出羽景観都邑会

街と田園が調和する形を、出羽の国から、探して、磨いて、創って、伝えていきたい。【でわとゆう会】080101出発

上山街歩き2(観光まちづくり塾)

2008-09-30 21:47:04 | Weblog
 上山の街なかに沢庵禅師ゆかりの「春雨庵」があります(上の写真)。江戸時代初期にあった紫衣事件によって上山に流されて来たのですが、当時の上山藩主土岐氏の庇護を受け、この場所で3年暮らしたと伝えられている。ここで「たくあん漬け」を土地の者に教えたそうです。沢庵が江戸に戻り、春雨庵も東海寺に移築された。現在の春雨庵は、東海寺から一部部材を預かり再建されたものだが、広くない土地に、簡素ながらも品良く風通しの良さそうなこの庵が好きである。
 今回の街歩きでは、発見がありました。今売り出しの武家屋敷通りの裏通りに、丘陵地独特の坂道があり、それも、天にでも届くような坂道の構図で、そこに年配のご夫婦が揃って登って行く姿は、それだけで歴史を物語るような風景でした(中の写真)。

 また、通りから少し外れた所で、武家屋敷の石積みの遺構というのも、初めて教わりました(下の写真)。

上山街歩き1(観光まちづくり塾)

2008-09-29 21:43:40 | Weblog
 上山には宝物がたくさんある。江戸時代を通して、小さいながらも藩としての態を保ってきたため、文化的なもの、また、心意気というようなものが引き継がれているためと思われる。
 上山は、よく来ていると思っていましたが、この度「観光まちづくり塾」という企画に参加したところ、街のど真ん中の丘の上に鬱蒼とした杜の中にある栗川稲荷神社を初めて訪ねました。お稲荷様の赤い鳥居は1000を超えると言い、長く続いていましたが、訪ねる人も少なく、朽ち果てつつありました(上の写真)。幕末まで続いた松平家の守り神として庇護を受けたそうです。
 上山は、温泉場として栄えてきた歴史があり、湯町、新湯、河崎、葉山と街なかに特徴ある温泉が分布する。湯町は上山温泉の発祥の地ですが、盛衰が激しく、街は移り変わりました。
 流行はあっちこっち揺れ、移り気なものですが、そうすると、かえって昔ながらの風情が重宝されるのではないでしょうか。そんなかつての温泉宿の建物がまだ残っていました(下の写真)。湯町の入り口付近の建物でよく目にするのですが、改めて、あの二階の窓の手摺から、湯上りの浴衣姿でのんびり外を眺めてみるのは良いなと思いました。

蔵王坊平ジャズフェスティバル

2008-09-28 21:23:39 | Weblog
 蔵王坊平高原でジャズフェスティバルが夏の終わり(8月31日)に開催された。標高1000mの高原は本来スキー場です。
 このジャズフェスティバルは、山形国際ジャズフェスティバルとして、以前は蔵王温泉、天童の県総合運動公園などで行われてきたのが、昨年から蔵王坊平高原に場所を変えて続けられている。興行的な困難をしのいで開催し続けていることもすごいが、そうそうたるプレーヤーを揃えている所もすごい。全国屈指の野外ジャズコンサートという評判もあるそうです。
 昨年に続いて、ワインとフランスパンとディレクターズチェアーを持って出かけましたが、今年は台風の影響であいにくの空模様。それでも、天気予報ほどには荒れずに2番目のグループまでは屋外で進んだ(上の写真)。皆、思い思いのスタイルで楽しんだ。3番目からはライザワールドのレストランに移ったが、音は中のほうがかえって良かった。外が暗くなるにつれて盛り上がり、皆酔ってきた(下の写真)。
 トリはジェームス・カーターだったが、その他の4グループも上質な演奏だった。厳しい財源で、これだけのゲストを呼んでこれるのは、ひとえに仕掛け人の人望によるという話が聞こえてきた。お客さんには、近県の方も多いようです。
 俗界の自動車の音が聞こえない坊平高原でのジャズは代え難い極上な世界です。山形の、東北の宝物の一つです。続いて欲しい。

