倉敷界隈(かいわい)

「今の倉敷」と「今の私」の記録です。

ワラビ売り

2009年05月23日 21時39分34秒 | 写真

このおじさん、いつも駅前商店街の入り口のところに立ってワラビを売っている。

ワラビは好きだ。子どもの頃には必ず毎年親がワラビ狩りに連れていってくれた。その時には採るのが面白かったのであって、食べたいとか味が好きだったわけではない。だけど山に入ると店でもない場所で食べ物が手に入るってのが面白かった。自分には「食べられるもの=お店に並んでいるもの」という感覚しかなかったからだ。

今では採ることではなく食べることが好きだ。山菜そばとか山菜の炊き込みご飯なんてのがいい。いいのだがそれは店か職場で食べるだけにしている。ワラビを採ることも買うこともない。たぶんこれから一生ないと思う。

家人の父親も山菜好きで、仕事が終わって帰宅する道すがらよく採ってきていたそうだ。家人の子どもの頃には採ってきたキノコでみんな中毒をおこし病院に行ったなんて笑えない話もある。

彼が定年退職し、請われて少しだけ仕事に復帰していた頃、同じようにワラビを採って帰ってきていた。

「とんでもない量を採ってきて毎日こればっかり喰っていたんだから」

義弟が一度言っていた。

兄弟の中で一番長生きすると誰もが思っていた彼は、70を待たず逝ってしまった。余りに信じられないことに義弟はその原因をワラビに押しつけようとしていた。

「こねぇなもんばぁ喰ようるから命を縮めたんじゃ」

彼が採ってきて冷凍していたワラビが冷蔵庫から出てきた時、吐き捨てるように言った。

義弟もわかっている。いくらあくがあるからと言って、ワラビを食べたからガンになったりはしないだろう。わかってはいても、最愛の父を亡くした彼には敵が必要だった。それは父が毎日採ってきていた山菜に向けられた。

家人も同じ気持ちだろう。わかってはいてもワラビを食べたい気持ちにはならないのではないか。そう思って私も手に取ることはない。

このおじさん、別に私は恨みがあるわけでも何でもないのだけれど、今はワラビは買わないのです。お許しください。

日記@BlogRanking


一緒に生きる

2009年05月20日 21時13分56秒 | 写真

今うちでは私たちと若者夫妻が一緒に住んでいる。今は一緒だけど、いつまでもじゃないだろう。数年後には独立するだろうし、それでいいと思っている。昔はみんな一緒に住んでいた。私も家にはおばあちゃんがいたし、もっと言えば年寄りは自宅で最期を迎えていた。若かった自分にとっては年寄りの言葉は古くさく、お節介で余りいいものではなかった。そうではあったが、実際には役に立っていたのであろう。知らず知らずの間にその古くからの知識が身体に染み込んできていたんだと思う。

若者夫妻、普通の生活だと特に困らないんだけど、何かがあった時にはどうしていいかわからずパニックになるみたいだ。自分たちから見ると実に普通の放っておけばいいようなことでも、経験のない人たちには大事に違いない。あの子たちがパニクっていても、私たちが「まぁそんなこともあるさ、驚くことでも慌てることでもない」とお茶を飲んでいたら大体が収まる。そう考えると年寄りの経験と言葉は貴重なんだなと思う。

最近この手の催しが多い。今から50年もしたらこんな手遊びを覚えている人もいなくなるのかも知れない。一緒に生きていたら勝手に伝わるものだろうに。

今の子どもたちはゲームしたり高価で複雑な機械で遊ぶのを好むと思われがちだけど、子どもの心や行動なんて昔からそう変わっているものではないだろう。そういやぁ昔はみんなこんな遊びをしていた。竹馬は男の子が多かった。手前の子のやっている下駄みたいなのは女の子がしてたなぁ。これは竹で作ってあるけど、私の田舎では缶詰の空き缶で作ってた。竹馬も1m以上の高いところに足を乗せる板をくくりつけたりもしてた。学校で竹馬に乗って鬼ごっこもしたっけ。あの頃って竹馬で走ることも出来たよな。

おかあさんたちも久々に乗ってみたかったんだろう。だけどみんなヘタっぴ。昔は乗れてたんだろうけど今は10秒ぐらいで落ちちゃう。かく言う私は、、、乗ってないからわからないけど似たようなもんだと思う(笑)。

日記@BlogRanking


楽しい!!

