この話は以前にここに書いたと思うので、何度かここを見てくださっている方には申し訳ないのですけど、犬の名前とケーキ屋さんの話をもう一度。
うちにわんこがいて、名前はショコラという。この子の一歳の誕生日にケーキを買いに行った。もちろんその記念日にかこつけて自分たちが食べるためである。いつも行く美味しいケーキ屋さんで誕生日ケーキを頼んだ。それにはプレートがのっかってて名前を書いてくれる。
『お名前はどういたしましょうか?』
「ショコラでお願いします。」
『男の子さんですか、女の子さんですか?』
「・・・、犬です。(^_^;)」
(おねえさん)にっこり…。
なんてやりとりが、店のおねえさんと買いに行った子どもの間であったわけです。それを私はこのブログに、「最近の店員さんはマニュアル通りでないと対応できないのかなぁ。ショコラなんてすぐ犬だってわかるだろうに。なんで男の子か女の子かなんて訊くのか…。」と書いたわけです。
あれから数年経って、私の考え違いだと気づきました。おねえさんには悪いことしちゃったなって思ってます。だって今はショコラって名前の子が本当にいる。ショコラだけでなく、まろん、シフォン、ここあ、びすこ、しいたけ(マジ)…なんてたくさん出てくる。食べ物系だけじゃない。びーなす、ぴんく、きんぎょ、らばぁず、ぴろり、らびっと、じゅごん、とんび、ぴろりん、しっぷ…と意味のある文字から、本名とは別にニックネームにしたらいいやんと思えるものまで盛りだくさん。ハム太郎、きてぃ、ぴかちゅう、ぴっぴってつけても、確かに著作権違反には問われないだろうけど、つけられた子どもたちが大人になっても満足してくれるだろうかと思っている。林檎とかいて「あぽー」ちゃんとか、聖水とかいて「みい」ちゃん、ストレートに「いちご姫」と名付けた親御さん、大切な子どもが可愛くて仕方ないのはわかるけど、子どもの時より大人の時の方が長く、若い時より、おじさん、おばさん、じいちゃん、ばーちゃんの期間の方が長いんだから、そんな年齢でも使いやすい名前の方がよかろうと思うけど、親の愛情の方が勝ってつけたんだろうなぁと思う。
薬屋に勤めている人が処方箋の名前を見て「お腹いっぱい」と言うぐらいだから、もうこの名前たちは当たり前になりつつあるのだろう。ケーキ屋のおねえさんがショコラと聞いて性別を訊いたのも当然のことだったんだなと、今は理解できてきた。
「ショコラが犬の名前と聞いて、おねえさんが(店の奥に)『お名前はショコラちゃん、犬です。』って言ったんだけど、そう言えばホッとしていた感じ。」
改めてその時の様子を尋ねた時、子どもがそうつぶやいた。おねえさんも大変だったんだなぁと今になってわかったんです、私。
図書館に行った時、子どもたちが先生に連れられて帰るところだった。こう言う時はみんな手をつないで歩いている。大人は気づかないけど、ほんの少しの段差でも子どもにとっては大変。転けてしまうものだ。まして、手をつないで離しちゃダメって言われていたらなおさらのこと。子どもにはその場に応じて臨機応変になんて無理だからね。
転んだ子どもをおばあちゃんが心配そうに見ていた。子どもは元気なものだ、自分で立って置いてきぼりにならないように急いでいた。先頭の先生は若い女の人だったけど、後ろの先生は男の子(人)。時代は変わるなぁ。名前も仕事も、する人も。変わらないのは親が子どもにかける愛情だけか。後はその愛が空回りしないようにするだけ? 子どもを自分のものと思っている間は空回りし続けるに違いない。子どもが中学生や高校生になっても空回りがおきてしまう。自分が若かった時は、「親=十二分に成長した立派な大人」と思っていたけど、15才の子どもの親は親歴たった15年。15才の親と15才の子どもがお互いに成長しきってないのは当たり前なのかも知れない。15才だけど30才ぐらいに成長できている人がいるなら、自分はきっと頭を下げるだろう。この子たちもそんな成長をして欲しいな。これからの人たちなんだからね。