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Forza世界史 in Blog

心機一転となりますか。

インド独立運動(2)

2005年12月21日 | 8期 授業のポイント
 ヒンズー教徒の指導者はガンディとネルー。ムスリムの指導者ジンナーはキラーファット運動で一時的に反英闘争を展開したが、これはオスマントルコのカリフを擁護するためのもの。それ以外親英路線を維持している。

インド独立運動のチェック・ポイント
①第1次世界大戦においてイギリスがインドにとった対応は?
=モンタギュー宣言で戦争協力と引き換えに戦後の自治を容認した。
②第1次世界大戦でガンディがとった対応は?
=戦争協力を呼びかけた(インド兵はおもにメソポタミア戦線でオスマン軍と戦っ た)
③第1次世界大戦後にイギリスが打ち出した抑圧策は?
=1919年ローラット法(礼状なしの逮捕や裁判抜きの投獄を容認したもの)
=1919年インド統治法(モンタギュー・チェルムスフォード改革の中で制定され  た。地方議会の設置を決めたが、藩王国に分断しているインドはさらに一体性を 失う危険があった)
④これらイギリスの政策に対するガンディの対応は?
=第1次サティーアグハ運動(反英闘争の手法は全面罷業サルタール、反英闘争の 理念は心理の把握サティアグラハ、反英闘争の運動は非暴力不服従)
⑤ハリジャンとは?
=神の子(ガンディが不可触を呼んだ呼び名)
⑥チャルカとは?
=国産品愛用を説くガンディが用いた糸車)
⑦反英闘争に押されて1928年にイギリスがとった政策は?
=サイモン委員会(インド人の参加は認められていない)
⑧サイモン委員会に反発した国民会議派の行動は?
=ラフォール大会(ネルーが中心。完全独立プールナ・スワラジを決議した)
⑨ガンディがとった対応は?
=1930年から第2次サティーアグラハ運動を展開した(塩の行進)
⑩これらの反英闘争の展開に対してイギリスがとった対応は?
=1930年英印円卓会議(ロンドンで3回開催。ガンディは第2回のみ参加)
⑪オスマントルコ帝国分割の危機に対してジンナーがとった対応は?
=キラーファット運動(ガンディと連携して反英闘争に転換)