出羽景観都邑会

街と田園が調和する形を、出羽の国から、探して、磨いて、創って、伝えていきたい。【でわとゆう会】080101出発

それでもさすがに国立

2008-03-31 21:40:10 | Weblog
 こんな店が何気なく表通りにある国立大学通りはさすがです。挨拶・迎客・集客の装置(商店街の3種の神器)が自然体で揃っている。こんなことは当然だという風だ。提供している商品・料理(サービス)も質の高いものなのでしょう。
 この通りには、下のような掲示板が品良く出されている。景観条例の内容についての掲示ですが、この街の景観に関する取組みの証と心意気が表れている。
 さり気なく、しかし、しっかりと意思表示することは大事なことです。国立にはまだまだがんばっていただきたい。

用と美の間(大学通りの自転車)

2008-03-30 22:50:26 | Weblog
 憧れの国立駅前の大学通りでは、自転車道が車道、歩道と分離して、車道端に設置されている。自転車交通を大事にしようという地域の気持ちが表れている。(3月24日の写真を参照されたし)
 しかしである。自転車道と同じぐらいに歩道を通行している自転車が多い。それも、何のためらいもなく通っている。(上の写真)本当は、その理由をその方達に聞きたかったのですが、そこまではせず、自分で考えました。
 その自転車道は、「不便」なのではないか。広い植樹帯の車道側なので、沿道のお店から遠ざけられている。また、幅も狭く、交互通行が難しく、その上、横を通る自動車が不快である。自転車道分離の形は出来ているが、用を達していないのではないだろうか。
 さらに、自転車交通の利用を促進するためか、下の写真のように大学前の緑地部分が自転車駐車場に開放されているが、そこまでやれるのであれば、植樹帯を車道側に寄せて、歩道側に自転車道を置き、駐輪場はその一角でよろしいのではないかと提案したい。

国立駅前の風景

2008-03-27 21:34:26 | Weblog
 国立駅前は大きな広場というかロータリーがあり、そこから大学通りが伸びており、居住する場として、穏やかで安らかな風景が保たれているような気がする。
 確かに三角屋根で街のシンボルだった駅舎(下は5年前の写真)は、現在、中央線の連続立体交差事業が進められており見当たらない。5年前に来た時は、背後のマンションの作法の悪さに悲しんだが、今回は、シンボルがなくなっていた。
 国立のことだから、あの景観を復元するのだろうと期待するが、工事現場の周辺を探したが、完成予想図は掲示されておらず不安になってしまった。後ろのマンションに負けないような陸屋根などにならないように願うばかりです。

用と美の間(国立)

2008-03-24 22:41:37 | Weblog
 景観問題の導火線となった国立のマンション問題。その舞台の大学通りです。人の姿が見えないために、何が大事なのかわかりにくくなっていますが、明らかに自動車が通りやすい道路です。その時点で、画期的な事件が起きました。景観を原因としてマンションを切り取るようにとの判決が出された。
 国立は「備え」がなっていなかった。思いだけでは届かないものが間違いなくあるのです。
 条例の適否はともかく、その前に、マンションの前の跨道橋はどうしたのか(下の写真)。この跨道橋の存在意義はあるのだろうか。誰も通らない、通る必要がない、すぐ隣に横断できるところがある。この跨道橋は、誰も通る必要がないが、問題のマンションを撮影するのはうってつけであるのは確かである。
 マンションを建てた者だけが悪いのではなく、建てられるようにしてしまった情勢も理解出来る。
 しかし、あのマンション問題は、地域の問題ではない。また、マンションを語る前に、この跨道橋を語らなければならない。結果的に、みんなが不幸になってしまう問題として問い合わせなければならない。

嬉しいこと見つけた

2008-03-23 20:51:19 | Weblog
 湯島聖堂、神田明神、湯島天神を訪ねて、その先に、ある本屋を探しに、文京区本郷辺りを巡っていたら、こんなビルを見つけました。すぐ近くには、登録文化財の教会があるが、何よりもこの建物の設えが粋である。街と店の魅力のためなら苦にならない不便じゃないか。やれば出来るじゃないか。
 もう一つ、不忍池辺りの水上音楽堂に緑の半纏を着た人たちがおり、続々と家族連れらしい人々が集まってきている(下の写真)。何かと尋ねたところ、「上中」こと上野中通商店街のイベントで八箇所めぐりの街歩きイベントをやっているとのこと。参加者約400名。街歩きを、地域の、商店街のイベントにしているところが、ありそうでなかなかのアイデアではないか。そう、地域住民が地元を楽しむことから始まるのです。


なかたち石の仲間(湯島天神)

