倉敷界隈(かいわい)

「今の倉敷」と「今の私」の記録です。

守る人、隠れる人

2009年09月27日 17時07分18秒 | 写真

 何が一番嫌いかと言われたら、卑怯なのが一番醜いと言うだろう。

 いつも路上へ不正駐車している車、ナンバープレートを見えなくしている車、レストランの隣で食事している人はビールを飲んでそのまま車に乗り込む。万引きして「だったら金払えばいいんでしょ」と捕まった人が言う。子どもも大人も同じ。なんて醜い人たちだろう。日本人とは思えない。

 多分この写真を見てもわからないだろう。電灯の下に隠れるように人が立っている。ここで目を光らせ、100m先で車を止める。あなたシートベルトしていませんね、こちらへどうぞ。交番には数台を駐めるスペースがある。決まりがあるのに守らない人、そんな輩を放っておきたくない。罰を与えてくれてありがとう。それはその通りなのだが、、

 田舎では名士というのは、地区長、小学校の校長、造り酒屋の主人と駐在所の警官だった。何か集まりがあると、その人たちが別格の扱いででんと座っていた。立派な風景だった。

 ところがそんな人たちの権威がどんどん落ちてきた。悪名高き神奈川県警だけでなく、福岡やあちこちで警官が悪いことをする。飲酒運転を取り締まる人が飲酒運転をして捕まる。そんなことが連続して報道される。一体どうなってるんだと思う。権威も何もあったもんじゃない。なんだ警官って立派な人ではなかったんだ…。

 実際はどうなんだろう。警官の99%以上はしっかり頑張ってくれているはず。ホンのごく一部に何かあるとみんなが悪く言われる。日本の特徴か、公人、公務員が何かしたら鬼の首を取ったように「最近の○○は…」とみんながえらそうに話し出す。お上に反発することで自分を優位に見せたいようだ。反発は自分のアイデンティティを保つのに必要か。

 警察の権威失墜が始まった時、大阪で色々な人たちを呼んで意見を聞く場があった。警察が呼んだ会だった。誰を呼んで、どんな意図で、どこで、いつやったかは覚えてない。だけど1つだけはよく覚えている。

 さすが大阪、呼ばれた人の中にはお笑いの人もいた。

「こっそりと草むらに這いつくばってねずみ取りしている警察に権威なんてありまっかいな」

 文珍さんが言った言葉は、まだ免許も持ってなかった自分にもものすごく印象に残る言葉だった。続けて、「金が無くなると取り締まりをするんよ」と言う父の言葉が追い打ちをかけた。

 「田舎の駐在じゃなく都会の警察署に戻るためには実績がいるからな。じゃから若い警官が(転勤で駐在所に来ると)よく取り締まりするんよ。」

 あぁ取り締まりってお金のためだったのか。子どもにはそうしか取れなかった。

 私は警察の人はとても頑張って仕事してくださっていると思っている。だけどこの小さな時の刷り込みがいつまで経っても抜けない。またお金儲けなのか…と。

 誰かこの気持ちをなくしてくれないだろうか。それとも本当に少しの真実を含んでいるのだろうか。そんな大人の事情は醜くしか感じられない。

日記@BlogRanking


風景

2009年09月26日 09時34分41秒 | 写真

 最近よくCDを聴いている。昔人間の私にはCD=高いものというイメージがあり(出だしの頃は一枚3800円ぐらいだったし、イ・ムジチの四季に至っては4500円もした。ノーマルなCDだったのにね。)、買うのに躊躇していた。それにレコード屋(死語?)に行っても好きなジャンルの置き場は小さいし、そもそも目が悪くなって字を読むのが面倒で、探すのもおっくうになってきた。そんな折、ネットで買えることを知り、更に輸入盤ともなると思いっきり値段が安いとわかった。10枚セットで1380円なんてCDもある。こうなると一枚百均感覚。2500円以上だと送料無料とかで、安いからたくさん買ってと言う相手の戦法に見事にはまってしまっている。おかげでつい、、、計算したらもう2万円以上買ってしまった。まぁでも考えてみればこれでも日本版のワーグナー全集ワンセットなんだよなぁ。

