Sentimental Rhapsody

燻らす紫煙を見つめながら、儚き日々の刹那をここに記す

青春プレイバック Part2

2015年01月19日 | 風景

年も明け、北の国はすっかり雪に埋もれています。

遅れましたが・・・・皆さん、今年もよろしくお願いします。(←遅いちゅうねん!!)

昨年は閉店休業のblogではありましたが、

今年は少なくとも月に1回の更新を目指したいと思っています。(口先だけのことにならなければ良いが・・・・^^;)

さて、昨年綴った『青春プレイバック』の続編を更新いたします。 (←ようやくPrat2かい!!)

このペースじゃ、やっぱり月1の更新も危ないなぁ~~~~!!

 

 

          

千川町に向かったものの、僕は要町で途中下車することにした。

もう一度、三十数年前に自分の足で歩いた道を確かめたくなったのである。

有楽町線の要町駅から地上に上がると目の前には環六があるはずだった。

 

しかし、そこにあったのは、かつての環六ではなく、首都高速中央環状線へと変貌しつつあった高架道路。

 

        

やはり、ここも変わってしまったのか。


消えそうになる記憶の糸を辿りながら、僕は要町から千川へ足を進めた。


確かこの路地を右に曲がって・・・・・。

それから数十メートル先の角を左へ・・・・・。
                   
記憶と言うより、体に染みついた当時の感覚だけが僕の道標だった。


歩くこと10分。


道が間違っていなければ、たぶんここにアパートがあったはずだと思われる場所に着いた。


やはり、あのボロアパートなど、どこを見ても見当たらない。

僕が住んでいたモルタル造りのアパートは『寿荘』と言った。

1階は客が来そうもない小さな美容室で、その2階に5部屋があるアパート。


当時でさえ、古びたアパートであったのだから、
あれから三十数年経って存在していることなんてあり得るはずはなかった。


しかも、今自分が立っている場所が、どこだかも分からない。

僕が試みようとした「青春プレイバック」は、やはり徒労だったのだろうか。

そう思い始めたときだった。


「あっ!!」


見覚えるの建物がそこにあった。

 

それはアパートの隣にあった郵便局である。

 


隣に郵便局があったことを僕はすっかり忘れていた。

 

と言うことは、その隣に・・・・・。


残念ながら、アパートがあったはずの場所は更地になっていた。

 

 


しかし、三十数年前、
紛れもなく僕はこの場所で若き日々を過ごしていた。

適当に大学へ通い、
中途半端に学生運動に加わり、
少しばかりお金があると名画座をハシゴし、
そして、儚く切ない恋をしてはいつも振られる日々を過ごしていたのである。


ようやく辿り着いた「青春の地」。

記憶は薄れたものの、僕の体はこの場所を覚えていたのだ。


数メートル歩くと、見覚えがあるものを再び発見した。

それは通学に利用したバス停。

そして・・・・、
そこを当時と変わらぬ色のバスが、
当時と変わらぬ速度で、当時と変わらぬ狭い道を走り抜けていった。

 

   

 

 

その後、周辺を歩き回ったが、
引っ越したアパートも、よく通った食堂や銭湯も、すべて別な建物に変わっていた。

時というものは容赦なく流れ、日々刻々と変化している。

なのに、その変化に追いつけない自分がいる。

 

 

 

後日、苦労してようやく学生時代に住んでいた場所を見つけたことを友人に話をした。


すると呆れた顔で、彼はこう言った。

「スマホのGPSを使えば良かったのに」


||||||||||||||(* ̄ロ ̄)ガーン||||||||||||||||

 

全くおっしゃるとおりでございます。

 

GPSなんていう発想は皆無であった。

 

やはり僕は現代文明の変化に追いつけない人間なんだよね。

 

 

 


『青春プレイバック』

2014年12月13日 | 風景


野暮用で2年ぶりに東京へ行くこととなった。

「いつか時が来たら・・・」

そう思っているうちにタイムアウトになってしまうことがある。

歳をとると言うことは、
その「いつか」のタイムアウトが刻々と近づいてきていることかもしれない。

「いつか」を「いつまでも」のまま、放置して良いのだろうか。


羽田に着いたとき、ふとそう思ってしまった。


数年前から僕の中に
「いつか時が来たら、もう一度あの場所を確認してみたい」という衝動が消えないでいる。

そして幾度も、学生時代に過ごしたアパートが夢に出てくるのである。

これって、もしかすると歳のせいかな? 