福島の霊山3

2008-09-26 22:50:08 | Weblog
 霊山を歩いて、護摩壇を過ぎて霊山城跡を訪ねた。そこは霊山の外郭を成す断崖とは違い、小さな空地があるだけで、それだけではその歴史を感じさせるようではない。
 霊山の最高点は次の東物見岩で、立て札によれば太平洋が見えるらしい。(帰りのバスの運転手の話によると、見えることは稀ではあるらしい。)
 周遊コースの最後には神秘的な大山祇神社跡がある(上の写真)。
 そこまでの道も岩戸を分け入り進むようだった(下の写真)。自然地形を読み取って、そこに意味を感じて祀ったことが良く分る。
 山形の山寺に見た風景(垂水不動尊~峯の裏遺跡)を思い出した。

 3時間の山歩きのあと、麓のお店でビールとしめじご飯おにぎり、味噌ラーメンをいただき、13時43分のバスで帰路についた。楽しい旅でした。

福島の霊山2

2008-09-25 22:42:56 | Weblog
 霊山は、慈覚大師によって開山されたといわれ、南北朝期には南朝の臣、北畠顕家が陸奥の国府を開いた。1347年、北朝との戦いで落城し、以来歴史上も深く埋もれたままとなっている。
 麓のお店で頂いたマップを頼りに道を巡ると、次から次と奇岩と絶景の連続なのです。見下し岩から甲岩を過ぎると「天狗の相撲場」に着きます。
鎖場というかパイプ階段が据えられた横には、天狗の相撲場での戦績(何のかは不明)の札が並んでいます(上の写真)。
 その先に進むと、分かれには手書きの札(「初めて霊山に来た方へ・・・ゴマダンの絶景を楽しんで・・・」)が掛かってありました(中の写真)。手書きが語りかけるようで、思わずそちらの道へ足を進めます。 

 護摩壇には、親不知・子不知という鎖場の難所を抜けていきました。山の岬のような所でしたが、片洞門のような張出し岩があり、仙台から来たという団体が絶景を眺めながら昼食を取っていました(下の写真)。この山のクライマックスであります。攻防と祈りの地に相応しい山であることを実感します。

福島の霊山1

2008-09-24 21:02:31 | Weblog
 前々から福島県に「霊山(りょうぜん)」という気になっている山がありました。神聖な名前のひびきだけでなく、825mと低い標高にも拘らず、その山容が険しく切り立っていると耳にしていたことからです。
福島県といえば、磐梯山、吾妻、飯豊連峰など名だたる山々が聳えていますが、霊山は、なだらかな阿武隈山地の中にあって特異な姿で自己主張している。
 この度は慌しい時間での旅なので、天候の良し悪しなど気にすることもなく、山形から電車に乗り、バスに乗り換え辿り着いた。山形駅(6時30分発)から3時間で登山口の「霊山こどもの村」に着くことができた。このルートの便は良いのです。歩き始めて見上げるとすぐに「霊山」を感じ取ることが出来た。霧雨の中に切り立った岩が見えた(上の写真)。
 国の史跡名勝に指定されており、県立自然公園として山道が整備されていて歩き易い。案内標識もきちんとしていて、麓で手に入れたマップを頼りに安心して巡ることが出来る。
 標高は低くても比高は大きく、数ある展望岩に出てみると大きな眺望が迎えてくれました(中の写真は「宝寿台」からの俯瞰景。下の写真は「宝寿台」から「見下し岩」方向。)。 


鉄の町釜石

2008-09-22 22:26:44 | Weblog
 釜石は岩手県に住んだことがありながら訪ねたことがなく、ずっと記憶の端に引っかかっていた町です(上の写真)。鉄の町として隆盛を誇っていたことも過去の話となり、時代の移り気をまともに受けてしまっているようです。産業の衰退に相俟って、無敵を誇ったラグビーチームも縮小し、国民の記憶からも遠ざかってしまったようです。
 釜石線に乗り、遠野から1時間ほどで山に挟まれた釜石の街並みに迎えられます。鉄道の南側には、製鉄所の工場が残っており(中の写真)、高炉が廃止なった後、線材生産が主体ということです。