 買ったのはケニー・ロジャースのベスト盤(学生の頃聴いてた曲、ホントは「ギャンブラー」というアルバムが欲しかったけどベスト盤しかなかった)、ペンギン・カフェ・オーケストラ、クラシックをたくさん。

 と言っても自分はクラシックはわからない。スコアは読めないし、曲を聴いて「この指揮者の意図は、、、」「和音が美しく…」「ドロドロした心情が…」なんてことはさっぱりわからない。わかるのは「気に入った」か「不快」かだけ。その程度の人間だ。ただよくわかる人(?)のうんちくが面白く、HMV ONLINE で買ったんだけど、そこのコメントに面白いのが書いてあるCDを買っている。ほなら聴いてあげましょって感じ。もちろん自己責任。

 今聴いているのはルビンシュタインのショパン夜想曲集。この二枚組のCDが昨日から流れっぱなし。実は余りピアノ音が好きじゃなかったんだけどなぜかこのCDは聴いてみたくなる。オケならショルティの展覧会の絵。これを聴くと仕事にならないから麻薬みたいで困ってしまう。

 ついでに図書館で借りてきたクラシックの辛辣な評論本を読んでいる。内容はよくわからないが、奔放な書き方でそれがまぁ面白い。韓国人独特の書き方もあって全部が納得しかねるけど、自分が面白いと思うところは読めばいいし、むかつくところまで納得する必要もない。文全体としては面白いから読んでいて楽しくはある。彼は随分クラシックをよくわかる人らしい。わかって楽しめる人はいいなぁと思う。同じ事が自分にも専門分野だったら出来る。だけど、クラシック音楽はその対局の非専門分野と言っていいだろう。彼の言葉で表現すれば「バカな聴衆」。だったらバカな聴衆として楽しめばいいと言うのが自分の考えだ。

 小さい頃は木に登った。子どもは身軽だし簡単に登れた。だけど今は体重を腕力が支えられない。大きな木を垂直に登るのは無理だな。そういやぁ子どもの頃はよく転けたっけ。大人になったら転けない。体のバランスが良くなったからか、それだけ動いてないからなのか。

 今度転ける時は入院する時か。年寄りになって転けて骨でも折ると、そのまま寝たきりになっちまうことも多いみたいだ。そう考えると動ける時にあんな事もこんな事もやっておけば良かったと感じる。こうやって木に腰掛けて写真を撮ることも簡単にできると自分では思っている。実際出来ただろう。だけど今も出来るのだろうか。案外あやしいんじゃないかなと思う。この人、行儀が悪いともとれるけど、今できることをやっているのはいいんじゃないかなとも思う。今の自分に出来ることを楽しもう。音楽だって自分の力で楽しめばいい。人の評価で自分を変えることもなかろう。もうそんな時代は終わった。自分はそのトンネルを抜けた歳になった。

 そうそう、手作りのスピーカーでローリング・ストーンズを聴いた。驚いた。よく鳴る。こんなにいい音で楽しめるとは思ってなかった。これからも聴こうと新しい発見で喜んでいる。昔聴いた記憶で、「ロックは音が悪くクラシックはいい」と言う先入観を持っていた。だからクラシックを聴くスピーカーとロックは別にしていた(音のキャラが違うからあながち間違いとも言えないけど)。これからは同じ筒スピーカーでいいなと思っている。巷ではまたぞろビートルズで盛り上がっている。確かにビートルズの音楽は素晴らしい。だけど自分にはストーンズが合う。自分の中では、ビートルズは音楽を作り、ストーンズはロックを作ったと思っている。ロックを聴くなら(見るならもあわせてだが)ストーンズでないとと思っている。さて、シャイン・ア・ライトでも見るか。おいおいキースのギターをロンが不安そうに見つめてるぞ。キースはまた飲んできたのか(笑)。

日記@BlogRanking


子どもたちに出来ること

2009年09月23日 01時07分42秒 | 写真

 使い古された言葉であるが、「子どもには無限の可能性がある」。

 以前も書いたと思うけど、この言葉は子どもの頃の自分にとっては大人の大いなる「ウソ」であった。何が可能性だ。出来るか出来ないかは努力より才能。どんなにやりたくても思いだけじゃダメ。才能がある人だけがそれを可能にする。それは選ばれた人で、自分はそこには入ってない…。

