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暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

箱田神社の御札

2018-08-27 17:16:28 | 城館跡探訪
箱田神社の御祭りは、07月27日・28日です。

箱田三郎についていろいろ調べた記念に、お札を受けました。



年に1度しか受けられない、なかなかありがたい御札です。

聖天院館(旧妻沼町)②

2018-08-26 23:24:57 | 城館跡探訪
本日は、聖天院館北側を走る、土塁・土壇状の構築物についてみましょう。

本ブログでは、以前、本堂周辺の土塁についてみてきました。


聖天院館(旧妻沼町)①

https://blog.goo.ne.jp/kurayamikengyou/e/b26a023eb6226b9c809e0c05dcef8b4e


ここでは、本堂周辺の遺構から復習しましょう。

下の写真は、本堂裏を走る土塁の北側の端部分です。

この土塁は、「軍荼利明王の滝」の築山に利用されています。



この土塁は、東に折れます。

北辺に並行して走るこの土塁は、現在は寸断されています。












この土塁の先には、小高い丘があります。

かつては、小さいながらも動物園と、大型の遊具を設置した一種の遊園地になっており、

丘の上には、サルの石像があったことから、サル山と呼ばれていました。

調査日当日は、お祭りのためのステージ設営作業が行われており、立ち入ることができませんでした。

そこで、境内内、千代桝脇を通る指導を北に直進し、背後を流れる芝川、布橋手前の小道を左に入って、

土壇状の構築物の北側を確認します。









どうもこの辺りで、道に折れがあり、虎口を形成しているようです。






聖天院館は、北側の芝川を天然の水堀として利用しているようですが、敷地内にはさらに、水堀があります。

この部分について、どう考えればよいのか。

裏山を見て見ましょう。



(つづく)

聖天院館 1987年(旧妻沼町)

2018-08-26 01:04:42 | 城館跡探訪
斎藤別当実盛ゆかりの聖天院にある聖天院館ですが、境内全体が館跡と推定される

広大なもので、境内の築山を始め土塁・土壇跡が残されていますが、最も中世武士の

館跡をほうふつとさせるのは、本堂背後の土塁と水堀跡です。

ここは本堂が国宝指定されるというややこしいことになるまでは、立ち入りできたのですが、

現在は、自然保護!などという理由で立ち入り禁止になっています。

そこで、ここでは1987年に撮影した遺構の写真をお目にかけます。以前は、裏山なりに

管理がされていましたが、今では本当に蝮が出てきそうなほど荒廃しています・・

もとい、自然に還っています。


土塁は高さが2m近くもあり、上に犬走がありました。




水堀側に降りて土塁を撮影したものですが、夏場の撮影で、うす暗くて不気味ですね。




水堀底に降りてみると、うっそうと茂る植物の間に堀があり、ちょろちょろと水が流れていました。




次回は、聖天院館の北側にある遺構の現在の状況について紹介したいと思います。

香林寺遺構(東別府城)の失われた空堀(1986年:熊谷市)

2018-08-25 16:19:10 | 城館跡探訪
熊谷市別府には、別府氏の城館跡が東西に3つ並んでいます。

その東端の香林寺遺跡の北側墓地裏には、かつてかなりはっきりした堀跡が残っていました。

長さは50mに満たないものでしたが、それでも、深さは成人男性の腰の深さ・・・70cmほど

ありました。

今回、帰省時の資料整理でその写真を見Ýつけだすことができました。

私の記憶では、1982年ころから、3回ほど撮影を行った記憶がありましたが、

今回の整理では1枚の発見でした。



当時は陸稲が植えられていました。各々の写真が異なるとすれば、栽培されている農産物が

違うという点だと思います。

この写真で、2L版の紙焼きを現像しました。

箱田神社と三郎社②

2018-08-25 00:40:35 | 城館跡探訪
7月27日になりました。

10時ころ、箱田神社に駆けつけると、既に祭礼の儀式は済んでいて、

町役の方々が、集会所のような場所で、世間話をしていました。

先日神社前で三郎社について尋ねた男性よりは若い方が多かったです。

下の写真はその集会所ですが、祭りの日には、雨戸が開け放たれていた訳です。




私は町役の方に挨拶をし、三郎社について尋ねたのですが、三郎社についての伝承は

みなさんご存じない様子で、「あんたの方がおれ達よりも詳しいよ」と苦笑いを浮かべていました。

私は、三郎社の納められている社殿の裏にある石祠について質問しました。



これが問題の石祠です。




「三郎社についてはよくわからないけど、後ろにあるのは斎藤別当の三男の墓だったと言われているよ」

地元では、妻沼の長井斎藤氏の勢力が拡大して、箱田近辺までおよんでいたとの伝承があるのだそうです。

しかし、妻沼の斎藤氏には三男はなかったようなので、誤伝なのでしょう。

尤も、熊谷氏と久下氏の所領争いでは、いつの間にか熊谷直実と加藤清正が争ったと変化している例もあるので、

こういうことはしばしばあることなんですね。


「それでは箱田神社というのは、斎藤氏を祀ってもいるのですか?」

「ああ、それは、昔、円明寺という寺があってね、そこを整理した時に出た物なんだよ。」

「円明寺!どこにあったのですか?」

「ああ、このお堂が円明寺の本堂だから。」

つまりこのお堂が円明寺・・・。




なんというか、地元の話は凄い・・・。

それでは、斎藤氏を祀った石祠を・・。









私は、箱田三郎ゆかりの品物として、記念に箱田神社のお札を受けました。

色々な意味で、しつこく追いかけまわした甲斐があったと思いました。