

留置所に入れられている時に私を見張って監視している人がいた。
そのうちの一人は私を逮捕した警察署の女の警察のような感じがした。この女が別の人と喋っていたのが聞こえてきたのだが、
一字一句覚えていないが、聞き間違えかもしれないが、自分は金出してここまで来ているというようなことを言っていたと思う。
私がいた留置所は、この女の警察がいた警察署以外の場所で、この留置所の場所まで自費で来ていたのだろうか?
この女が「友達が子どもを虐待している。その気持ちが分かる。」というようなことを言った後に、一字一句覚えていないが、
こいつ見ていると暴力振るってやりたいというような感じのことを言っていた。暴力と言ったのか、殴ってやりたいという言い方か、はっきり覚えてはいないが、こんな感じのことを言っていた。
警察は暴行罪で身体暴力をやった人の一部を逮捕するが、その警察がこんなことを思っているのが現実なのだ。
気に入らない人や、見下している人に身体暴力をやりたがっている人や、自分の友達が子どもを虐待していることを知っていても逮捕にはしていないような人が、他の人が身体暴力をやったら逮捕するようなことをしていて、えこひいき差別をしていて、自分に都合のいいように、いい加減に刑法を利用しているのだ。
私が留置所の牢屋の中に入れられている時に、なぜか私は下の服を脱いでいる時があったのだが、私を監視している人が、それを見て言ったのだろうが、「気持ち悪い」と言っていた。

留置所にいる時に警察が取り調べで来ていたのだろうが、意識はあるけど目をつむっている私を他の部屋に連れて行って、私が床に仰向けに置かれている。
男の警察が言ったのだろうが、一字一句覚えていないが、男の声で「お前のせいで、お母さんが謝りに行っているんだぞ」というようなことを言っていた。
私の母親がお前の代わりに店に謝りに行っているんだぞと言っているのだろう。
この後、数年経って私の母親から聞いたが、私の母親が店に行っている時に警察も一緒に行っていたみたいで
警察が「起訴はしないでほしい」というようなことを言っていたみたいだ。店の人は金を払ってもらったらいいというようなことを言っている人もいたみたいだ。

万引きと言われているのは店で商品の物に金を払わずに持って行くことを言い、泥棒とも言われるが、他のことで泥棒と言われているのはスリ、空き巣、強盗、などの刑法違反のことをやっていることだが、刑法違反ではないが税金を国が取ったり、天皇家の人や警察などにも
税金泥棒という人もいるが、刑法違反ではないために、刑法違反で泥棒と言われている人ほどは泥棒とは言われない。
誰かが嫌がっていたり、間違っていると思っていることで、人から金や物を取っていることを泥棒というのならば、誰でも直接的、間接的に泥棒をやっている。
一部の人は、商売している人を悪魔の商売人と言ったりするが、商売など全て悪魔の商売で不正だとも言えるのだ。
でも、みんなで助け合いしていなくて金がないとやっていけないこの世の中で、商売している多くの人達や、給料を貰ったり、年金、税金、罰金などで金を取ることをしている人や、それを正しいと信じている人を
正当化させて、泳がせて、野放しにして、放置していて、ほったらかしにしているのだ。
ほとんどの人達は、自分の外見や言動や信仰のごく一部を否定されたり、不満を言われることはあっても、自分のほとんどのことを否定されたこともなければ、ほとんどのことに不満を言われたことがない人が多いと思う。

数年前にテレビを見ていた時に、小学生ぐらいの子役の女の子が親から規制されたことがないと言っていた。
人によっては小さい時に周りにいる人から一度も自分の色んなことに対して否定されたことがない人もいるだろう。
その後、周りにいる人の数が増えてくると、自分の色んなことに不満を言われたり、否定されたりする人の方が多いだろうが、
否定されても自分が正しいと信じている人もたくさんいるだろう。
金でやっていく世の中がいい例で、値段が付いているものや、年金や税金などに金を払わない人がいることを多くの人は知っていても、
払わない方が間違っているとか、不正であると、正しい根拠もなく信じている人が多いのだ。
こういう金信者が多い理由は、大勢が値段がついているものや、年金、税金に金を払っていて、これらの金を取ることが刑法違反ではなく、
警察や税金Gメンみたいな強制が入るわけでもないから、正しいと信じ切っている人が多いのだろう。

