★28回目も、冷泉町エリアからです。
28.【旧櫛田前町】くしだまえまち(冷泉町6)その4
【旧櫛田前町】くしだまえまち
●「流」:厨子町流
●居所:福岡市博多区冷泉町6
●碑文:博多総鎮守 櫛田神社の前に位置する為にこの名が付いた 彫刻家山崎朝雲氏実家の木櫛屋や絵馬屋などがあった
●云々:町名は櫛田神社の東北あることからその名となったわけです。
幕末期の博多店運上帳には櫛田外町 . . . 本文を読む
★27回目も、冷泉町エリアからです。
27.【旧万行寺前町】まんぎょうじまえまち(冷泉町6)その3
【旧万行寺前町】まんぎょうじまえまち
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区冷泉町6
●碑文:万行寺は初め普賢堂町に建てられたが 弘治三年(一五五七年)にこの地へ移転した
時よりの町名は寛文五年(一六六五年)に祇園町に再移転後もそのまま使われ続けた
●云々:万行寺前町には筑前琵琶の . . . 本文を読む
★26回目も、冷泉町エリアからです。
26.【旧社家町】しゃけまち(冷泉町6)その2
【旧社家町】しゃけまち
●「流」:土居町流
●居所:福岡市博多区冷泉町6
●碑文:博多総鎮守 櫛田神社の社地で創建当時からの同宮の神主や巫女の家筋「社家」が代々住まっていた
櫛田裁縫女学校もこの町にあった
●云々:町名の由来は、碑文のとおり、櫛田神社の世襲神職が住むところで、古くは櫛田社家町と称 . . . 本文を読む
★25回目は、冷泉町エリアからです。
25.【旧上小山町】かみおやままち(冷泉町4)その1
【旧上小山町】かみおやままち
●「流」:呉服町流
●居所:福岡市博多区冷泉町4
●碑文:日本の独楽の発祥の地 この界隈には寺院が多く建ち並びその塀が長く続く様を博多の人は
八丁塀と云った
●云々: 町名は小高い土地であったためと書物には記載があるがあまり確証はないようです。
明治7 . . . 本文を読む
★24回目も、店屋町エリアからです。
24.【旧上西町】かみにしまち(店屋町7)その3
【旧上西町】かみにしまち
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区店屋町7
●碑文:海外貿易の実力者 中野家あり 「博多中の番」とも云う
●云々:天正15年(1587年)の太閤町割があったとき、一(市)小路から始めて縄張りを
したそうで、(概ね今の昭和通りあたり)一(市)小路の東側にあたる東側を
. . . 本文を読む
★23回目も、店屋町エリアからです。
23.【旧箔屋番】はくやのばん(店屋町2)その2
【旧箔屋番】はくやのばん
●「流」:西町流
●居所:福岡市博多区店屋町2
●碑文:箔屋新左ヱ門がいた 博多鋏誕生の地
●云々:初め箔屋(金箔・銀箔の取り扱い)、がいたことから町名となったようです。
箔屋新左ヱ門の他何軒があったようです。
また、この地は、剃刀、鋏、鋸、錐、や鉄器を造る小鍛 . . . 本文を読む
★22回目は、店屋町エリアからです。
22.【旧店屋町】てんやちょう(店屋町7)その1
【旧店屋町】てんやちょう
●「流」:魚町流
●居所:福岡市博多区店屋町7
●碑文:往昔 袖の湊の博多中の南海岸に位置し 博多で一番早い時代から商家町としていて
開けた処と云われている
●云々:ここは、袖の湊の南側に位置していて諸国商売 . . . 本文を読む
★21回目も、下呉服町エリアからです。下呉服町エリアの最後です。
21.【旧鏡町】かがみまち(下呉服町2)その5
【旧鏡町】かがみまち
●「流」:東町流
●居所:福岡市博多区下呉服町2