いや、昔のことが思い出されるなんて、死期が近いのかもしれない。(苦笑)


と言うことで・・・・、
僕は空いた時間を利用して、学生時代に過ごした街を訪れることにした。

つまり「青春プレイバック」である。



三十数年前、僕は豊島区のボロアパートに住んでいた。

しかも、その界隈で3回もアパートを引っ越した。

引っ越しの理由はそれぞれである。

1度目は隣の部屋にヤクザが引っ越してきて、
アパートの住民といざこざになり、みんなでアパートを出ていった。

2度目は同棲生活を始めたので風呂付きのアパートへ引っ越した。
(この件については、HPのessay“僕のMovie人生『アパートの鍵貸します』”にも記している)
                  ↓
      http://www5.plala.or.jp/kurama/essay.love10.html

そして、3度目は家賃を払うお金がなくなって夜逃げしたときである。(爆)


しかし、この3度の引っ越しは、どれも歩いて数分の距離内であった。

僕は何故かしらあの街から離れられなかったのである。



 

アパートは池袋駅からバスで10分のところにあった。

お金はなくても時間はたっぷりあったので、僕は池袋からよく歩いて帰った。

歩くと30分ほどかかっただろうか。

それでも北の国の田舎とは違って、
道すがらには飲み屋や商店が建ち並び、
それらを目にしながら歩いているといつの間にかアパートに着いていたという感じだった。

しかし今は、有楽町線が延長されて、池袋から数分で行けるようになったらしい。

それでも僕は、当時の感覚を確かめたくて、池袋駅から歩くことにした。


池袋は不思議な駅で、
東口に西武デーパートがあり、西口に東武デパートがある。

そして僕の住んでいた街は、その池袋西口方面にあった。





山手線で池袋に降りると、西口を目指した。


ところが・・・



わからん!!


西口がわからないのである。( ̄▽ ̄;)!!ガーン


池袋の駅は三十数年前とすっかり様変わりし、
かつての西口は「池袋ルミネ」というモダンなショッピングモールとなっていた。

僕のメモリーにない存在がそこにはあったのである。

何十回、いや何百回通ったあの西口の光景が消えていた。



散々構内を歩き回って、僕はようやく西口から脱出した。

 

        

そして、そこでもまた、僕のメモリーは不能状態に陥る。


駅前にあった煌びやかなキャバレーも、
ゲイのお兄さんたちが集まっていたボディビルのジムも、
270円でおかわりし放題だった餃子定食の食堂も・・・・

すべて跡形もなく消えていた。


唯一、三十数年前の面影を残していたのは西口公園の噴水。



だが、公園の正面に見えたボーリング場は
「東京芸術劇場」というガラス張りの近代的な建物に変貌を遂げていた。


三十数年という年月は、僕の中だけで止まったままに過ぎなかったのだ。




江川が空白の時間を突いて阪神から巨人へ疑惑入団し、
山口百恵が白いマイクをステージに起き残して引退した三十数年前。

今や江川の剛球も、
山口百恵の魅惑的な歌声も、
人々の脳裏からは知る由もないほど忘れ去られてしまった。


刻々と変化する時代の流れ。

それが世の常だというのに、
僕は無謀を顧みず『青春プレイバック』を試みようとしている。


そんな試みは、全く意味のないことなのかもしれないのに。


「もうあの街へ行くことは止めよう」

そう思い直したとき、
突然、目の前の交差点で赤い車が接触事故を起こした。

すると一瞬、僕の耳にあの歌が聞こえてきたのだ。

 

 


緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ

一人旅なの私気ままにハンドル切るの

交差点では隣の車がミラーこすったと

怒鳴っているから私もついつい大声になる





 

「Play Back」 ・・・・

「あなたのもとへ Play Back Play Back」・・・・・

このフレーズが僕の耳から離れない。


僕は無意識に有楽町線へと向かっていた。


やはり青春の「Play Back」が諦めきれず、再びあの街に向かって・・・・。



※    Part2へ続く (いつ更新するか分からないけど・・・・^^;)





