倉敷界隈(かいわい)

「今の倉敷」と「今の私」の記録です。

威風堂々

2008年08月28日 11時30分32秒 | 写真

どうですかこの面(店)構え。すっごいでしょ。堂々としていて品と伝統がある。看板がすごくいい。こんな店ならいつでも行きたい・・、ところですが、残念ながら倉敷ではなく隣の岡山市表町にあるのです。でも皆さんよかったらお立ち寄りください。

こっちは倉敷。駅前商店街に通じる細い道にある。この言葉を聞く(見る)たびに私は少しおどおどしてしまう。

小さい頃「ばら寿司」と人に言うと、「ちらし寿司のことでしょ?!」と何度も言われた。

私は、刺身が載ってわさびの入っている小さい塊がにぎり寿司で、ご飯に具の混ざった上にたくさんの魚や卵が載っているすっぱいのがばら寿司と思っていた。それでいいのだろうけど、何度も上のように言われたので「ばら寿司ってのは岡山の寿司のことを言って、一般名はちらし寿司なのか…」と思ってしまい、この名を口にするのに躊躇するようになった。ネットで調べるとそうでもないようだ。日本全国でばら寿司と言う言葉は使うように思える。

岡山のばら寿司は大変豪華で、有名な弁当屋が祭り寿司という名で売っているのでそちらもほとんど一般名詞のように使われるようになっている。

『江戸時代、岡山の初代藩主である池田光政が質素倹約を奨励し「食事は一汁一菜とする」としました。しかしいつの時代でも食べる喜び、その誘惑に人は打ち勝てないもので、言葉の揚げ足を取るようにお寿司の上に盛りだくさんの魚介類や山菜を盛り付けました。つまりお寿司全体で『一菜』としたのです。盛りだくさんの具材で飾られたばら寿司とお汁…。殿様の言葉に従いながらもご馳走を食べるという庶民の知恵から生まれたアイディア商品だったのです。また豪華なばら寿司をとがめられないように食べるまでは盛り付けたばら寿司をひっくり返しておいて傍目には白いご飯だけしかないように見せておき、いざ食べる時にひっくり返して豪華なばら寿司を堪能するという『返し寿司』と呼ばれる習慣も誕生しました…。』てな歴史があり、今の華やかなイメージとはずれたかなり悲しいきっかけがあったりする。

『倉敷地域では祭りの際に近所へ配る「倉敷祭り寿司」という習慣もあります。』とネットには書いてあるのだが、大人になって倉敷に来た私はその経験がない。まぁ田舎ではお寿司や赤飯を作ったら近所に配るのは当然であったから、そのノリなのかも知れない。

そのすぐそばにあるらうどん屋さん。らうどんとは、ラーメンのお汁にうどんの麺をラーメン風に細くして入れたものらしい。小さな店だが、通るたびに一生懸命が感じられる。私は外で食べることはあまりないけど、ここには行って見たいと思う。

実は私、家族も含めて昨日倉敷市民になりました。いや市民ではあったのですが、本籍もこちらに移して完全に倉敷市民になりました。もう故郷よりこっちに住んでいる時間のほうが長くなってしまったからね。

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メギドの丘

2008年08月27日 11時35分30秒 | 写真

チボリ公園の廃園が決まりまして、チボリジャパン社も解散するとか。たぶん会議はこんなだったでしょう。抱きつく人は無視してエライさんだけで決めちゃう。顔が笑っているのが余計不気味。聞く耳なんて持ってないよって周りを無視している。もちろんこれはエライさんだけの話で、チボリの人たちはそんな人ではありません。

ハルマゲドンと言うのはハル・メギド、メギドの丘の意とか。現在イスラエル政府はそこに看板を立てているそうだ

「ここはハルマゲドンの地。ここで世界最後の戦争が行なわれる。」

『三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起こり、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起こし、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。また一タラントの重さほどの雹が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。』(ヨハネの黙示録)

