初めて行われたのは、2001年だったと思う、多分。高知城の入り口近くで模様されたが、初めから土佐錦魚を見せるだけの会なので、売り買いは午前中はご法度だった。
12時を過ぎると入り口の外で売買は行われたが、元々大っぴらには高知の方達はしていなかったので、高い金額では誰も見向きもしない。2千円がせいぜいだった。
だが私の魚は毎年30分しないうちに完売していた。愛好家が10人前後品定めしている。私が、「今から始めますが、20匹しかいませんのでじゃんけんで1匹づつ取って下さい」。
少ない人で1匹、多い人だと3匹と洗面器に取って入り口の外で金額を払う仕組みだ。他の人も分譲魚を並べるが、当歳魚でも5千円と安くは無い。元々高知産の土佐錦魚だから私の魚とはかなり違う。その頃の高知の魚は鰓の幅と腹の幅がほぼ一緒だった。
つまり高知では長手が好まれ、丸手は「返しが少ない」と言う理由で品評会にはほとんど出ることはなかった。
この魚を見比べて見ればその当時の高知の魚の姿が見て取れる。
12時を過ぎると入り口の外で売買は行われたが、元々大っぴらには高知の方達はしていなかったので、高い金額では誰も見向きもしない。2千円がせいぜいだった。
だが私の魚は毎年30分しないうちに完売していた。愛好家が10人前後品定めしている。私が、「今から始めますが、20匹しかいませんのでじゃんけんで1匹づつ取って下さい」。
少ない人で1匹、多い人だと3匹と洗面器に取って入り口の外で金額を払う仕組みだ。他の人も分譲魚を並べるが、当歳魚でも5千円と安くは無い。元々高知産の土佐錦魚だから私の魚とはかなり違う。その頃の高知の魚は鰓の幅と腹の幅がほぼ一緒だった。
つまり高知では長手が好まれ、丸手は「返しが少ない」と言う理由で品評会にはほとんど出ることはなかった。
この魚を見比べて見ればその当時の高知の魚の姿が見て取れる。