『復活』

2014年11月29日 | 心情

随分、Netから遠ざかってしまった。

それは生活環境の変化が大きな要因だったかもしれない。


何故かというと、数年おきに移動を繰り返してきた遊牧民生活ではあるが、ついに終止符が打たれてしまったのである。

同時にそれは、リアルの自分とNetの自分との調整が狂い始めたことを意味していた。

 

Netの中の自分(鞍馬天狗)は、実にお気楽で脳天気なオジサンである。

 

そして、これももう一人の自分であることは確かである。

 

自分の中にいるもう一人の自分。

 

「ふざけた戯れ言」ばかりを言い放ち、

ちょっぴり(いや、大いに)スケベなもう一人の自分がNetの自分であった。

 

Netの中とはいえ、それは紛れもなくもう一人の自分だったのである。

 

しかし、リアルの世界はそんな自分を押し殺さなければならないことが多い。

 

夢や理想だけは歯が立たない現実世界。

 

本筋ではないと思いながら、妥協せざるを得ない現実の壁。

 

いつしか僕はリアルの喧噪に塗れ、堅い鎧に身を包むことを優先するようになってしまった気がする。


しかも、そうこうしているうちにNetの中における自分の立ち位置も見失ってしまうようになった。

無芸無趣味、何の主義主張もない自分のblogに、その存在意義を見いだせなくなってしまったのである。

(ん? なんかやたらと真面目なこと書いてるなぁ~~~苦笑)


 

だけど・・・・・

「本当にこのままでいいの?」と問いかける声が何処からともなく聞こえてきた。


日記風でもなく、
かといって何のテーマもないblogではあるけれど、
もう一度、自分を取り戻す意味で休業していたHPのシャッターを開けることにした。


因みに・・・・

人様に対して何も発信できるものはないが、

表看板に掲げた四つの言葉が僕のblogのコンセプトになっている。

 

Tomorrow is another day.  (明日は明日の風が吹く)

 

Never say never. (決して諦めてはいけない)

 

I will be right here.  (いつもここにいるよ)

 

Life is like a box of chocolate. (人生は開けてみるまで分からない)

 

この四つは、映画の名セリフであり、僕の拙い人生観なのでもあります。

 

 


To be, or not to be

2014年04月06日 | 心情

今年初めてのBlog更新。

昨年はBlogを、とうとう3回しか更新していなかったことになる。

HPを開設以来、これほど更新しなかった年はなかった。

すっかりNetの世界から足が遠退き、
その存在価値が自分の中で見出せなくなっていることが要因かもしれない。


振り返ってみると、Blogに記した駄文は、
「よくぞこれほどまでにグダグダと稚拙な文を綴ってきたものだ」
と我ながら感心してしまう。

ホントに読んでくださった皆さまには感謝するしかない。

本来は、HNの『鞍馬天狗』らしく、
颯爽と現れ、切れ味のよいBlogにしたかったのだが、
如何せんその文才もなく、オトボケ的文面で誤魔化していた感は否めない。

いっそのこと・・・・
『鞍馬天狗』ではなく、『とんま天狗』にした方が良かったかなぁ・・・(苦笑)

(; ̄ー ̄)...ン?

『とんま天狗』って知らない?

あぁ・・・知らないよね。 ゛(6 ̄  ̄)ポリポリ


</object>

   とんとんとんまの 天狗さん 
   とんまで オセンチ お人好し
   にぎる刀は 大上段 エイッ 
   悪人どもを なぎはらう
   姓は尾呂内(オロナイン)  名は南公(軟膏) 
   子供が大好き ぼくらの仲間
   とんとんとんまの 天狗さん



この歌を知ってるのは、世代的には僕だけかも・・・・。

(年の差を感じるなぁ~~~~~)


・・・・おっとっと、

また話しが横道に逸れてしまった^^;(←この悪い癖は治らない 汗)


まぁとにかく、さしたる内容もなく、
駄文を連ねてきたものだと我ながら呆れているのです。

そして、今頃になってようやく
『Sentimental Rhapsody』を今後どうしたらいいのか、思案しているのが本音でしょうか。

HPを続けるべきか・・・・

それとも止めるべきか・・・・・

まさに「To be, or not to be」なのだ。
          ↑
 (すっかりハムレット気分になってるし・・・・)