私は20年以上父親に会っていなかったのだが、2021年8月4日の午後に同じ家に住んでいる私の母親のいた部屋に私が行った時に、
私の母親が「今朝、お父さんが亡くなった」と言った。
この前の月の7月14日ぐらいに私の母親に父親の弟から、父親のことで電話があった。私の母親は私の父親の心臓が弱っているというような感じのことを言っていた。
7月15日には電気ショクをやったと母親から聞いた。7月16日に父親が入院している病院に私の兄弟と一緒に行った時に病院の先生が言っていたのは、
心不全とか、全身臓器障害とか、全身の動脈硬化とか言っていたと思う。
世の中や社会と言われているところも、人間の体に例える場合があるが、
この金でやっていく世の中も病気で障害で異常だとも言えるのだ。
金でやっていく世の中で例外あれど少数派を悪者に仕立て、牢屋の中に入れたり、給料や印税という形で金を貰っていない人を下に見たり、
死んでほしがっている人もいたりして、異常で異様な不正のおかしいことをして、イカレたことをしているのが金でやっていく世の中だ。
みんなで助け合おうとしていなくて、好きな人などの一部の人とは深く関わったり、職場の人や近所の人などで嫌いなだけの人や、どうでもいい人とはあいさつなどで表面的な関りをしているだけだったり、人間扱いしていなかったり、嫌な人を職場から辞めさせようとしたりしていたりする。
一部の人とだけ関わり、その中のほとんどの人とは、関わる気もないのに表面的な対応で関わっている人もたくさんいるだろう。
いい例があいさつで、例外除いて大切ではない、仲間ではない人に表面的、うわべだけ、形だけであいさつしているだけの人もたくさんいるだろう。
金を使うことで人の役に立つのではなくて、ほとんどの人を仲間だと思っていないし、大切だとも思っていないから、金でやっていく世の中をまかり通らせているのだ。

みんなか、ほとんどの人を仲間で大切だと思っているのなら金でやっていく世の中などやっているわけがない。
大勢と同じことをすることが例外あれど素晴らしい、正しいことだと信じたい人がたくさんいるのだろう。
こんな金でやっていく世の中は、体で言えば全ての細胞に栄養が送られているわけではなかったり、血管の一部が詰まっていて、脳梗塞や心筋梗塞みたいなもので、一部の人には金や物の巡りが良くて、入って来ても、
他の人には金が全くか、ほとんど入ってこないようなおかしいことになっている。
何かをやっていたり、存在しているだけで誰かの役に立っていても金が入ってこない人や、ほとんど入ってこない人もいるような、えこひいき差別社会の金でやっていく世の中は、病気や障害のある間違っている世の中なのだ。