 釜石には、大渡橋(橋長109m)にあった橋上市場(闇市から始まったらしい)が名物になっていましたが、橋の老朽化に伴い、5年前に駅前の陸地に移転したようです。この話は、テレビニュースでの記憶で、現在はきれいで清潔な市場に変わったようですが、乗り継ぎ時間のために見ることが出来ませんでした。「橋上市場」の名前は引き継がれています。
 釜石湾に注ぐ甲子川に橋上市場があった風景は惜しい(下の写真は甲子川)。

民話の遠野5

2008-09-21 19:29:35 | Weblog
 とおの民話村を通り抜けると、米内川に出ます。川面を覗くと魚影が見え、蛇まで泳ぐほど自然度たっぷりです。大手橋からは、その川面を楽しむ観光客の姿が見えます(上の写真)。
 随分ときれいにされている街並みですが、そんな中で大手橋の袂に、嬉しいものを見つけました。きれいとは言えない店先ですが、本当に美味しそうな「立ち食い寄せ豆腐」の広告が誘います(中の写真)。川風を感じながら頂ける豆腐は格別です。

 豆腐を頂きながら外を眺めると、その道向かいには、これまた気にかかる広告がありました。惹かれて店に入ると、若い娘さんが濁酒の3色セットを勧めてくれた(下の写真)。果たして、「ここ」という店に迷い込んだようで、幸運にもこの地の名物の味を頂くことができた。民話と濁酒に満足しました。


山形城の彼岸花

2008-09-20 22:07:55 | Weblog
 山形城東大手門横に、今年もしっかり季節を告げるように彼岸花が咲いてくれました(上の写真は、9月20日、今朝の霞城公園)。
 彼岸花は、全草毒草のために不吉なものされてきたようですが、その毒性のために、野鼠対策として田んぼの畦道に植えられてきました(山形市内の田んぼにも良く見られます)。
 花の特徴として、花が咲く時には葉がなく、花が終わった後に葉が出て、その葉も春には無くなってしまうということで、花と葉が同時に出ている時がありません。
 しかし、歴史的な二の丸の土塁に鮮やかな朱色に咲く花は、緑の中で妖しげに美しい。
 
別名、曼珠沙華とも呼ばれています。

民話の遠野4

2008-09-19 22:44:56 | Weblog
 遠野の中心部の「蔵の道」から遠野城下町資料館を過ぎると、南側に「とおの昔話村」、清潔に整備されている(上の写真)。
 ところで、「とおの昔話村」の向かいの蔵は、魅力的な入り口で迎えてくれました。「遠野物語研究所」という大きな表札が掲げられていました。
 入り易いという訳ではありませんが、魅力的な入り口のため、思い切って声をかけると、和やかな雰囲気の返事が返ってきました。NPO法人として遠野を支えている方々と見受けました。お忙しいところ、冷たい麦茶のもてなしを受け、民話の語り部の話を伺いました。上山市楢下の佐藤さんのことを紹介してきました。この人たちが遠野を支えているのだと感じました。
 ちなみに、ここでは「遠野の昔話」の小冊子を求められました。そして、百円なのです。遠野に行ったときは、是非訪ねたください。

 この研究所を出ると、蔵の軒が雁木(こみせ)のように長く出ていて、観光客が休んで向かいの「とおの昔話村」を眺めていました。空間を通して眺めを楽しめるようになっています。居心地の良い場所というのは好みによるものだけでなく、客観性を持っています。

民話の遠野3

2008-09-18 21:11:17 | Weblog
 遠野の街なかを歩き進むとぽっかりと開いた空間に出た。マップには「蔵の道」とあり、漆喰の蔵が迎えてくれた(上の写真)。秋田県では黒漆喰の「内蔵」を見てきただけにほっとしてしまう。
 蔵が並ぶそのエリアの一角には、市民ギャラリーがありましたが、これは新築の蔵だろうか、新築ならば良く造ったものだ(2番目の写真は外観、3番目は内側))。


 このエリア全体は、蔵を残しながらも明るい空間になっている。「蔵の道ひろば」と命名されている(下の写真)。きれいな芝生広場が明る過ぎるようにも見えて、趣がなくなっているのだろうか、人通りは少ない。視点場を意識して用意すると良いと思う。

