新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

そろそろ青谷道で降りようかな

2024年04月17日 | 健康のことなど
火曜の定期検査では、HbA1cは7.6から7.5に0.1ポイント低下していました。血圧も150/95だったのが、130/85に低下しました。体重も2キロ以上落ちました。

先月は主治医の先生に「数値がこのままならクスリを増やすで」と予告されていたので、まずはひと安心です。クスリが増えたら医療費の増額につながるわけで、家計に打撃です。

しかし、体重測定については、着衣の重量として、薄着の夏も厚着の冬も、一律1キロマイナスは、おかしいんじゃないかと思ってます。冬のあいだは関西弁の「パッチ」(ズボン下、要するに股引です)をはいているわけですからね。パッチだけで300グラムから500グラムはあるのではないですか?

体組成計は筋肉量や脂肪量をはじき出すわけですから、着衣を除いた人体部分の重量だって精確・精密に測定できてよさそうなものです。できないのかなあ。

技術的には可能だけれど、その分コストが上昇するからやろうとしないんでしょうね。医師のだれも受診しないという、胃カメラに比べ正確性にも劣り、身体的負担も大きいバリウム検査がいまもまかり通っているようにです。全国の病院・医療施設にレントゲン設備があり、放射線技師に従事する人たちがいる以上、なかなか廃止することはできないでしょう。

話が脱線するようですが、江戸時代、幕府が橋を架けることを認めなかったのは、江戸を西国諸藩から防衛するためだったといわれます。あるいは、当時の架橋技術の低さも指摘されます。

しかし、三条大橋には秀吉時代の石製の橋脚が残っていますね。岩国藩の
吉川広嘉が中国の反り橋「蘇公提(そこうてい)」をヒントに建設した錦帯橋だって、江戸時代のものです。

幕府が橋を架けることに前向きでなかったのは、そうした軍事的、技術的理由ばかりでなく、渡し船に関わる人たちの雇用対策の側面もあったのではないかと私は思います。

たとえば、大井川のような大河では、中洲で渡し舟を乗り換えました。川の東側の村と、対岸の西側の村で、利権を分け合っていたと思うのですね。船頭や川越人夫は、数百人単位でいたはずで、家族も含めたら数千人の生活を支えていたはずです。

橋を造れば便利になりますが、川渡しの職を失って、路頭に迷う数千人の生活をどうしたらいいのかという問題は残りますよね。江戸幕府は、民政という面では、現在の政府よりはるかに「マシ」でした。大塩平八郎の乱が不発に終わったのも、幕府の飢饉対策が、クズエリートの大塩が想定していたより、はるかに行き届いたものだったからです。

さて、一年前の記事。

ハイキング続きで、膝に違和感を覚えてサポーターを買ったのはこの日だったようです。

しかし最近は膝サポーターは装着していません。

今も登山がつらいのは変わりませんが、今週は気づいたら山頂目前の「奥の院」に到着していました。からだがだいぶ山に慣れてきたようです。

膝がしくしく痛むこともありますが、膝サポーターを装着したのは昨年8月が最後でした。毎週お山に通うことで、大腿筋その他の筋肉が鍛えられ、膝にかかる負荷が減ったのでしょう。

トップ画像は、摩耶山の青谷道での一枚。最近、青谷道で降りていませんね。

上野道の峠茶屋の恋人・山猫マヤーも最近は忙しいようで、なかなか会えません。今週末は久しぶりに茶園カフェに顔を出しましょうか。



みたび摩耶山へ おすすめのルートは?

ごきげんよう…れんです…はぃ。4月16日の日曜日も、摩耶山に行ってきました…。この写真は、摩耶山の掬星台のカフェからの神戸港の眺めです…!土曜日は雨だったので、父はぃつもどお......


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