私は「メギドの丘に世界の指導者が集まる=最終戦争勃発」とは思っていない。メギドの丘は古くからの要塞跡であり、そこは基地や会議の地の象徴と思っている。だからメギドの丘に人が集まると言うより、そういう軍事的拠点に世界の指導者が集まり、決裂 → 暴力へと世界が動く、そう思っている。

今日のニュースを聞いた。ロシアはどうしても孤立の道を歩むのだろうか。中国は今のように言い続けるのだろうか。アメリカは常に我がままを突き通すのだろうか。最終戦争のとき陛下は我々の出生をどう言われるのだろうか。予言なら変わるけど、預言は変えることはできない。

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肉のいろは

2008年08月26日 11時19分36秒 | 写真

このブログは今という時の生活を記録・公開しするというコンセプトだけど、モノクロにしているのは、今でありながら永遠、それは大げさか、、普遍的な時の流れを閉じこめるためである。かつて倉敷に住んでいた人、いま住んでいる人、訪れたことのある人、思い出のある人、、、にとっての記憶の風景と重なるとうれしい。

ここは商店街の”あの”コロッケ屋さん。倉敷に住んでいた人なら必ず買ったことのある店だろう。ここで30円のコロッケをしこたま買い込み駅前の映画館に行く。それをおやつに映画を見る。映画館は今はもう無くなってしまったけどここのコロッケは健在だ。

学校帰りにお腹が空いたらぶっかけうどん。今と違って高級感も贅沢感もないうどんだった。とにかく量が多くて学生の味方だった。ラーメンなら又一。500円持って行けば食べられた。値段もずっと変わらなかった。

残念ながらこの経験は倉敷っ子の友人に聞いたもので、成人してからこの地に住み着いた私には無いものだ。

さてこの写真、何の変哲もない、写真としては褒めるべきことは何もないものではあるが、そんな記憶の持ち主には大切な写真かもしれない。

皆さん、ついにコロッケが上がりましたよ。一個35円になりました。

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チルミュ08

2008年08月25日 00時01分44秒 | 写真

図書館に用があって行ったのだが、まぁ大原美術館にも行ってみようかと歩いて行って驚いた。

たくさんの幟が立ててあって、「チルドレンズ・アート・ミュージアム2008 (略称:チルミュ08)」というイベントをしていた。

大原には裏の方から入ったので最初はよくわからなかったのだけど、正面入り口のチケット売り場のところで受付をしていたようだ。

チケットを買ってここで受付を済ます。

モネの睡蓮の所にある広っぱにテントを立てて花ござが敷いてある。親と子どもでするイベントらしかった。

こう言う時に正座して何かをするって日本らしいよね。外国ではこうはしないのではないだろうか。

いろんなブースがあるようで、そこで受付していろんなものを作れるらしい。画用紙をもらって写生なんてのもあったし、バッチを作ったり、みんなで部品を作り組み合わせるなんてのもあった。40枚の部品を作り、それを組み合わせてモネの睡蓮を作るのだそうだ。壮観だろうな。

ボランティアか学芸員の人かわからないけど、こうやって声を張り上げて説明していた。

今回は美術館の中の方が多かったが、こうやって外で写生している人もいた。

スミソニアンをはじめとする大博物館や美術館では、こう言う子どもへのプログラムが大変充実している。日本でももっともっとやって欲しいものだ。それは文化の成熟でもあろう。これからの日本にふさわしいと思う。

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洗濯物

2008年08月24日 00時00分00秒 | 写真

ここは倉敷駅裏の二輪置き場。ふと見ると洗濯物が干してある。なんかのどかだなぁと感じた。東京や大阪ならこんな風景は見られないだろう。

この風景を見てイヤな感じはしなかったのだけれど、自分の物と人の物の区別が出来ているのだろうかと最近思う。駅の通路に座って電気を盗んでいる人もいる。あれ、何も感じていないんだろう。あるんだから使えばいいぐらいにしか思ってないんじゃないかな。私には思えない。もうそんな人たちとは考え方には大きな差、ギャオのごとき超えられない裂け目を感じてしまう。向こうから見れば私たちを理解できないんだろうな。それが同じ世界に住んでいるのだから行き違いがあるのが当然になる。

