どうですかこの面(店)構え。すっごいでしょ。堂々としていて品と伝統がある。看板がすごくいい。こんな店ならいつでも行きたい・・、ところですが、残念ながら倉敷ではなく隣の岡山市表町にあるのです。でも皆さんよかったらお立ち寄りください。
こっちは倉敷。駅前商店街に通じる細い道にある。この言葉を聞く(見る)たびに私は少しおどおどしてしまう。
小さい頃「ばら寿司」と人に言うと、「ちらし寿司のことでしょ?!」と何度も言われた。
私は、刺身が載ってわさびの入っている小さい塊がにぎり寿司で、ご飯に具の混ざった上にたくさんの魚や卵が載っているすっぱいのがばら寿司と思っていた。それでいいのだろうけど、何度も上のように言われたので「ばら寿司ってのは岡山の寿司のことを言って、一般名はちらし寿司なのか…」と思ってしまい、この名を口にするのに躊躇するようになった。ネットで調べるとそうでもないようだ。日本全国でばら寿司と言う言葉は使うように思える。
岡山のばら寿司は大変豪華で、有名な弁当屋が祭り寿司という名で売っているのでそちらもほとんど一般名詞のように使われるようになっている。
『江戸時代、岡山の初代藩主である池田光政が質素倹約を奨励し「食事は一汁一菜とする」としました。しかしいつの時代でも食べる喜び、その誘惑に人は打ち勝てないもので、言葉の揚げ足を取るようにお寿司の上に盛りだくさんの魚介類や山菜を盛り付けました。つまりお寿司全体で『一菜』としたのです。盛りだくさんの具材で飾られたばら寿司とお汁…。殿様の言葉に従いながらもご馳走を食べるという庶民の知恵から生まれたアイディア商品だったのです。また豪華なばら寿司をとがめられないように食べるまでは盛り付けたばら寿司をひっくり返しておいて傍目には白いご飯だけしかないように見せておき、いざ食べる時にひっくり返して豪華なばら寿司を堪能するという『返し寿司』と呼ばれる習慣も誕生しました…。』てな歴史があり、今の華やかなイメージとはずれたかなり悲しいきっかけがあったりする。
『倉敷地域では祭りの際に近所へ配る「倉敷祭り寿司」という習慣もあります。』とネットには書いてあるのだが、大人になって倉敷に来た私はその経験がない。まぁ田舎ではお寿司や赤飯を作ったら近所に配るのは当然であったから、そのノリなのかも知れない。
そのすぐそばにあるらうどん屋さん。らうどんとは、ラーメンのお汁にうどんの麺をラーメン風に細くして入れたものらしい。小さな店だが、通るたびに一生懸命が感じられる。私は外で食べることはあまりないけど、ここには行って見たいと思う。
実は私、家族も含めて昨日倉敷市民になりました。いや市民ではあったのですが、本籍もこちらに移して完全に倉敷市民になりました。もう故郷よりこっちに住んでいる時間のほうが長くなってしまったからね。