新土佐錦魚日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

そろそろ

2021-02-27 11:18:34 | 日記
  本来の新土佐錦魚日記に戻ってみたいと思う。冬囲いから水替えして餌を与えるのは1週間先だが。

 今年は例年に比べても少し早く冬が到来した。年末から年明けにかけては非常に寒さが厳しくて、部屋の中でクロスワードをしてみたり、パソコンをいじって見たりと暇な日常を、「早く気温が上昇してくれないかなーー」と思っていたのだが、予想以上に気温の上昇が大寒を過ぎてからが早かった。

 2月など例年に比べても2,3度高くて、日によっては5,6度以上も気温が高いと言う状況だ。今日も平年より1,2度高い状況なので、水替えを早くしたいという思いはあったが、2月と言う事で、断腸の思いで断念した、と言うのはいささか大袈裟だが。

 まあ来週の土曜日に多分冬囲いを外すだろうから、1週間の天気予報を新聞駄見ても最高気温が13度から15度とかなり高い状況なので、絶対に水替えと餌を少しだけ与えるつもりだ。昨年より1週間早く、例年だと春分の日が冬囲いを外す日に決めていたので、2週間も早い。



私が標準語で話す

2021-02-24 11:26:50 | 日記
  理由は、元々大阪にいた頃は無理矢理関西弁で話していたが、社会人になってそれも東京本社勤務が決まってからは、「これで、思う存分標準語がしゃべれるぞ」と言う気持ちになったからだ。

 入社して2週間が経った頃にアルバイトのおじさんが、「君は本当に地方出身なのか?東京出身じゃないのか?」60を等に過ぎている銀行上がりのおじさんに言われたことがある。他にも数名の東京出身のおじさんにも同じ事を言われたことがある。「だってほとんどの人が関西出身だと分かるのに、小川君はなまりが全く無い、東京出身だろ?」。

 関西以西では東北出身の人はほとんどいない。だが東京では珍しくも何とも無い。東京本社には東北出身の人が結構いる。だがやはり東京出身の人がほとんどだ。そんな中で東急吉祥寺店に出向している販売の竹本さんは極めておしゃれだった。彼もまた企画志望で3年目の先輩だった。

 私と同様に尾道市出身で、背が高くて一時は役者を志望していたハンサムな人だった。


東側の窓は

2021-02-21 13:01:00 | 日記
  隣の家の塀に囲まれており、ほぼ見えない。西側の窓も日差しが5,6時間程度で環境が良いとは言えない。おまけにトイレが汲み取りと来ているから女性の人はほぼ入居しない。学生の時に入っていた葵荘は水洗トイレだったが、このアパートは築50年以上建っていると思われ、「そりゃ中々住人が入らないはずだ」と思った。思ったが、ファッションメーカー故アパートを出る時は8時前、帰る時間は10時前後でほぼ寝るだけ。

 大阪勤務なら営業部しかないので諦めていたのだが、東京本社には全部門がある。私は企画志望だったので好都合ではあったが、世の中そうは行かない。プレスも選択肢の1つだが、あくまで企画を志望し続けた。その間は商管で営業部を手伝っていたのだが、いつまで経ってもお呼びがかからない。営業部の皆さんからは、「企画部に行くのはお前しかいない」と言ってもらえたが。

 

 

卒業式近くに

2021-02-20 11:30:23 | 日記
  なって、「君を東京本社勤務に命ずる」と言う文書での知らせが届いた。てっきり大阪勤務と思っていたが、東京本社勤務と聞いて内心わくわくしていた。後で聞いた話だが、東京本社勤務の者はゼロで、(実質東京本社では新入社員の試験は行われていなかった)京都産業大卒の人や関大卒、桃山学院大卒の人は珍しく無く、関西弁が横行していた。

 私が知っている限りでは、京産卒が4名、関大卒と桃山学院大卒がそれそれ1名づつと後は途中入社がほとんどだった。同期の顔ぶれを見ても、関大卒、関学大卒、立命館大卒などと1流の大学だ。だが、その謎は徐々に解けた。7月までに辞める者が数名と辞める社員が続出した。ファツションメーカーだから辞めるのは必然と言えばそれまでだが、とにかく給料は安かった。

 私は都内では無く隣の埼玉県の蕨市に会社が借りた借家住まいだったが、その年の12月に川口市のアパートに引っ越した。家賃は1万円で駅から2分と、「何でこの条件で?」と即座に入居。だが条件に見合うオンボロアパートだった。


ヨーロッパ旅行が終わってからは

2021-02-17 14:45:02 | 日記
  伊丹空港に着いて、その後に今里のアパートに到着した訳だが、どうにか大荷物を部屋に持ち込んでからは飯も食べずにただただ眠り込んだ。翌日の目が覚めたのは夕方の5時過ぎで、前日の午後6時過ぎから23時間も寝ていたことになる。それ程疲れていた訳だ。

 ヨーロッパ旅行は17日間と言う長い期間で、7か国を回っていた。アテネ、ローマ、フィレンツェ、ジュネーブ、パリ、ベルギー、アムステルダム、最後はホバークラフトに乗ってロンドンと大学生のみの旅行だった。どちらかと言えば男性よりも女性の方が多く関西中心と言えばそうではなく、名古屋の大学生も含まれていた。

 77年に行ったので、その時はKLMで南回り、帰りはアンカレジ経由で滅茶苦茶寒い中を帰途に着いた。あっ、話の途中だが三卯養魚場に糸ミミズが届いたらしい。1月24日のことだが。昨年は全然届かなかっただけに、とても嬉しいニュースだ。