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2008年 夏のチボリ

2008年08月23日 00時48分21秒 | 写真

サマーカーニバルの目玉の1つ、中国雑技団の演技。22、23日の二日間。

この人たちは雑技の学校に行って、そこでこの技を勉強するのだそうだ。別の機会に本人たちに教えてもらった。そこでは例えば倒立なら、ぴたっと止まって合格をもらえるまで毎日その練習だけするのだと聞いた。

「普通は(倒立なら)1ヶ月ぐらいです。」

毎日それだけを何時間も練習すると聞いた。うまくできない人は3ヶ月もかかるのだそうだ。

「日本の学校と違って、時間が来たら次に進むと言うことはありません。」

国の宣伝隊員として全世界に派遣されるんだから、それも当然と言うべきなんだろう。日本で言えば小学生、たぶん低学年か中学年から親元を離れてその学校で生活するのだからずいぶんつらいだろう。例えそれがエリートとして選ばれた者であっても。

技はとても素晴らしいのだけれど、この子たちはまだ胸も膨らんでいない子どもの体型で、少し痛々しくも感じる。たぶん彼女たち(彼らも)はそうは思ってないのだろう。楽しいのだろう。誇りに感じているのだろう。それなら嬉しい。そう思いたい。

目を転じてみよう。夏休みの公園は子どもが群れている。来年はこれも見られなくなるな。みんな、今日を楽しんで欲しい。

ここを昔はフィルムカメラで撮った。全体を写すために20mmの超広角を持っていった。昔はイルミネーションの色も変化していた。あの写真どこへ行っただろう。すぐには出てこない。

ヨハン・クリスティアン・アンデルセン。彼も辛い思いを多くした人なのだそうだ。私にはわからないが、名前でもあったらしい。・・・ソン、例えばジョンソンはジョンの息子から出来た名字なのだそうだ。発音は違うがアンデルセンも同じ。これは下々の人の名字だと聞いた。ヨーロッパには貴族制度があったからそんな人たちにはバカにされもしたらしい。顔もお世辞にもハンサムじゃない。デンマークのオラウータン、人は他人をバカにすることで自分のプライドを保とうとする。それは世の東西も変わらない。

オリンピックを見ても同じ事を感じる。成熟した文化を持つと違うなと感じている。10年経ってこの五輪のビデオを見たら、中国や韓国はどう感じるのだろうか。変わってなければ、それは民族の特性かも知れない。国民性というのは確かにある。

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訴え

2008年08月22日 22時42分08秒 | 写真

恵比寿通り商店街、かっぱの前に貼ってある紙。チボリ公園をどうしていくかの市長への公開質問状。以前にも書いたけど、非常にリーズナブルかつ素晴らしい提案と思う。が、市長から回答があったとは聞いていない。

見えないと思うけど、もし読めたら読んで欲しい。本当は無責任嘘つき県知事に読んで欲しいんだけどね。

まぁその辺は放っておいて、明日は今日のチボリの様子を掲載しよう。私に出来ることは今を楽しむことだ。今日を生きることだ。出来ることをすることだ。

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歌う人、見る人

2008年08月21日 19時34分12秒 | 写真

この若者たちは、1万人に歌を聴いてもらうのを目標に掲げているようで、二人の向かって右に立ててあるパネルがその説明のようだった。全国を行脚しているのだろうか、長く見ていたわけではないがマナーの良い若者のように見えた。

こちらは駅の裏。表と違って裏では恒常的に歌う人がいる。多くはアコースティックで自作の歌を歌っているようだが、中には電子楽器を持ち込んだりドラムセットを準備したりする強者もいる。

それはそれで一種の風物詩のように楽しめていいのだけど、中にはいただけ無い輩もいる。

駅の北出口の所にマックがあるので、そこで買ってきたシェイクやハンバーガーを食い散らしゴミを放置する。缶ジュースを飲んでそれを灰皿にして缶も吸い殻も放り出す。中には聴いている人も同じ事をする…。そんな風景を何度も、じゃない、いつも見ている。