HPの閉鎖を何度か考えものの、
往生際の悪い鞍馬天狗は、未だに踏ん切りがつかないのであります。


因みに・・・・
天狗は、いろいろ悩んだ挙げ句、
昨年末から体重が6kgも減っちゃいました。(爆)

その上、ウエストも7cm減。

お陰で、定期健診で行われたタボ診断では
「随分シェイプアップされたんですね」
と担当医からお褒めの言葉を頂いた次第です。(苦笑)

いっそのこと、このままもう少し悩んで、
シェイプアップを続けてみようかな・・・・・。

これって、良いダイエット方法かも~~~~!!(笑)


だけど・・・・・
メタボ診断はクリアしたのですが、胃検診で引っかかっちゃいまいた。

なんでも、軽い胃潰瘍らしく、ストレスが原因とか・・・・。(悲)

このままダイエットして胃潰瘍になるか・・・・

それとも、ダイエットを止めて胃潰瘍を治すか・・・・

こちらのほうが、まさに「To be, or not to be」なのであります!!





鞍馬天狗的こころ PART2

2013年08月31日 | 日常の想い


しばらく休止していた我がBlog。

仕切り直ししようにも、ネタがあらへん。

そこで、前回の「鞍馬天狗的こころ」が好評につき、第2弾をしたためることにしました。
      ↑
(誰からもそんなこと言われないけど・・・苦笑)



チャンチャカ テケテケ チャンチャンチャン~♪ (←おきまりのお囃子)

《ナレーション》
 「鞍馬天狗の鞍馬天狗的こころ」

《ナレーション》 
「今日は『りかつ』を考える」

《ナレーション》
 「口演、鞍馬天狗。筋書き、鞍馬天狗。お囃子、山本直純」


さてさて・・・、
前回は「終活」についてグダグダ述べましたが
今回のお題は「りかつ」についてであります。

「りかつ」とは
「離活」のことでございまして、
簡単に言えば「離婚活動」のことでありますな。

いやぁ~~、
実に重たいお題でございます。(苦笑)


まぁ、一口に「離婚」と言っても
その前提として結婚をしていなきゃならないのでありまして。(当たり前だ!!)

古き時代は、
ハタチも過ぎれば結婚適齢期となり、
20代半ばを過ぎると「あら、まだ結婚しないの」などと
周りから嫌みったらしい声がちらほら聞こえてくるんでありました。

ホントに余計なお世話であります。

ましてや井原西鶴さんの「好色一代女」によりますと、
江戸の時代では20歳を超えると「年増」と呼ばれ、
25歳を過ぎれば「中年増」、
30歳を超えればその名も恐ろしい「大年増」と呼ばれたそうであります。

      w( ̄▽ ̄;)wワオッ!!


みなさん、お気をつけ下さいませ、
現代でこんな言葉を女性陣に言うと、叩き殺されちゃいまずぞ。(笑)

ましてや・・・・
「戦後、強くなったのは靴下と女性」とも言われまして、
女性はホントに強くなったんであります。

これも、女性の社会進出がめざましくなり、
数多くの女性が経済的にも自立したからでありましょうな。


かつては・・・・
奥様方は「家内」と呼ばれ、家の中にいるが常識でありました。

しかも・・・
ダンナが仕事から帰ってくると、奥さんは玄関で三つ指ついて出迎え

「先に食事になさいますか?」

「それともお風呂になさいますか?」

なぁ~~んて・・・訊いていたそうなんであります。


お父さん方!! 
そんな時代があったのでございますよ。

にわかには信じがたい光景であります。


ところが今や、
家庭のおいても奥様の権力は絶大となりまして、
世のお父さん方は、日々戦々恐々として暮らしておるそうであります。


昼となれば、
お父さんたちはポケットの奥から取り出したワンコインで弁当を食べ、
一方、奥様たちはホテルのレストランで優雅にランチ会をしている時代なのでありますよ。

