本日は、源範頼館跡、息障院について書きたいと思います。
調査日は、2019.02.14です。
源範頼館跡、息障院については、これまでたくさんの方にブログで取り上げられておりますし、
私自身も、度々訪ねております。
まあ、せっかくですから今回は、ちょっと変わった方法をとることにしました。
源範頼の館跡は、現在、息障院と幼稚園になっています。


調査日には、ちょうど梅の花が6分咲きくらいの状態で、日の当たり具合で、咲き方が違います。





まあ、梅の花はこれくらいにして、息障院の山門です。


息障院の周囲は堀で囲まれており、これが館の遺構となるわけです。



門前から続く堀跡の曲がり角です。

源範頼館跡は、空堀以外に目立った遺構はありませんが、よく見ると。西側には土塁の面影を残す
土の盛り上がりが残されています。
堀跡の残り方は非常によく、南側、西側は特に具合がいいです。



この辺りから、ドロボウ草が増え始め、足場も悪くなります。


それでも、直進。
堀の中に入って進みます。



息障院南側の堀内部です。
農業用水と連結しているため深さも、幅もかなりあります。
冬場だからできることで、農繁期には水に注意しなければいけません。
ドロボウ草だらけになりながら、堀から脱出します。
脚がチクチクします。こういうときは軍手を使ってこするように払うと、
ドロボウ草が落ちやすいです。



どうもこの堀は、かつては生活用水としても使われていたようで、足場として使われていた敷石が積んであります。
時代は違えど、貴重な生活の遺跡ともいえるので、特に邪魔にならなければ残しておけばいいのになドと思いました。


南側堀の東端は、かなり藪が深く、その間から三面コンクリートで固められているのが見えました。
東側はこんな具合です。







東側から、境内内に戻りました。こちらにも空堀跡が残っています。

折角なので、本堂側も見てみましょう。

境内内には、土塁の痕跡はほとんどありませんね。
西側には、若干ながら面影が残されていました。



館の規模は少し小さく感じます。こちらの息障院のグラウンドも、館跡に含まれてくるのではないかと思いました。

調査日は、2019.02.14です。
源範頼館跡、息障院については、これまでたくさんの方にブログで取り上げられておりますし、
私自身も、度々訪ねております。
まあ、せっかくですから今回は、ちょっと変わった方法をとることにしました。
源範頼の館跡は、現在、息障院と幼稚園になっています。


調査日には、ちょうど梅の花が6分咲きくらいの状態で、日の当たり具合で、咲き方が違います。





まあ、梅の花はこれくらいにして、息障院の山門です。


息障院の周囲は堀で囲まれており、これが館の遺構となるわけです。



門前から続く堀跡の曲がり角です。

源範頼館跡は、空堀以外に目立った遺構はありませんが、よく見ると。西側には土塁の面影を残す
土の盛り上がりが残されています。
堀跡の残り方は非常によく、南側、西側は特に具合がいいです。



この辺りから、ドロボウ草が増え始め、足場も悪くなります。


それでも、直進。
堀の中に入って進みます。



息障院南側の堀内部です。
農業用水と連結しているため深さも、幅もかなりあります。
冬場だからできることで、農繁期には水に注意しなければいけません。
ドロボウ草だらけになりながら、堀から脱出します。
脚がチクチクします。こういうときは軍手を使ってこするように払うと、
ドロボウ草が落ちやすいです。



どうもこの堀は、かつては生活用水としても使われていたようで、足場として使われていた敷石が積んであります。
時代は違えど、貴重な生活の遺跡ともいえるので、特に邪魔にならなければ残しておけばいいのになドと思いました。


南側堀の東端は、かなり藪が深く、その間から三面コンクリートで固められているのが見えました。
東側はこんな具合です。







東側から、境内内に戻りました。こちらにも空堀跡が残っています。

折角なので、本堂側も見てみましょう。

境内内には、土塁の痕跡はほとんどありませんね。
西側には、若干ながら面影が残されていました。



館の規模は少し小さく感じます。こちらの息障院のグラウンドも、館跡に含まれてくるのではないかと思いました。