ここは若者が目立つけど、若者だけだとは思ってない。河川敷や公園ではバーベキューで同じ事が起こる。子ども連れの若い人たちのグループなんてのが多い。20才過ぎていても同じだ。片付けるのは別の人、楽しむのは自分。自分が自分が、自分の、自分さえ…、そんな心の言葉が感じられる。アメリカ経由の個人主義を自分の都合のいいように解釈・行動しているわけだ。

「全体」という言葉にイヤな感情を持つ人間もいるが、「個人」を標榜するが故に起こっている現実を見て反省すべきだろう。個人は全体の一部であり、個人が全体を壊してはいけない。個人とは全体を作るものであろう。

写真の人たち、この人たちは上に書いたような人でないことを祈ろう。無作法な人たちばかりでは、決して無いのだから。

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店先

2008年08月20日 16時18分18秒 | 写真

最近捨てることばかり考えている。もう自分は物を買う時期は終わったと思っている。もちろん必要な物は買うのだけれど、今持っている物で過不足はないし、と言うか物が多すぎて邪魔でしかたない。

そう必要ではないのだけどいつか使うかも知れないと言うものもたくさんあって、今まではそれを捨てるのを躊躇していた。でもこれからいつまで元気でいられるかわからない歳になるとそんなもの持っていてもしかたないと感じてしまう。邪魔だから捨てちゃえって思う。ところがなかなか捨てられない。捨てたくないんじゃなくて、整理するのがめんどくさい。その体力が無くなってきた。今日はしんどいからまた明日なんて先延ばしにしてしまう。おかげで別の理由でなかなか捨てられない。暑いせいもあるだろうけどね。

ここは倉敷でも有名ながらくた屋。そう書くと怒られるか、骨董品屋。アイビースクエアの裏(と言うか横というか)にあって、屋根にたくさんのビクターの犬の鎮座している店。

ここに入ったらたぶん面白い物がたくさんあるだろうなといつも思う。買いたい物もあるかも知れない。でも今は邪魔だ。買えば買うほど邪魔になる。だから決して入らないことにしている。誤解が無いように書くけど、倉敷にお越しになった方々にはお勧めの店。二階が貯金箱博物館(有料)だそうで、一見の価値もあると思うしね。

この文を打っているパソコンのそばにもデビルマン、ウルトラマン(怪獣含む)、鉄人28号~エヴァ、恐竜、鯨、ちょびっツまでたくさんのフィギュアがある。邪魔なんだけどどうしようかと思っている。確かに逸品なんだよ、これらは。

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ハイ取り紙

2008年08月18日 10時50分10秒 | 写真

これわかりますか? カモ井のハイトリ紙ですよ。昔は魚屋さんとかの店先にぶら下がってました。もちろん家の中にもぶら下げてあり、ご飯を食べようとして髪にべったりなんて経験が一度や二度はあったはず。まぁ40代以上の人に限るでしょうけどね。

実はこれ、わが町倉敷のカモ井加工紙株式会社製で、現在でも売ってます。岡山では「蝿」のことを「ハイ」と呼ぶのでオリジナルの名前はハイトリ紙。ほんでもってハエというのは川にいる魚を指します。銀色流線型の魚。ハヤが一般的な呼び方でしょうが、岡山県ではたぶん全域でハエと呼んでいると思います。

田舎では最近蝿が増えたそうで、殺虫剤は人間にも悪いからとこの蝿とり紙を買ってきたそうです。懐かしくもあるけど確かに実用的。見栄えは悪いですけどね。

個人的に一番欲しいし良き物と思っているのが蚊帳。あれって名品だったなぁ。昔は蚊帳を吊って窓を開け放して寝たもんだ。それが日本のいいところでした。鍵をかけないのは自分の落ち度だなんていわれる時代って悲しい。

おまけ:現在の名前は「カモ井のリボンハイトリ」。5本ワンセットで参百九拾円(定価)皆さんもどうぞ。

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