 大人になってやっとわかった。あれは真実だった。本当に子どもはやらせれば何でも出来る。大人がするのはそれをするように仕向けること。挑戦できる下地を作り、させるように導いていくこと。後は子どもが自身の力で何でも可能にしてしまう。そう、子どもはさせさえすれば何でもやってのける力があるのだ。

 三斎市で高校生が色々やっていた。工業高校の生徒がよく飛ぶ紙飛行機を作らせてくれた。小さな子どもたちはお兄さんに教えてもらって楽しかっただろう。

 肩を揉んでくれたのも彼ら。みんな代わる代わる揉んで貰っていた。商業高校の女の子たちはここの前で自家製品を売っていた。実学は彼女たちを急成長させるだろう。あの学校、勉強もしっかりさせる学校と評判だ。

 そんな風景を見ていてやっと気づいた。そうか敬老の日だった。田舎に電話するのも忘れていた。妹の誕生日も忘れていた。そんな心の余裕の無さを恥じた。田舎は元気か。便りのないのは元気な証拠。これは反対だな。子どもの便りの方だよな。

 

 数十日ぶりに少し撮れました&書けました。明日からはまたしばらく無理でしょう。週末には書きたいと思います。今回の外出、2回で計1時間余り。それでもこんな風景に出会えました。時間よりも出かける回数の方が問題なのかな。毎日出かけられたならどんなに良いだろう。昔はそんなことには気づきもしなかった…。

日記@BlogRanking


珈琲館の歌姫

2009年09月22日 09時37分42秒 | 写真

 土日に働かなくていい職業の人は5連休で、5月のGWにかけて秋のシルバーウィークというのだそうだ。これって毎年続くのだろうか。来年は途中に出勤が挟まりそう。それでもかなりの休みがあるには違いない。まだ暑い季節、そんな一週間があるのは歓迎だ。お店にも観光地にも有り難いことだろう。

 昨日久々に美観地区に行ったと書いた。倉敷川沿いはいつものように多くの人で賑わっていた。数ヶ月使ってなかった一眼レフを右手に歩いていると珈琲館の前でコンサートの準備をしている。ギター、、、よりは遙かに小さい、、ウクレレじゃなくて金属弦、でもアレはウクレレなのかなぁ、そんなギターとリズムを刻む電子楽器みたいなの。コーヒー豆の入った簡易マラカス。シンプルな楽器たち。

 ギターを弾くのは店主? 珈琲館の常連でもない私にはわからない。奥さんと後はたぶん従業員(の有志)。よくこう言うことをしている人ではないのだろう、恥ずかしいを連発している。それでも時間が来てやっと開始。シルバーウィークの特別行事でやってくれるのだそうだ。その演奏中は普段1000円の持ち帰りパックが半額の500円。

「歌はどうでもいいから買ってください(笑)」(店主)

 場を和やかにしようとした言葉だけど、根が真面目な人みたいで、笑っていいのか本気の言葉なのかわからずみんなちょっと戸惑ってしまった。

 さぁ始めようとしてヴォーカル不在に気づく。歌姫がいない、、、やっとその歌姫さん登場。曲は一曲だけ(でも長いですから;店主)。いにしえの大ヒット曲「コーヒールンバ」倉敷バージョン。写真の歌姫がコーヒールンバを歌い、替え歌にした歌詞を奥さま(?)が続ける。

 この歌姫さん、めちゃくちゃ声が美しい。透明感のある素敵な声。歌い方からプロじゃなく普通の人だとわかる。声楽をやってた人じゃない。だけどとてもいい。最近結構ソプラノの曲を聴いている。アヴェ・マリアやアメイジング・グレースが部屋によく流れている。この人の声で聴きたいなと思いながら聴いていた。ジャズやポップス、声の魅力でどの曲も美しいだろう。若く明るい人だった。魅力的な女性。

