年も明け、北の国はすっかり雪に埋もれています。
遅れましたが・・・・皆さん、今年もよろしくお願いします。(←遅いちゅうねん!!)
昨年は閉店休業のblogではありましたが、
今年は少なくとも月に1回の更新を目指したいと思っています。(口先だけのことにならなければ良いが・・・・^^;)
さて、昨年綴った『青春プレイバック』の続編を更新いたします。 (←ようやくPrat2かい!!)
このペースじゃ、やっぱり月1の更新も危ないなぁ~~~~!!
千川町に向かったものの、僕は要町で途中下車することにした。
もう一度、三十数年前に自分の足で歩いた道を確かめたくなったのである。
有楽町線の要町駅から地上に上がると目の前には環六があるはずだった。
しかし、そこにあったのは、かつての環六ではなく、首都高速中央環状線へと変貌しつつあった高架道路。
やはり、ここも変わってしまったのか。
消えそうになる記憶の糸を辿りながら、僕は要町から千川へ足を進めた。
確かこの路地を右に曲がって・・・・・。
それから数十メートル先の角を左へ・・・・・。
記憶と言うより、体に染みついた当時の感覚だけが僕の道標だった。
歩くこと10分。
道が間違っていなければ、たぶんここにアパートがあったはずだと思われる場所に着いた。
やはり、あのボロアパートなど、どこを見ても見当たらない。
僕が住んでいたモルタル造りのアパートは『寿荘』と言った。
1階は客が来そうもない小さな美容室で、その2階に5部屋があるアパート。
当時でさえ、古びたアパートであったのだから、
あれから三十数年経って存在していることなんてあり得るはずはなかった。
しかも、今自分が立っている場所が、どこだかも分からない。
僕が試みようとした「青春プレイバック」は、やはり徒労だったのだろうか。
そう思い始めたときだった。
「あっ!!」
見覚えるの建物がそこにあった。
それはアパートの隣にあった郵便局である。
隣に郵便局があったことを僕はすっかり忘れていた。
と言うことは、その隣に・・・・・。
残念ながら、アパートがあったはずの場所は更地になっていた。
しかし、三十数年前、
紛れもなく僕はこの場所で若き日々を過ごしていた。
適当に大学へ通い、
中途半端に学生運動に加わり、
少しばかりお金があると名画座をハシゴし、
そして、儚く切ない恋をしてはいつも振られる日々を過ごしていたのである。
ようやく辿り着いた「青春の地」。
記憶は薄れたものの、僕の体はこの場所を覚えていたのだ。
数メートル歩くと、見覚えがあるものを再び発見した。
それは通学に利用したバス停。
そして・・・・、
そこを当時と変わらぬ色のバスが、
当時と変わらぬ速度で、当時と変わらぬ狭い道を走り抜けていった。
その後、周辺を歩き回ったが、
引っ越したアパートも、よく通った食堂や銭湯も、すべて別な建物に変わっていた。
時というものは容赦なく流れ、日々刻々と変化している。
なのに、その変化に追いつけない自分がいる。
後日、苦労してようやく学生時代に住んでいた場所を見つけたことを友人に話をした。
すると呆れた顔で、彼はこう言った。
「スマホのGPSを使えば良かったのに」
||||||||||||||(* ̄ロ ̄)ガーン||||||||||||||||
全くおっしゃるとおりでございます。
GPSなんていう発想は皆無であった。
やはり僕は現代文明の変化に追いつけない人間なんだよね。