2009年05月17日 14時22分56秒 | 写真

GWのハートランド倉敷2009/ストリートオルガンの様子です。前はハートランド倉敷ではなく、倉敷音楽祭の時にやってたと思うんだけど、記憶違いかなぁ。美観地区のあちこちに出没(笑)して、これを聴かせてくれたり体験させてくれてたと思います。

いつものおじさんたちでしたけど、今回はアイビースクエアのステージでした。3、4日の二日間あったみたい。

ところでクラリネットを持っていつも自転車に乗ってた付け髭のおじさんはどうされたのでしょう。ちょっと心配してます。

日記@BlogRanking


通り過ぎる

2009年05月15日 22時18分47秒 | 写真

自分はこう言う時どうしているだろうか。通り過ぎている。同じように通り過ぎている。

気持ちはわかる。どうにかしてあげたいという心もある。だけどそんな余裕はない。他人も大変だろうけど、自分も同じだ。なによりそれが押しつけのように感じられてあまりいい気分ではない。

そんなつもりじゃないのはわかる。そう感じるのは自分のせいだ。だけど感情は止められない。

自分は先を見据えて行動してきたつもりだ。みんながそうやって生活してきたと言う。だけど同じ立場になったら同じようにするだろう。政府が悪い、社会が悪いとは言わない。自分を守るのは自分しかないと思っている。

繰り返すけど、自分が同じ立場だったら同じ事をするだろう。通り過ぎるカップルのことを言っているのではない。立っている少年のことを言っているのだ。あぁカップルの方も同じか。自分も同じ事をしている。

日記@BlogRanking


負われた日

2009年05月11日 20時56分56秒 | 写真

犬が負われていた。飼い主はさぞ自慢なんだろう。犬の方も、高いところから遠くが見渡せて気持ちいいに違いない。後ろ足が悪くならないかと少し心配だけど、小型犬だからその体重もたいしたことなく問題ないのかなとも思う。

先日家で赤とんぼの話になった。夕焼け小焼けの赤とんぼ、あの歌のことだ。

家人が4番なんて知らないと言い、あの歌は4番まであると残りの人たちが言う。結局、家人は順番を飛ばして記憶していたようだ。

♪ 夕焼小焼の赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か

山の畑の桑(くわ)の実を
小籠(こかご)に摘んだはまぼろしか

十五で姐(ねえ)やは嫁に行き
お里のたよりも絶えはてた

夕焼小焼の赤とんぼ
とまっているよ竿(さお)の先 ♪

今自分の前に竿先にとまっている赤とんぼがいる。それを見ていて昔を思いだした。同じように赤とんぼを見た記憶がある。それは自分がまだ幼かった時、ねえや(たぶん地方から出てきた少女。昔はそんな女の子がベビーシッターのように働いていた。)の背に負われてそれを見た。ねえやの温かい背の上、疲れていたか眠かったか、自分はその時幸福であった。自分は大きくなり、ねえやも他所に嫁にいってしまってもう会うこともなくなった。どうしているだろう。自分のまぶたには若くて自分を可愛がってくれたあの顔の記憶が残っているだけ。そう、あの頃、籠にいっぱいの桑の実をとったことがあったっけ。いつだっただろう。誰と?ねえやと?いや母とだったか?? …もう忘れてしまった。あの頃の情景は、まるで映画のワンシーンのようで、現実だったのかそれともどこかで見た作り物の風景だったのかあやふやだ。だけど、、、そう、確かにそんなことが昔にあったよなぁ…。

作者はそんな回想をしながら赤とんぼを見つめたのではないか。その間にきっとトンボはどこかに飛んでいってしまったと思う。そうでなければこの詩は作れまい。

子どもが出来たらこんな歌を伝えてあげたいなと思う。美しい日本の情景。風景も気持ちも自然も優しさも故郷も、全てが日本の持つ美しさだと思う。

 

10年経ったら写真の犬は死んでしまうだろう。この犬、死ぬ時にはこの幸せな背の上の記憶を思い出すだろうか。それなら一緒に生きていてよかったと、飼い主はきっと思うだろう。そんな幸せな記憶であって欲しい。

 

話はわかりますが、出来れば皆さんはあまりしない方がいいですよ。上に乗せると自分の方が飼い主より偉いと思うからやめた方がいいと一般には言われてますからね。自分的には、本当にそうかどうかはその犬次第という気もするんですけどね。

日記@BlogRanking


人形を撮る人

2009年05月10日 21時30分59秒 | 写真

暑いです。倉敷は夏です。半袖Tシャツにカメラマンジャケットだと暑いです。犬が暑がって散歩しません(長毛種なので暑さに弱い)。私はと言うと、仕事の遅い人がいて、その人に任せると穴が空きそうなので自分でやりました。おかげで二日連続寝たのは4時。8時頃には起きますからもうボロボロです。その上、部屋のクーラーが壊れたようで風しか出てこない。本格的に暑くなる前に買わないといけないなぁ、お金ないのに。

こうなったら熱を持って熱を制しましょう。

3~4月ぐらいの写真です。ぽかぽかを通り越してむしろ汗ばむ日だったのですがこの人はモコモコしてました。最初は何しているかわからなかったんだけど、光を色々調節しながら人形を撮ってたんです。

自分は写真撮るから行動が理解できるけど、たぶん一般人には無理。みんな引いてましたねぇ。

だけどね、こういう光加減でないと撮れないのですよ。バックもシチュエーションも大切だからこうやって撮らないとダメ。いい写真になったらいいですね。

日記@BlogRanking


聴く

2009年05月08日 04時49分37秒 | 写真

これから数回、ハートランド倉敷2009の風景を掲載してみます。

 この楽器はアルプホルンでいいのかな。それまではアルプスホルンというのかなと思ってたんだけど、どうやらそれは間違いで、アルプホルン(Alphorn)またはアルペンホルン(Alpenhorn)が正しいみたいだ。

