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ジャージ姿からスーツに、岡田武史監督

2009年06月09日 | サッカー日本代表
「昨日の試合終了のホイッスルが我々の新たなチャレンジのスタートだと思っています。我々の目標であるベスト4に向かって、また闘志を出して向かっていきたいと思っています」


1年後の2010年6月11日から1ヶ月間、南アフリカの9つの都市で開催されるW杯。
岡田ジャパンは出場決定1番乗りを果たし、7日に凱旋帰国しました。
「チームが生き生きとしていないこともあったけど、この1年で自分も学ばせてもらった」と帰国して、まずは一安心の岡田武史監督。

振り返ればウズベキスタンは丁度12年前、初めて日本代表を率いて監督デビューした思い出の地でもありました。
「そうだね。干支が一回りして40歳だった俺が52歳になった」と感慨深げに話していました。
前回は加茂監督の更迭を受け、今回はオシム監督が脳梗塞に診まわれ、いずれもピンチヒッターとして指揮を執っています。
2007年12月から今回の岡田ジャパンはスタートしましたが、実は就任前、岡田監督はオシムさんを見舞っています。その時、岡田監督が「中村俊輔の起用法についてご意見を頂きたい」と口を開くと、オシムさんは「監督同士では助言しないのが礼儀だ」とその申し出を断ったそうです。
就任当初はオシムさんのカリスマ性がチームにも根強く残っており、何かと気を使うことが多かったようです。それが2008年3月W杯アジア3次予選でバーレーンに敗れてから独自色を出すことを決意します。
オシムさんに対して「申し訳ありませんが、もう2度と代表の試合を見に来ないで頂きたい」と申し出たのだそうです。表面には出ませんでしたが、これが大きな波紋を投げかけました。
ある日本サッカー協会の関係者は「あれは事件でしたね。岡田監督との軋轢でスタッフが辞めたりしましたから。“それはないだろう”というムードが漂っていましたから」ともらしています。
とはいえ、岡田監督はあの敗戦から生まれ変わったと言っても過言ではありません。

オシムさんが土台を築いて、岡田監督が骨組みを作る。
今回W杯出場を決め、オシムさんから岡田監督へ祝福のメッセージが届いています「大切なのは自信を持つことだ。これからは知恵と勇気を示して欲しい」と。それを受け岡田監督は「今度きちんとお会いして、“オシムさんのバトンをしっかり頂いて出場が決まりました”と報告をしたい」と話しています。
まさに結果を残せば、全てのことが良い方向に展開する例かもしれません。

実際、チーム状態もとても良くなってきました。
中村俊輔選手は岡田監督について「最初は上から目線で怒りますけど、最後は必ず選手を持ち上げてくれる。だから、わだかまりとか、そういうことが起こらない。ガミガミ言うのはオシムさんの方でした」と語り「気持ちの乗せ方が上手いのは岡田監督かもしれません」と分析してくれました。
その岡田監督、夫人には「もう少し迷惑をかけるけど、申し訳ない」とメールをしたそうです。

出場を決めたとはいえ、まだ最終予選は2試合残っています。
本大会で「ベスト4」を本気で目指すのであれば、スカッと1位通過を果たさなければなりません。
ただしウズベキスタン戦で岡田監督は退場処分となったので、10日のカタール戦ではベンチで指揮を執ることができません。
「阿部と俊輔に指示を出していただけなのに、審判には文句を言っていると勘違いされたのだろう。俺の顔が酷いから、そういう風に思われたのかも知れないな」と異例ともいえる退場劇に苦笑していました。



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