goo blog サービス終了のお知らせ 

Forza世界史 in Blog

心機一転となりますか。

アショーカ王の業績

2005年11月25日 | 9期 授業のポイント
 アショーカ王は伝承によれば、マウリや朝のピンドゥサーラ王の多数の王子の一一人として生まれ、成年に達した頃反乱鎮圧のため出陣してその役目を十二分に果たした。父王の死で長兄らとの王位争いに勝って即位したが、この時、99人の異母兄弟を殺したといわれ、即位後も暴虐な王として恐れられる。例えば、入口は魅惑的であるが内部は地獄のような建物を造らせ、そこに入れられた者はすべて殺されたという。ところが、地上の地獄にうっかり入った結果、諸行無常の真理を悟った1人の比丘の説法を聴いて教化され、突然、仏教に改宗した。以後は仏法に従って正しい政治を行ったので、人びとからダルマ=アショーカ(法阿育)と敬愛された。そしてブッダ没後に建てられた8つの仏塔のうち7塔から仏舎利(ブッダの遺骨)を取り出して新たに建設した84000塔に分骨したという。中国の玄奘は『大唐西域記』に、130以上のアショーカ王が建立した塔があると記している。
 一方、碑文によれば、即位後8年にデカン東北部の強国カリンガを征服した際、合わせて数十万人の犠牲者を出し、これを後悔した王は征服戦争という暴力を放棄してダルマ(法)による政治を決意した。この頃、王は仏教に帰依したと伝える。こうして即位10年後には新政策宣布の目的で各地を巡行し、その2年後にはダルマの政治の内容を14章の長文の詔勅として各地の岩石に刻ませたのである(アショーカ王の摩崖碑文)。また、即位後26~27年にもダルマの詔勅を巨大な石柱に刻ませた(石柱法勅〕。(山崎元 古代インドの文明と社会』く樺山紘一他編『世界の歴史3』中央公論社>より)