好きな人や、両思いの人や、自分の役に立った人や集団などには金を渡したり、何かがあった時に面倒を見たりしても、それ以外の人には面倒を見ないか、面倒を見ても、恩着せがましかったり、上から目線だったりして形だけの対応をしている場合が多いだろう。
あっちの血管には血は流れてくるけど、こっちの血管には血は流れてこないという体だと不健康や病気、障害と言われているような体の状態だ。
私は心臓のことあまり知らないが、父親が入院していた病院の先生が父親の心臓の血管の太い血管のことを言っていたのだろうが、3本の血管のうち2本が詰まっていて、1本もきれいな血管ではないというようなことを言っていた。
体の全ては繋がっているから、心臓の太い血管や脳の血管が足や腸とは関係がないということにはならない。
大勢と同じことをしなかったり、大勢が正しいと思うことをしなかったからとか、値段ついているものに金を払わないからと逮捕したり、罰金を取ったり税金を払わないから税金Gメンの差し押さえをすることをまかり通らせて、その人達の言動を止めて規制して、押さえつけているが、
大勢の人が金信者なので、金でやっていく世の中をまかり通らせていることを辞めようとはしない。
辞めようとはしないのは、多くの人が生きていくのに、みんなで助け合いをする気がない人が多いので、金がないと自分や好きな人や、いい人で善人だと思っている人たちが生きていけなくなり、死活問題だから金でやっていく世の中を辞めようとはしないのだろう。
これを誰かは金に代わるものがないからと言ったりしているが、
ほとんどの人を大切と思っていなかったり、仲間だと思っていない人が多いから、金を通じて、かろうじて、どうでもいい人や嫌いなだけの人と関わっているような感じだろう。
関わる気がない人や、どうでもいい人に形だけあいさつする人が、あいさつという言葉を通じて形だけ関わっているような感じだ。
金でやっていく世の中で大勢の人は苦しんでいたり、仕事と大勢が呼んでいる、給料という形で金を貰うようなことを嫌々やっている人がたくさんいても、それに代わるものがないし、金でやっていく世の中が正しいと信じている金信者達は、金でやっていく世の中という不正でおかしい異常な世の中を辞めて変えようとはしないのだ。

物や金を取るのではなくても、正しくもないことを他の人に押し付けて、自分の言うことを聞けと、直接的や遠まわしに人を自分の言いなりにさせて、
自分の思い道理にさせようとすることは信仰泥棒とも言える。
金でやっていく世の中は不正で間違っているが、金でやっていく世の中が正しいと信じて、金社会に加担している金信者は金非信者を逮捕したり、見下したりして、信仰泥棒をしているのだ。
逮捕して牢屋に入れたりすることを他人の人生を泥棒しているとか、時間泥棒しているとか言わないし、罰金を取ることも不正だが、
罰金を取ることを泥棒とは言わずに、差別しているのだ。
金信者の多くは、店の人が金がないとやっていけないから、値段ついているものに金払わないと店の人の迷惑になると思ったりする人もいるのだろうが、金でやっていく世の中で金信者も金非信者も大勢の人が苦しんでいて迷惑しているのだ。
金でやっていく世の中を正しいと信じて辞めようとはしないけど、払わなければいけないと思っている金を払わないことに対しては不満を持ち、
刑法違反なら逮捕することを許している人も、自分が金を取られることが気に入らないと思っていることには不満を持っていて勝手で、おかしい差別をしているのだ。

合法で金を取っていても、気に入らない値段を付けて商売していたり、それで給料を貰っていると、ぼったくり、悪質商法、霊感商法などと言い、合法でも不満を持ち、非難する差別をしている。
平均の相場より高い値段をぼったくり、悪質という人が相場の値段なら許している一方で、同じことを金を取らずにやっている人が給料や印税という形で金を貰っていないと不満を持つような、イカレている、おかしいところがあり、差別をしているのだ。
具体例で言えば、無職と言われている人が、自分や家族などの他の人の自転車のパンクの修理をしても、仕事や働いているとは言わないのに、
相場の値段で自転車屋の人が自転車のパンクを修理すると仕事や働いている、職業と呼んでも、自転車屋の人で相場よりも高い値段で金を取ると許さずに悪質と言っているようなものだ。
同じことをしていたり、同じようなことをしているのに、相場より高い値段を付けていることを悪質と言っている人も、
他のたくさんのものに値段付けたり、罰金、年金、税金などを取ることは許している悪質なことをしているとも言えるのだ。悪質という人も悪質ということだ。