 荷物にもなるし、コーヒーはどうしようかなとしばし悩んだのだが、確か若い頃家人が珈琲館に行きたがっていたなと思いだした。たぶん一度は入ったことがある。定かな記憶ではないが。そこのお土産なら喜ぶかも。うまい具合にカメラバックに小銭が入っていた。1セットだけ買って帰った。私が最初の客だった。あのきれいな歌姫が手渡してくれた。だからきっと美味しいに違いない。

日記@BlogRanking


暑い日

2009年09月21日 16時32分23秒 | 写真

 秋ですよね?! 今日の倉敷は暑いです。

 昔図書館に勤めてました。利用者の人はわからないでしょうが、図書館勤務というのは休みがありません。月曜が休館になってますが、それ以外はいつも開いてる。GWは、皆さんは休みですが、図書館では月曜以外は仕事。もちろんお盆も仕事。月曜が祝日と重なると仕事。勤務が終わる頃になると利用者がどっと窓口に集まってくる。窓口の数は決まっているから多くの人数はさばけない。すると遅いじゃ手際が悪いじゃの文句が出る。もちろん勤務時間内には終わらない。雀の涙の超勤手当は5、6月には底をつき、後は延々とサービス残業が続く。休みが続いても夜間の返却口に大量の本が投げ込まれるので、それを整理しに職場に行かねばらならない。もちろんこれもサービス。

「お盆はいついつがお休みなんですか?」

品のいいおばあさんに尋ねられたことがある。

『ずっと開いてますからどうぞ。』

おばあさんは驚いて、「それはご苦労なことで。」

何事も実際にそこで働いてみないとわからないものだ。

 そんな経験から、連休は図書館が開いていると思っていた。頼んでいたCDが届いたとメールが来たので出かけてみると、、、月曜で休みだった。

 ちょっと残念だったけど、休みで良かった。働く人には必要だ。でもやはり図書館勤めは大変だと思う。入り口の張り紙には明日も明後日も開館の表示がある。このシルバーウィーク、結局休みは月曜だけだった。利用者には便利だろう。利用者は働いている人の事などわからないものだ。気づいてないはずだ。

 折角ここまで来た。今の自分も30分は出歩いてもいいだろう。久しぶりに美観地区に行ってみよう。自転車を図書館前に置き歩いて出かけた。半袖にカメラマンジャケットだったが暑かった。汗が出た。

 美観地区は人が多かった。気づけばおばさまはみんな日傘をさし、若者は半袖のTシャツ一枚。さすがに真夏の日射しではないがひどく暑かった。服装を間違えたな。

 アイビーではこんな風景。おばさんが子どもに水鉄砲で攻撃中(笑)。子どもの傘はおばさまの日傘なんだろう。こんな水遊びの似合う暑さだった。

 もう30分が来そうだった。帰ろうかと横を見ると「冷房中」。CO2削減なんて言うけれど、快適な生活をなくするのは無理だ。理念はわかる。実際は違う。CO2を出さない電気自動車にしましょう。じゃぁ電気を発電するのにはCO2は出ないのか? 自動車の出すCO2の何倍もがそばの火力発電所から出る。そのことは何も言わない。だってエコカーを買ってくれないと経済が動かないから。CO2より経済のためのエコ。

 一番いいエコは買わずに我慢して倹約することか。それじゃ会社が困る。日本が困る。自分は生きるためにはそれじゃぁダメなんだ。この矛盾はいつまで経っても解決できそうにない。そして自分は今日も快適な生活をしようとしている。読んでるあなたはどうですか?

日記@BlogRanking


夏過ぎて

2009年09月20日 10時54分24秒 | 写真

夏過ぎて 秋来たるらし 倉敷は 三斎市も 秋をよそおふ

 なんてしゃれている場合でもありませんが、、、お久しぶりです、倉敷界隈です。

 色々とぐずぐずしているうちに夏は終わりを告げ秋になっていました。言い訳しますけど、夏の間に二度ほど投稿しようとはしたんですよ。ところが書き終わってさぁ投稿と言う時に全部消えて前画面に戻っちまう。マウスがいかれてきた時によくなるアレです。夏の暑さと思うに任せないいらだちで、「もうええわ」って気になり、草稿として残ってはいますが再投稿はしませんでした。

