1881年フランスがオスマン帝国領チュニジアを併合すると、安全保障上の理由からチュニジア領有を目指していたイタリアはドイツに接近。1882年3国同盟が締結された。しかし、墺伊間は「未回収のイタリア」問題とアルバニア領有問題で争点を抱えており、1902年仏伊協商でオスマン帝国領トリポリ・キレナイカの権益をフランスがイタリアに認めると、事実上、3国同盟は瓦解した。
イタリア参戦のチェック・ポイント
①参戦の理由
=「未回収のイタリア」の領有を英仏が「ロンドン密約」でイタリアに認めたため。
②参戦の時期
=1915年
③参戦の密約
=ロンドン密約
④イタリアの動き
=①1882年=3国同盟に参加
②1902年=仏伊協商締結
③1914年開戦時=中立
④1915年=協商国側に参戦
イタリア参戦のチェック・ポイント
①参戦の理由
=「未回収のイタリア」の領有を英仏が「ロンドン密約」でイタリアに認めたため。
②参戦の時期
=1915年
③参戦の密約
=ロンドン密約
④イタリアの動き
=①1882年=3国同盟に参加
②1902年=仏伊協商締結
③1914年開戦時=中立
④1915年=協商国側に参戦