金でやっていく世の中で、自分が正しいと思うことで金を取ることは許すくせに、合法でも違法でも自分が納得いかないことや、悪だと思うことで金を取ることは許さないのだろう。
言葉は同じ言葉の定義が人によって違って、自己満足の言葉遊びをしている。だから、悪も善もないとも言えるが、
多くの人が一部の人を悪人や悪と言っているので、それならば誰か一人や一匹でも嫌がったり、迷惑していることを悪だと定義付けるのならば、
金でやっていく世の中で多くの人は苦しんでいるのだから金でやっていく世の中や、この金でやっていく世の中を正しいと信じていて辞めようとしない金信者も悪だとも言える。
自分がひどいと思うことうあ、自分に都合の悪いことをしたことを、悪だと言いやすいだろう。自分達も誰かから嫌がられたり、迷惑されているのだ。
本来全てのものに値段などついていなことは分かり切っていることだが、自分や大勢と同じことをしている人達を悪く言わずに、
好きな少数派などは例外として、少数派を悪者に仕立てることで楽をしていたり、上から目線になり優越心に浸っているのだろう。
刑法違反をしている人や、金払わない人を泥棒と言っている人も、誰かが嫌がることをしていることや、金でやっていく世の中という不正な世の中を
正しいと信じたり、まかり通らせていることを悪だと言うとすれば、自分達も悪だということになる。本来値段が付いていないものに値段を付けたり、
税金や年金などを取っていることも泥棒であり、泥棒と言う人も泥棒で、他人の姿は自分の姿だ。

警察が「お前のせいで、お母さんが謝りに行っているんだぞ」というようなことを言っていた続きだが、私は逮捕されてから、その時まで飲食を一切していなくて数日が経っていたのだが、
何も食べていないし、飲んでいないことで体の解毒でもおきていたのだろうが、口の中に粘ついていたものが出てきていて、
それが仰向けになって、目をつぶっている私ののどの方に流れてくるので、
口からその粘ついたものを一回吐き捨てた次の瞬間、私の片方のほっぺたを警察に一回、平手打ちされてビンタされた。
軽い暴力だが、平手打ちしてきた警察は暴行罪で捕まりはしていないだろう。
暴行罪もそれ以外の刑法も、刑法以外の法律も正しいことではない。一部の人が勝手に法律を決めて、自分達に都合よく法律を使っているだけなのだ。
気に入らない暴力の一部には暴行罪を適用して逮捕しても、他の身体暴力には暴行罪は適用しないし、侮辱罪や名誉棄損罪なども、言葉を使っている人のほとんどは中傷、悪口を言っているだろうに、
ほとんどの人には、これらの法は適用されない。ただの差別であり、法律とは差別法だ。都合よく法律を利用している人も差別者だ。

この警察が、私のことを、甘えているというようなことを言ったのだが、
誰でも色んなことに甘えているだろう。金でやっていく世の中が合法なのをいいことに甘えて、金社会をまかり通らせて、金を使って生きているのだ。
警察は合法で税金から給料という形で金を貰っているのも甘えているのだ。
悪人だと思う人に身体暴力をやっても逮捕されないと思って、逮捕した人に甘えて身体暴力をやっているとも言えるのだ。
ほとんどの法律や、法律以外の決まりを守らないくせに、一部の法律や決まりを守り、自分達はほとんどの決まりは守らなくても許されると甘えているのだ。
見下している人にはボロクソな言動をやってもいいと甘えて、そんな言動をやっている自分を許していて自分に甘い。他人に自分の姿を見ているのだ。

私が平手打ちされた日の前か後か覚えていないが、私は体調が悪くなり、声を出して唸っていたら、監視して見張っている人に、うるさいと言われた。
これが街中や、どこかで好きな人や、どうでもいい人が倒れていようが、倒れていなかろうが、唸っていたり、いかにも調子が悪そうな人がいたら、
大丈夫とか言うのは常套句だろうが、私が倒れていてほとんど目をつむっていること自体を演技だと思っているのか、演技だとは思っていなくて
本当に調子が悪いと思っていても、万引きした人間だと見下していて、人間扱いしていないからこういう態度を取るのだろう。
一部の人は、万引きや万引き以外のことで過去の行いが悪いから、そんな態度を取られている、因果応報、しっぺ返し、自業自得などと思ったり、
前世の行いが悪かったのだとか、前世のカルマ(業)の清算だと思うのだろう。
多くの人は子どもを上に見ていたり、好きだろうから、子どもが同じことをしたら大人のせいにしたり、大目に見たり、警察は呼ばないだろう。