 いま私はなかなか出歩けないような状態です。図書館に予約本を取りに行く30分ぐらいはどうにか出来ますが、それ以上はとても無理。夜の散歩も昼の撮影もあと半年ぐらいは出来ないでしょう。まぁこう言う時もある。それは仕方ない。心残りはこのブログを放置し続けていること。いくらかの方はこういう状態にもかかわらず時々見に来てくださっている。有り難いことです。そして大変失礼申しております。

 この前から少し考え方を変えました。ここは倉敷の今を記録して残しておこうと考えて続けてきましたが、どうしても撮れないならしばらくは言葉で残そうかと。写真を見てくださっている方には裏切り行為かも知れませんが、私が出歩けるようになるまで、言葉の羅列になることもある事をお許しください。出来るなら週に一度は書き込みたいなぁと思ってます。

 さて今日は倉敷駅前の朝市の日。しばらく前まではその存在すら思い出せませんでしたが、今日は覚えてました。久々に行ってくるよと言うと、「鶏肉の焼いたの買ってきて」「肉まんが欲しい」「ぶっかけうどんが安いらしいから」…、みんな結構人使いが荒い(笑)。

 いつものおじさんはいつものいでたちで闊歩している。昼間には人通りの少ないあの商店街も、この時だけは肩がぶつかるぐらい混雑している。ワンコイングルメには長蛇の列。高校生が出店を作り、敬老の日のサービスで肩をもんでくれる。自分はいなくても町はいつものように、いつもの通り動いている。不思議だなぁ。当たり前のことなんだけど、その風景を見てそんな感想でした。

 この風景だけは今を伝えられるのかも。

 生鮮食品の隙間には箱買い用のマスクの群れ。数年後には一体なぜここにこれが並んでいたかわからないかも知れない。新型インフルエンザが猛威をふるい、今では「興味」から「恐怖」に変わりつつある。予防しましょう何て言うけれど、エイズなんかと違い努力だけでこのウイルスの侵入を防ぐのは無理だと思う。マスクでどうにかなるなんてもんじゃない。でも出来るのはこれぐらい。マスクをして、手をよく洗って、アルコール消毒して…。

 職場には多くの人がいるし、その家族、家族の接触する人たち…を考えるとウイルスの侵入はとめられるはずがない。ごく近い人の中にも「昨日から39度発熱しているので今日は休みます」って人たちがいる。その全てが「病院で簡易検査をしたら陰性でした」そうだ。私は「だからインフルエンザではない」とは信じてない。イヤ、今の状態で39度の熱が出る病気が(新型)インフルエンザ以外に何がある?!

 こんな書き方をすると病院を批判しているととられるかも知れない。そんなことを言っているつもりはない。陰性の結果は事実だろう。そもそも初期段階ではたとえインフルエンザでもきちんと陽性反応は出ないと聞いた。病院は最善を尽くしてくれている。その判定は正しい結果。しかしこの前死んだ12歳の子は、何度も検査をしたが陰性で、その後急激に悪くなって死んでしまった。最後にはインフルエンザにかかっていたことがわかった。大病院一生懸命やってもこんなもの。やはり判定は難しいのだろう。だったら我々に出来ることは一つだけ。39度も熱が出たら、陰性判定であろうと何だろうとインフルエンザと思うべきだ。

 職場では病院の陰性判定を錦の御旗として、ここにはウイルスは入ってきていないと言っている。職場から患者が出ると色々大変なのだ。えらいさんとしてはどうにか避けたいのです。そもそもその彼自身が「自分も高熱が出たが病院の検査では陰性で、(マスクしながらも)仕事をしてきた。(もう峠は越したけど)今から考えたらインフルエンザだったのかも…」とおっしゃる。

 どんなに、手を洗え、アルコール消毒せよ、高熱がでて(インフルエンザと)疑われる時は休むようになんて口を酸っぱくして言い続けても、こんなことなんだからこの職場にウイルスが入ってくるのは止めようがない。きっと皆さんの職場でも同じでしょう。日本中似たようなものだと思う。一番の願いは、感染力は強くても弱毒性のままで重篤化しにくい状態が続くようにと。また人生の一番大切な分岐点の時にこれに感染し、失敗したりしないようにと、私は心から祈っているのです。

日記@BlogRanking