②では、別府市の本拠地であった別府の立地と事情を知っていただきたくて、
城郭とは直接関係のない祭祀遺跡や郡衙跡についてお話をしましたが、
今日は、別府氏城郭の中心である、別府氏城の写真を紹介いたします。
私は、西別府城、別府城、東別府城の名称でいいじゃないかと思っていますが、
この際、『埼玉の館城跡』の表記に合わせます。
別府氏城は熊谷市内の城郭としては、もっともよく行こうが保存されている城跡です。
それは現在でも同じです。
「自分の町にも城があった・・・・」
この城は、中学生のわたしに強烈なインパクトを与えてくれました。
別府氏城の写真は比較的、枚数がよく残っていました。
当時興奮気味に撮影したんでしょうね。空堀、土塁、虎口の写真の外に、
後年立てられたらしい無関係な石碑まで撮影しております。
まず城址碑。
別府城って書いてあるじゃん!と、とりあえず突っ込みを入れておきますが、
『埼玉の館城跡』では別府氏城です。

次に土塁です。

次は空堀です。

『埼玉の館城跡』に掲載されている写真には、はっきり水堀が写っているのですが、
当時はすでに干上がっています。
一目でわかるように、堀の中は雑草や枯れ葉、枯れ草に大分うずもれています。
こうした光景は後に山城に行った際、もっと悲惨な形で見せつけられることになります。

これは搦め手口ですね。
これでは芸がないので、2012年頃に撮影した写真で補足したいと思います。

これは大手口にある別府神社の鳥居です。
次に土塁と空堀ですが、やはりよく残っていますね。

最後に解説用の看板です。

別府城(東別府城)については、少なくとも、数年前まで空堀が一部残っていました。
今回は、発見できなかったのですが、発見次第、別府氏墓所などと合わせて
アップしたいと思います。
城郭とは直接関係のない祭祀遺跡や郡衙跡についてお話をしましたが、
今日は、別府氏城郭の中心である、別府氏城の写真を紹介いたします。
私は、西別府城、別府城、東別府城の名称でいいじゃないかと思っていますが、
この際、『埼玉の館城跡』の表記に合わせます。
別府氏城は熊谷市内の城郭としては、もっともよく行こうが保存されている城跡です。
それは現在でも同じです。
「自分の町にも城があった・・・・」
この城は、中学生のわたしに強烈なインパクトを与えてくれました。
別府氏城の写真は比較的、枚数がよく残っていました。
当時興奮気味に撮影したんでしょうね。空堀、土塁、虎口の写真の外に、
後年立てられたらしい無関係な石碑まで撮影しております。
まず城址碑。
別府城って書いてあるじゃん!と、とりあえず突っ込みを入れておきますが、
『埼玉の館城跡』では別府氏城です。

次に土塁です。

次は空堀です。

『埼玉の館城跡』に掲載されている写真には、はっきり水堀が写っているのですが、
当時はすでに干上がっています。
一目でわかるように、堀の中は雑草や枯れ葉、枯れ草に大分うずもれています。
こうした光景は後に山城に行った際、もっと悲惨な形で見せつけられることになります。

これは搦め手口ですね。
これでは芸がないので、2012年頃に撮影した写真で補足したいと思います。

これは大手口にある別府神社の鳥居です。
次に土塁と空堀ですが、やはりよく残っていますね。

最後に解説用の看板です。

別府城(東別府城)については、少なくとも、数年前まで空堀が一部残っていました。
今回は、発見できなかったのですが、発見次第、別府氏墓所などと合わせて
アップしたいと思います。
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