私は起きている間は、ほとんど目をつむっていたが、たまにトイレのドアを足でどんどん叩いていた。
しっこ(尿)をするのにも、ほとんどトイレにはいかずに、寝転んだままやっていたので、そこの職員が私にオムツを履かせていた。
私がいた留置所の個室には洋式の便器のトイレがあって、そこを使ったことがある。
便座に座った時の顔の位置らへんには、外からトイレの中が見えるようにしていて、ガラスがあったか、なかったか忘れたが
便座に座った時の私の上半身がそこから見えていた。
その時に監視している人が「遺影みたい」と言っていた。
私が飲まず食わずでいて、2日か3日ぐらいたった時に、私のいた牢屋の中に医者だか病院の人が点滴を打ちに来た。

逮捕されて、5日だか一週間ぐらい経っていた時ぐらいに、監視していた女(多分、警察の女)が私のことを、はっきり覚えていないが「トリになる」か「ハトになる」というようなことを言っていた。
その次の日ぐらいに私は釈放された。
警察署の方で私が釈放になることを知った同僚の警察が、私を牢屋の外で監視していた女の警察に電話か何かで釈放されると言ったのだろう。
ネットで調べていると、「ハトになる」という言葉を釈放と書いているのがあったので、鳥(トリ)ではなく、ハトと言っていたのかもしれない。
釈放とは言わずに、隠語ではっきりとは言わなかったのだろう。

犯罪という言葉は例外あれど、逮捕されるようなことをしている場合や、逮捕されたことがある人に犯罪を犯しているという場合が多いだろうが、
不正をやっていたり、誰かが嫌がることをしていることを罪、犯罪と定義付けるのならば、みんな犯罪をやっていて、罪を犯している犯罪者だ。
赤ちゃんや子どもでさえ親などが面倒を見ることを嫌がっているようなところがあり、育児、子育ての苦しみという言葉は有名だろう。
みんな他人が嫌がることをしたり、誰かが不正で正しくないと思っていることをやっている点では同じだし、法律違反をしていない人などいるわけがないが、法律違反をしている点では同じだが、自分や多数派には甘くて、大勢がやっていることで大勢や少数が嫌がっていることを悪く言う人はあまりいないという差別をしているのだ。
この差別を犯罪という言葉で言えば、差別罪、差別犯罪、えこひいき罪などという言葉で言い表せる。
自分達は犯罪や罪は犯していない、犯罪者ではないと多くの人が思っているだろうが、その意味は、刑法違反したことがない、逮捕されたことがないという意味だろうが、罪は犯していないとか、犯罪者ではないと言われている人も、誰かが嫌がることをやったり、誰かが不正で間違っていると思うことをやっているのだ。
具体例で言えば、動物を食べていることを嫌がっている人がいて、「こんな人類なくなればいいのに」と書いている人もいたり、
人間は動物を食べるようにはできていないと言っている人もいる。
不正の金でやっていく世の中で大勢の人が苦しんでいても、その金社会に加担していても罪や犯罪という人はほとんどいないのだ。

一部の人だけを悪者や悪人や犯罪者、罪を犯しているなどと言って悪く言って、格下に見て、蔑んでいたりして、特定の一部の人だけを悪く言うのを中傷(悪口)とは言わずに、汚い差別をしている人が普通の人や一般人などという言葉で言い表されている。
刑法違反ではないので、人が嫌がることをしていたり、不正で間違っていることをしていても、ほとんどの人は逮捕されることはないが、
逮捕されるようなことではないことで、不正をやっていたり、差別をしている人などを、私は合法犯罪者や合法犯などと呼んでいる。
みんな合法犯罪者で合法犯だ。大勢が犯罪者と言っている人との違いは、刑法で違法か、刑法で違法ではないかの違いだ。