 材料になる木の植わっているところは風が強いらしく、そこで育った木は下の方がくねっと曲がって育つのだそうだ。そのいい具合に曲がったのを切って、ふたつに割り、中をくり抜いてもう一度貼り合わせる。最後に籐(?)を巻き付けてできあがり。トランペットやトロンボーンみたいに音階を変える機構はないようで、マウスピースの吹き方次第で低音から高音まで吹き分けると聞いた。

 私、かつては音マニアでずいぶん高いステレオも買った。中でも豊かでたおやかな低音は魅力的で、これを再生するのはひどく難しいものだと知っている。アルプホルンの音はホッと心を穏やかにしてくれる。写真の被写体としてではなく、その音に惹かれて聴きたいと思っている。

 子どもは本能的にその魅力がわかるのか。それとも単にこの長いラッパが物珍しいのか。子どもに魅力的なものは大人も必ず惹かれる、これが私の考えでもある。やはり魅力的な音(楽器)に違いない。

 天領太鼓の熱に比べ、アルプホルンを見る(聴く)人はみんなのんびりしている。こんな音楽の楽しみ方もいい。天領太鼓もカウント・ハードもアルプホルンも、みんな違って、みんないい。

日記@BlogRanking


見てます!

2009年05月07日 00時00分00秒 | 写真

 迷惑だ。何か事情があるのかも知れないけど、それはわからない。

 ここは急な上り坂ですぐカーブするところ。こんなところに駐めると下から来た人も上から降りてくる人も大変困る。そもそも上から来たら直前まで見えないしね。

 こういう止め方しているのはたいがいは高級な車。スーパーでも同じ。イオンの障害者コーナーなんて必ず外車か4WDみたいなでっかいのが止まってた。もちろんどんな人かわかるでしょう。今はいちいちカードで開閉する形になった。お店もそう言う人たちに閉口していたのだろう。

車の横の看板の文字。さすがと思う。しゃれてるよ。この横に堂々と駐める人もある意味たいしたもの。この写真を撮った直後、慌てて動かしてましたけどね。

日記@BlogRanking


心花(ここはな)

2009年05月06日 00時03分41秒 | 写真

これはコマーシャルです(笑)

 友人の娘さんが心花というグループを作ってまして、通常よりも倍ぐらい弦の多い琴のユニットなのですが、毎年倉敷の総鎮守、阿智神社で奉納演奏してくれます。もちろん今年も聴きに行きまして、折角だから皆さんにも聴いていただこうと思います。※毎度ながら手持ちなのでブレはご勘弁を。人が多すぎて小さな三脚立てる隙間なんてありませんでしたから。

 私も応援してます。皆さんもよかったら是非CD買って応援してください。興味を持っていただけたら、ここのリンクからHPに飛べますので、そちらも見てくださいね。

 ちなみに知り合いの娘さんは向かって左側の青い服のお嬢さん。どちらも素敵な娘さんですよ。

日記@BlogRanking


子どもの日

2009年05月05日 16時24分53秒 | 写真

子どもの日ですね。皆さんの家では何かしましたか?

友人の家では子どもをみんな引き連れてファジアーノの応援に行ったとか。嬉しいことにホーム2連勝ですからきっと盛り上がったことでしょう。うちんちは子どもがウイルス性胃腸炎になってしまい、もう症状は峠を越したからよいのですが、私以外はみんな家でおとなしくしてます。私はと言えば、友人の娘さんが奉納演奏をするので聴きに行って、今厄除けを貰って帰ってきました。阿智神社でヨモギ菖蒲をくださいまして、さっき玄関にぶら下げてきました。ちびが健やかに成長しますように。

商店街にはだいぶ前から鯉のぼりが泳いでます。うちんちには上げることは出来ないので、ここで楽しんでます。ちなみにこの鯉のぼり、うちの県でたくさん作っているんですよ。知ってました??

子どもの日に合わせて、あちこちで昔遊びのコーナーが現れました。コマ、竹馬、けん玉、、、自分的にはぱっちん(東京言葉でメンコのこと)が好きだなぁ。それは見かけませんでした。

ところがこのコマ、久々にやるとうまく回らない。(^_^;)

子どもの頃は、大きかろうと小さかろうと、手のひらの上だろうと狭い場所に乗っけようと、好きなようにどこでも回せたのに今やると全然ダメ。何で??と再チャレンジするんだけどまたまたうまく行かない。余りにも恥ずかしくてやめてしまいました。

こんな人って多いようで、おじいさんも??って顔しながら戸惑ってました。形も紐も昔のと変わってないのに、何でうまく行かないのかなぁ.ちょっと自己嫌悪。

昔はコマを学校に持っていって休み時間に遊んでました。今はたぶん不要物って怒られますね。今の子が DS や iPod を持っていくのと同じですよね。こうやってみると昔も今も、子どもたちってそう変わってないのかも知れません。

日記@BlogRanking