出羽景観都邑会

街と田園が調和する形を、出羽の国から、探して、磨いて、創って、伝えていきたい。【でわとゆう会】080101出発

小松の宝物

2009-12-31 13:44:18 | Weblog
 川西町は、「何もない町」というあちこちの人たちと同じフレーズで自己紹介されるが、尊敬する文化があると思っている。遅筆堂文庫を併せ持つフレンドリープラザは、わざわざ訪ねる価値のある劇場で、県外の方に評判の拠点です。
 この度は、雪が降り積もる前に、下小松古墳群を訪ねた。平成12年指定の国指定史跡なのです。4世紀から6世紀にかけて築造されたらしい20基余りの前方後円墳を含む約200基もの古墳群です。(上の写真は代表的な前方後円墳)。
 発掘調査によって姿を一部現しているが、一帯は眺山丘陵の端部にあり、一面、松林で覆われている。(次の写真)大事なものだが、現在のところ大事に見えないし、そのせいか大事にされていない。 

 ここは、置賜盆地の西辺を占め、午後からの眺めが気持ちよい。眺山丘陵の名もここらからの故だろうか、眺望の効く視点場も古墳なのです(下の写真)。
 現在、この辺りを含めて景観の取組みを進められないかと模索している。

 2年目の日記はここまでとします。

0911城下町探検隊7

2009-12-20 21:49:34 | Weblog
 宮町辺りでは、昭和初期の築造らしいビルがまだ現役で使われているようです(上の写真)。屋上のパラペットが洒落ており、そこでビールでも飲んでの眺めは気持ちいいものでしょう。
 商店の名前も出ているが、郵便のマークも付いている(次の写真)。ずっと使い続けて欲しいと願うところです。

 街なかの熊野神社には、夫婦欅に七五三掛けが掛かっている。背後のビルも気にならないくらい堂々としている(下の写真)。

0911城下町探検隊6

2009-12-14 21:18:38 | Weblog
 この近くを通るたびに気になっていた屋敷でした。
 幸いなことに、街歩きの隊長がこの屋敷の方の縁者でした。

 「歪んだ」というか「揺れる」と呼びたい板ガラスが見事に揃った縁側の引き戸を見ることが出来ました(下の写真)。かの隊長がこよなく愛するガラスです。

0911城下町探検隊5

2009-12-13 22:38:11 | Weblog
 龍門寺は、しっかりした構えと造りからその格式のようなものを感じます。
 参道はしっとりと瑞々しく敷き伸びて、右手に珍しい枝垂れたような松が迎えてくれます(上の写真)。
 本堂左手の蔵造りのお堂には、唐破風の屋根の中に、見事に精密な彫刻が活き活きと飾られ、漆喰の荘厳な壁に映えています(次の写真)。

 さらに目を凝らしてみれば、相撲取りが前身を赤く染め上げて、お堂の屋根の四隅を担いでいる(下の写真)。市内東側の寺町にある専称寺で見つけることが出来るあの相撲取りと同じようなものでしょう。ここ龍門寺のその四隅のどれも姿が違っており、洒落ている。

0911城下町探検隊4

2009-12-07 20:49:14 | Weblog
 酔人の墓石がある隣のお寺には、一転して、「不許葷酒入山門」の大きな石柱がある(上の写真)。
 「葷酒(クンシュ)山門より入るを許さず」と読み、葷(ニラやニンニク、ネギなど強壮野菜)や酒は修行の邪魔だということです。最上義光の父である十代義守や五代義春の菩提所である曹洞宗龍門寺です。
 山門も立派なもので、天井に義川定信筆の玉取り竜の絵が描かれている。(下の写真)

0911城下町探検隊3

2009-12-06 17:42:45 | Weblog
 北山形の方に進んで、石垣のある家並みがさらに目立つようになります(上の写真)。この辺りは、江戸期には洪水の影響なども考えられるので、その防御のための構造ではないだろうか。
 武家屋敷で知られるようになった米沢市芳泉町は、ウコギの生垣で有名ですが、また、石垣もしっかり積まれており、洪水から屋敷を守るためと言うことでした。
 北山形の石垣に囲まれたお寺の一つ、正覚寺に、楽しいお墓がありました。酒によっている仏さんの姿です(下の写真)。生前、よっぽど酒が好きだったことは明らかですが、墓石にしてもらったぐらいですから、皆に好かれた良い酒飲みだったことも偲ばれます。

0911城下町探検隊2

2009-12-05 14:46:41 | Weblog
 城北辺りの道路は、そもそも車が通ることを予定しない頃に、原型が出来ているために、現代では狭くて、住民は不便を感じているのかも知れませんが、地蔵様の石碑は、狭い道路に堂々と建っているところをみると、この辺りの人たちは「便利」よりも大事にしていることがあること伺える(上の写真)。
 その先の狭い参道のその奥に、ひっそりと静かに「荒澤地蔵大権現」が在りました。訪ねる人も少ないでしょうが、また、綺麗に管理されていることも分りました(下の写真)。
 因みに、隣りの大きな建物は、近くの旧女子高の寮だったというもので、廃墟になっており、心配される状態です。