やくざや暴力団と言われている人をガラの悪い人達で悪の象徴のように思っている人もいるだろうが、警察のことを、国営の暴力団と言っている人がいるが、いい得ている言い方だ。
一般にやくざ、暴力団と言われている人との違いは、私営か国営の違いだとその人は書いていた。分かっている人は分かっているのだ。
警察も逮捕する人の体の自由を拘束することをやっているのも、
逮捕された後に逮捕した人に身体暴力をやるのも、いかにも身体暴力をやっていても、多くの人は警察を暴力団とは言わないだろう。
警察も警察以外の人も身体暴力や、言葉で人に悪口(中傷)を言うようなことをしていて、言葉の暴力をやっていても、暴力団や、やくざや、チンピラとは呼ばれにくい。
見下している人に対しては身体暴力をやることを許す人が多いのだろう。
善人と思っていても、子どもに言うことを聞かせるためなどに身体暴力をやってもいいと思っている人もいるのだから、
悪人だと思って見下している人には、なおのこと身体暴力はやってもいいと思っている人もいるということだろう。
警察も暴力団だが、国民や普通の人や一般人と呼ばれている人も暴力団、やくざとも言える。
やくざの全員か、ほとんどのやくざでも不満を持たないか、不満があっても嫌がらせをしたりして攻撃してこないようなことに、
不満を持ったり、不満を言ってきたり、嫌がらせなどをして攻撃してきたりしてくる人もいるのだから、やくざよりやくざ、暴力団より暴力団なところがあるのだ。
普通の人、常識人、一般人、いい人、善人などと言う言葉で言い表されている人達が、ほとんどのことに対して、泳がされて、野放しにされて、
放置され、ほったらかしにされまくっているのだ。
合法をいいことに、やりたい放題の所もあるのだろうし、大勢がやっていることは安心してやるようなところがあり、この金でやっていく不正の間違った世の中を正しいと信じている人の方が多いので、金でやっていく世の中をなくしていこうとはしない人が多いのだろう。

正しいと思う生き方をしている人のことは高評価して好きになったり良く言い、間違っているとか、不正だと思うようなことをしている人のことは、見下したり、嫌ったり、死んでほしがったり、悪態ついたり、
嫌がらせをしたり、蔑んだりしているところがあるのが
人間と言われている生物であり、人のことは一部分や、一面を見たり聞いたりしただけでは分からないところもたくさんあるのだ。

警察を正義と思いたいような人は警察のことを良く言うのだろうが、見下している人には人間扱いしないようなところもある。
自分がいい人や普通の人と思っている人が、自分だったら嫌わないことや、嫌っても死んでほしいとは思わないようなことで、
死んでほしがっている人もいるのだ。
本人以外が知らないことや、大勢が知らないことを裏の顔や裏というのならば、誰でも裏の顔などあるのだ。
裏の方が多いだろう。誰かについて大勢が知っていることや、大勢に見せている言動などの姿は表と言うとすれば、表で見せている顔は
本音や本心を言っていなかったり、大勢と同じことをするという演技をしている場合も多いだろう。
あいさつを形だけするのも表の顔で、あいさつした理由、動機などの裏の部分は隠しているのだ。
知っている人について、ほとんど知らないだろうに、自分が知らない裏の部分を考慮はせずに、知っている部分だけで自分が思いたいように都合のいいことを思っているのだ。
世の中も大勢に知られていないことの方が多いし、人間のことも知らないことの方が多くて裏の方が多いのだが、知らない方には興味もなかったりして、意識しにくいのだろう。

 

 

 



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