●碑文:神社の御神鏡を作る人たちが住んでいた
●云々:町名の通り、神社への御神鏡を造っていた方が住んでいたところなんでしょうね。
元禄時代までは、「鏡町西」「鏡町東」となっていたようですが、寛保年間 . . . 本文を読む
★20回目も、下呉服町エリアからです。
20.【旧横町】よこまち(下呉服町8)その4
【旧横町】よこまち
●「流」:石堂流 南北筋
●居所:福岡市博多区下呉服町8
●碑文:太閤の博多街割のとき東西線の海沿い横筋の町
●云々:「金屋町横町」は、昔、「博多七堂」の一つ「脇堂」があったところになります。
この横町の先が石堂川(現在の三笠川)になります。石堂川のほうが、小さい時から
. . . 本文を読む
★19回目も、下呉服町エリアからです。
19.【旧下堅町】しもたてちょう(下呉服町10)その3
【旧下堅町】しもたてちょう
●「流」:石堂流 南北筋
●居所:福岡市博多区下呉服町10
●碑文:黒田公入国後石堂川護岸工事が行われてこの町が生まれた 南北線の町のため竪町という
●云々:竪町の名前の由来のように碑文には書いてはあるのですが、護岸工事の「竪くい」が
並んでいたんでしょうか? . . . 本文を読む
★18回目も、下呉服町エリアからです。
18.【旧上金屋町】かみかなやちょう(下呉服町7)その2
【旧上金屋町】かみかなやちょう
●「流」:石堂流 南北筋
●居所:福岡市博多区下呉服町7
●碑文:この町に鋳物師山鹿五兵衛が居住していたので金屋町上と言えり
作品は続風土記土産物考に見ゆ
●云々:釜師(鋳物師)が多く住んでいたところで町名になったようです。「石城志」
がかかれた . . . 本文を読む
★17回目は、下呉服町エリアからです。
17.【旧中浜口町】なかはまぐちまち(下呉服町3)その1
【旧中浜口町】なかはまぐちまち
●「流」:東町流
●居所:福岡市博多区下呉服町3
●碑文:富商伊藤小左衛門の屋敷あり 信国もここに住む綿打ちの家
●云々:昔は「恵比寿町」とも呼ばれていて、この浜に恵比寿神社があったそうです。
浜口町は、例にもれず「上、中、下」の町がありました。
. . . 本文を読む
★16回目も、中呉服町エリアからです。中呉服町エリアの最後です
16.【旧上竪町】かみたてちょう(中呉服町10)その6
【旧上竪町】かみたてちょう
●流れ:石堂流 南北筋
●居所:福岡市博多区中呉服町10
●碑文:石堂川沿いの寺の門前町としての家が建ち 官内と横町筋を結ぶ町として竪町という
●云々:ここも「寺町」の一角にあたります、なぜ「竪町」なのかは、調査中です。
いま一つはっ . . . 本文を読む
★15回目も、中呉服町エリアからです。
15.【旧蓮池町】はすいけまち(中呉服町6)その5
【旧蓮池町】はすいけまち
●流れ:石堂流 南北筋
●居所:福岡市博多区中呉服町6
●碑文:初め寺町という 元文年間(一七三六~四〇)よりひらく
●云々:もともとは、「聖福寺」の「蓮の池」があったところだそうです。
ここは、「寺町」とも言って「筑前名所図会」のも、12軒の寺賀道を挟んで
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★14回目も、中呉服町エリアからです。
14.【旧中石堂町】なかいしどうまち(中呉服町2)その4
【旧中石堂町】なかいしどうまち
●流れ:石堂流 東西筋
●居所:福岡市博多区中呉服町2
●碑文:石堂は博多七堂の一に数えられ袖の湊の中に石があったことから中石堂町と云う
同町の東端石堂御門に近いところに周防の大内殿の探題館が設置されたので
官(館)内町ができた 石堂の者豊臣秀 . . . 本文を読む