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   ここの画像は、今までにドライブ旅行に行った時の物です

”まほろば” よみがえる、中世の宗教都市

2018年05月30日 21時10分45秒 | 旅行
旅行最後の目的地「白山平泉寺」に来ました

「白山平泉寺」どんな寺?  

「白山平泉寺」について、調べたことを以下ご紹介しますが、少し長くなりますがお付き合いの程よろしくお願いします


福井県の勝山市にある、「平泉寺白山神社」、霊峰と呼ばれ人々に恵みの水をもたらす白山

その白山信仰の越前(福井県の勝山市)での拠点として古くから信仰の対象でした

約1,300年前の養老元年(717)に泰澄によって開かれたと言われているのが白山平泉寺です

この平泉寺白山神社は、白山信仰の聖地として有名なほか、京都の苔寺に並ぶほどの、美しい景観が特徴です


一帯は、最盛期の戦国時代には8000人もの僧兵がいたと伝えられ、当時の日本では最大規模の宗教都市となり繁栄していました

しかし、天正2年(1574)に越前一向一揆勢に攻められ、全山焼失しました以降、現代まで静かに時を重ねてきました



以下、現地を訪れた画像を紹介します


「白山平泉寺」の入口参道の入口です、すぐ手前に下馬大橋と書かれた橋が有ります




下馬大橋です




参道の入口右に石碑が有ります




下馬と有りますから馬や篭から降りて参道を歩いて如何ないけないのでしょうが、少し距離が有るので

御免被りまして、車で行くことにしました

ドライブレコーダーのコマ送りです




参道にドンと佇む結界石、ここから先は神様の場所、そう言われると、景色が違って見えてきます



2つの岩は、広大な白山平泉寺にある結界のひとつ、境内へ続く石畳は九頭竜川の河原石を使い、

いくつかの結界を抜けるごとに身が清められていくとされています、約1000年前に整備されたものと考えられているそうです



一の鳥居から続く石階段、幾千もの人々が通った道は、日本の歴史が通ってきたまさに現場だった










杉木立と苔が美しく、神秘的な雰囲気の参道木曽義仲が戦勝祈願をしたり、頼朝に追われ奥州へと向かう義経と弁慶が立ち寄ったり

正体を隠した義経一行を、当時の(寺の長)はわざと見逃したそうです




苔寺と言われる境内の苔です



この苔がびっしり境内に生えています






本社へ向かう参道




この奥が本社です




本社です





本社から右へ行った所にある祠です








刧火の生き残り、「平泉寺7本杉」のひとつで、天正2年(1574)の全山焼失に耐えて残ったと言われています

その佇まいは、いにしえにこの地が〝まほろば〟(素晴らしい場所)だったことを静かに教えてくれているようです。







三つの頂がある白山はお宮さんも三つ、境内には「三」にまつわるエビソードも多いそうです

白山は、御前峰、大汝峰、別山と3つの頂がある山です、白山平泉寺には御前峰御本社を中心に3社あり

それぞれ神が祀られています、社はかつて破風が3つあり、3人の神が一体になったことを表していたとか




もう一つの本社です




御手洗池(みたらしいけ)

泰澄さんが訪れた頃と変わらず渾々と湧き出る水、この泉が「平泉寺」という名前の由来だとか









養老元年(717)、泰澄が白山への道中に発見した泉、現れた女神に、白山へと登ってくるようにお告げを受けました

東側の三又に分かれた杉は、泰澄が植えたものと伝えられている御神木です


戻る途中の参道です、灯篭もかなり苔むしていますし、鳥居の柱も朽ちています歴史を感じますね




30年前に訪れました、別に歴史的なことは当時何にもなかった、ただ苔が綺麗だとの事しか言われていなかった

丁度、越前大仏が出来た時に寄ったのです、これも何かのお導きだったのか?



平成になって発掘調査が始まると、数々の石畳や石垣、坊院跡(僧侶の住居跡)が発見され

かつて賑わった巨大な中世宗教都市の姿を、今の私たちに伝えてくれています

以来25年間で調査が終わったのは2ヘクタールですが全体の規模は200ヘクタール、ようやく1%の遺跡が掘り起こされただけです




まだ眠る歴史ロマンを想像して見てください、これからもさまざまな歴史を教えてくれるはずです

                       最後まで見て頂きありがとうございました    (訪:2018.5.14)



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