民話の遠野2

2008-09-17 20:33:19 | Weblog
 遠野駅を出て、大工町というところを訪ねた。地元の木材を活かした通りに仕上げている。店先も景観づくりを楽しんでいるように見える(上の写真)。景観協定を結んでいるという。
 板塀や板壁などはともかく、歩道の舗装材、水路の蓋材まで木材を使っている(下の写真)。思わず「どのくらいで木材を交換しているのですか」と、住民の方に聞いてしまった。
 寿命の長いものを大きなエネルギーをつぎ込んで造るより、身近かにある材料で劣化したらすぐ取り替えるというのも「良い手」である場合も多いと思う。囚われることはないということ。

民話の遠野1

2008-09-15 21:31:36 | Weblog
 田沢湖から盛岡を通り過ぎて遠野に着いた。ここも幹線交通網からは外れており、なかなか立ち寄ることが難しい。
 遠野駅は、落ち着いた雰囲気のホテルなどがに併設されて、長い旅をして訪ね来るお客が馴染みやすい拠点になっているように見える(上の写真、手前は駅に隣接する物産センター)。
 駅を出て物産センター横を抜けると、観光案内所内で、なんとボランティアの語り部による昔話を聞くことが出来る(中の写真)。
 遠野は民話の里というが、毎日当たり前のように、昔話を聞かせてくれるというのは、ありそうでないようなことである。凛とした雰囲気の婦人が、心地よい方言で、代表的3題のうちから「ザシキワラシ」と「オシラサマ」などを語ってくれました。私どもが聞いていることを、喜んでいるということを喜んでくれました。

 ここで、昔話を聞いただけで遠野に来た目的が果たせたというような感激を味わい、思わず長居をしてしまいました。
 表に出て、駅舎群を見上げると、屋根の先にオブジェのようなものがあります。JRの文字の上に河童の像が遠くを見ている。私は、観光地によく見受けられる具象的な安易なモニュメントは、決して好きになれない。広場などに堂々と幅を利かせる塊などは、マイナスとしか評価できない。ほとんどの場合、無いほうが良いと思う。
 しかし、ここの屋根の上の河童は、さりげなく、しかし堂々としていて、遠くを見るような態度が素敵である。洒落ている。やるなら、こうありたい。

角館から田沢湖へ

2008-09-14 21:14:18 | Weblog
 真夏の秋田県を巡って田沢湖に辿り着いた。田沢湖線(秋田新幹線)は、新幹線優先のため、それ以外の便数が極端に少なくなっている。本当に仕方がないことなのか? 
 暑い一日が暮れる時間になり、宿に入る前に自転車で人出が引いた夕暮れの田沢湖畔を巡った。印象派画家の絵のような夕暮れでした(上の写真)。水面に移る夕日が花びらを浮かべたようにはかなく揺れているのです。
 日本一深い湖の豊かな水が、夕日を受け止めているように見えます(下の写真)。混じりけのない絵よりも万物にも感情があるようなこの絵が気に入りました。ちなみに、深さは423.4mですが、水面の標高は249mということで、最深部は海面下約180mということになります。

 明朝は、北側湖畔を1時間半ほどジョギングしましたが、朝日を背負って姿を変える駒ケ岳や朝霧に見え隠れする湖畔の山々や透明度の高い水面、移り変わる景観はこの湖の宝物です。自動車以外の移動手段で巡るに限ります。

角館武家屋敷の経営

2008-09-13 20:54:13 | Weblog
 ただ古いだけでは残らない。これまでも、これからも、経営が成り立たなければ存続しない。今、求められる価値がなければ消えていく。今、生きている人たちの賛同が必要です。
 角館の武家屋敷は、大火に見舞われてもその時代の求めによって再建されてきた。しかし、現代においては、保存だけでは価値を共有出来る環境にはないことが理解されているためか、その歴史的建造物を活用する展開が見られる。
 上の写真は、10日に紹介した「安藤醸造元」の出店のようです。「もてなしの3点セット」が完備され、武家屋敷の重厚な雰囲気に対比してハレが演出されているように見えます。
 また、道向かいには「西宮家」の関連店もしっかりしたもてなしの設えがなされて、お客を迎えてくれます(下の写真)。食事の他、コンサートも催されているようです。
 双方とも、しっかりした本店の経営基盤を基に展開されていることでしょうが、それと共に、お客さんを「持て成す」思いと作法を確固たるものにしていることが感じられます。