夜は夜で・・・
お父さんが仕事で疲れながら遅くに帰宅すると
食卓の上には一枚の白い紙が上がっているのであります。

そこには「夕食はレンジでチンしてね」とのメモ書き。

この「チン」の響きが、無性に侘びしく感じるんであります。

しかも、すでに隣の部屋では奥様が
お風呂を済ませ、高いびきで爆睡しているんでありますな。


また、休日となれば・・・・
やけに優しい声で奥様が、こう言うのであります。

「今日はあなたの服を買ってあげるから買い物に付き合ってね」


それで、ダンナは思うのであります。

「久しぶりにおニューの服を買って貰えるんだぁ!! 喜」

「でも、そのカネって俺が稼いだんだよな・・・・」と。


ダンナは喜び半分、不満半分で奥様の買い物に付き合うわけでありますが・・・。

結局、その行き先は「し○むら」。

3枚で1000円のパンツと1本780円のネクタイを買い与えられ・・・。


その後はあちらこちらへ、
奥様の買い物に付き合わされて、デパート巡りなんであります。

そしてダンナは・・・
とどのつまり、大きな買い物袋を両手に持たされ、
ヘトヘトになって帰宅するんでありますよ。


なんという幸福な家庭でありましょうや。


さんざん買い物に連れ回され
仕事以上に疲れた身体をソファに横たえながら
ダンナは若かりし頃の奥様との出会いを思い浮かべるのでありますな。


愛し愛され、恋い焦がれ、
幾度もデートを重ねたあの懐かしき日々。

夜風が心地よく吹く公園で、
外灯に照らされたベンチに腰掛けながら互いに交わしたあの甘い口づけ。

薄汚れたアパートの台所に立ち
「わたし、お嫁さんになってご飯を作ってあげるね」
と言ったあの時の彼女の言葉。

その愛しさに思わず彼女を抱きしめ腰に手を回す。


しかし今や奥様は・・・
抱きしめても両手が腰に回しきれないのでありました。(←こらぁ~~!!)


かの有名な明石家さんま氏は、こんな名言を残しております。

  「結婚は判断力の欠如

   離婚は忍耐力の欠如

   そして再婚は記憶力の欠如」
と。


ダンナはこの言葉に、妙に納得してしまうのであります。

忍ぶべきか、忍ばざるべきか・・・・。

はたまた、ここで縁を切るべきか、切らざるべきか・・・・。


そう思案しているときに、
ふとどこからかBGMが流れるのであります。



         恋と呼ばれる一過性の発情症候群に於ける
         その発病及び傾向と対策について考える


                《 中 略 》

         恋におちたら一部の例外を削除すれば
         およそ男は男らしく
         女は女っぽくなるものらしい

         手相、星座、サイコロ、タロット、四柱推命、その他茶柱まで
         相性占いなど気になったら、もう恋

         相手には自分の良い所ばかり見せたくなるものであるし
         相手の欠点には気づいても気づかずにいられるし
         食べ物、着るもの、見るもの、聴くもの、すべて好みが合うと思うし
         毎日が二人の記念日になる


         処が一年二年とたつうち見えてくるんですよ
         恋とは誤解と錯覚との闘い
         そのうちなんだかお互い知らない人に思えてきて
         次第に疲れて会っても無口になる




      


         恋は必ず消えてゆくと誰もが言うけれど
         ふた通りの消え方があると思う
         ひとつは心が枯れてゆくこと
         そしてもうひとつは
         愛というものに形を変えること

         相手に求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋
         与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛
         だから、ありったけの思いをあなたに投げ続けられたら
         それだけでいい


         おそらく求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋

         与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛

         だから、ありったけの思いをあなたに投げ続けられたら

         それだけでいい


         あなたに


         出会えて


         心から


         しあわせです




ダンナは、さだまさしの歌を聴きながら思うのであります。

我が結婚は、恋であったのか、愛であったのか・・・。


相手に求め続けてゆくものが恋。

与え続けてゆくものが愛。


ダンナは幾度となく、このフレーズを口ずさむのでありますな。

やがてダンナは悟るのでありますよ。

「あぁ、俺に欠けていたのは“無償の愛”なんだ」と。


しかしそこに、奥様の声。

「あんた、いつまでソファに寝そべってるのよ!!」

「さっさとどいてよ。あたしゃ、これから韓ドラ見るんだから!!」




“無償の愛”とは難しいものですな。


やはり天狗のオジサンにゃ、

とうていできぬ所為なんであります・・・・。



それでは、「鞍馬天狗的こころ」は2弾で終了ぉ~~~!!


次の更新は、いつになるか分からない明日のこころだぁ~~~~~~~~!!