7月27日になりました。
10時ころ、箱田神社に駆けつけると、既に祭礼の儀式は済んでいて、
町役の方々が、集会所のような場所で、世間話をしていました。
先日神社前で三郎社について尋ねた男性よりは若い方が多かったです。
下の写真はその集会所ですが、祭りの日には、雨戸が開け放たれていた訳です。
私は町役の方に挨拶をし、三郎社について尋ねたのですが、三郎社についての伝承は
みなさんご存じない様子で、「あんたの方がおれ達よりも詳しいよ」と苦笑いを浮かべていました。
私は、三郎社の納められている社殿の裏にある石祠について質問しました。
これが問題の石祠です。
「三郎社についてはよくわからないけど、後ろにあるのは斎藤別当の三男の墓だったと言われているよ」
地元では、妻沼の長井斎藤氏の勢力が拡大して、箱田近辺までおよんでいたとの伝承があるのだそうです。
しかし、妻沼の斎藤氏には三男はなかったようなので、誤伝なのでしょう。
尤も、熊谷氏と久下氏の所領争いでは、いつの間にか熊谷直実と加藤清正が争ったと変化している例もあるので、
こういうことはしばしばあることなんですね。
「それでは箱田神社というのは、斎藤氏を祀ってもいるのですか?」
「ああ、それは、昔、円明寺という寺があってね、そこを整理した時に出た物なんだよ。」
「円明寺!どこにあったのですか?」
「ああ、このお堂が円明寺の本堂だから。」
つまりこのお堂が円明寺・・・。
なんというか、地元の話は凄い・・・。
それでは、斎藤氏を祀った石祠を・・。
私は、箱田三郎ゆかりの品物として、記念に箱田神社のお札を受けました。
色々な意味で、しつこく追いかけまわした甲斐があったと思いました。