2008-03-22 22:18:36 | Weblog
 なかたち石の仲間探しで二つ目を確認。湯島天神の西側の梅林の中に「奇縁氷人石」がありました。こちらは、まだ大事にされている様子があり、境内の案内にも明示されています。
 この日は、天気がよく、梅が咲き初めだったことや、合格お礼の人たちで賑わっていました。合格お礼の絵馬が山のように積み重なっていました(下の写真:他にも境内のありこちに)。願い事やお礼の気持ちを表すために、お祈りして絵馬を奉納することなどは、信仰心に関わりなく「苦しい時の神頼み」があっても良いのじゃないかなと思います。それも文化の一つでしょう。合理性を超えた、「時の運」というのもありますので。


視点場(ニコライ堂)

2008-03-20 21:58:36 | Weblog
 湯島天神に向かうために御茶ノ水駅で電車を降りたのだが、反対側が気になって聖橋口を出て、南側に歩き始めた。ニコライ堂(東京復活大聖堂)を思い出したのです。
 1891年竣工で、関東大震災でドームなどが被災したが、1929年に復興されたそうである。ビザンチン様式がとり入れられた建築で、国の重要文化財に指定されています。昔は、唄に歌われ、その印象的な姿がこの辺りのシンボルだったと思われますが、現在、振り返る人は見られません。
よく見える場所が用意されていないことも理由の一つではないでしょうか。
 駅から西側の歩道を歩いていくと、歩道の狭さと隣の建物の高さのために、ニコライ堂の全容が見える所まで行くと近づき過ぎて、大きく仰ぎ見なければなりません。おまけに、ニコライ堂正面の姿を樹木と標識が邪魔しています。ニコライ堂の良さを感じることが難しいのです。
 この建物が一番良く見える場所を探し歩いたら、(下の写真)4車線の道路の反対側の建物の入り口付近でした。程よい大きさで鐘楼も見えます。この場所(視点場)を、もっと大事にして欲しいと願います。


用と美の間(日本橋川)

2008-03-18 21:27:43 | Weblog
 「満よい子の志るべ」のある一石橋からの景色です。高速道路とその先に見える高層建築で画面は満たされているようですが、わずかに重厚な建造物が見えるでしょうか。窮屈に押し込められたような日本銀行本店旧庁舎です。飾りじゃないのよって言いたげにも感じるのですが、とにかく残ってだけはいます。
 下の写真はその上流側ですが、濁った水に突っ立っている橋脚、覆い尽くす床版、その先にわずかに見える石造のアーチ橋、常盤橋です。一つ一つは悪者ではない。組み合わせ、関係性が間違っているのではないだろうか。それぞれが不幸な上体になっている。さすがにこの橋付近を歩く人は少ない。橋詰めの影にホームレスの方が寝ていただけだった(次の写真:足先わずかに覗く)。
 必要とされないならば、いっそ、言い訳のように残さない方が良いのかもしれないと思ってしまった。

用と美の間(満よい子の志るべ)

2008-03-17 22:15:22 | Weblog
 山形市に「なかたち石」がある。迷子を探すために掲示板のような石柱をたてたものであり、江戸末期に建立されている。
 先日、東京に行く機会(マラソン参加)があり、「なかたち石」の仲間を訪ねてみた。まずは、東京駅近くの日本橋に架かる一石橋の橋詰めに建てられている「満よい子の志るべ」。上の写真を見てわかるでしょうか。そこは、例の「日本橋の景観」を復活させようという話がある付近です。日本橋川は、ただ水があるというだけのどぶ川に化しており、高速道路の橋脚がズドンと水面を突き刺している。
 ところで、目的の石柱は、橋の親柱のすぐ横に、フェンスにしっかり囲まれており、探すことさえ難しい状況です。東京都の文化財に指定されているようだが、ただ残されているだけという存在、むしろ、存在を打ち消されたような状態だった。いっそ壊されてもいいから、フェンスをとったらどうだろうか。残すことだけが大事ではない。下の写真はフェンスの網越しの「満よい子の志るべ」です。

町屋の人形さま巡り(道路拡幅)

2008-03-10 23:05:51 | Weblog
 吉川さんの町おこしのきっかけは、道路拡幅反対の気持ちからだったという。10年前の町を憂う正直な気持ちから、紆余曲折しながらも前向きに突っ走ってこられた結果が、町の空気を変えてきたようです。ただ、単なる反対運動でなく、町のよさを再発見、再生して、町の本来の良さを発揮させて人々の思いを動かしたのは、さすが「カリスマ」と呼ばれる方です。
 その良い影響なのか、結果として、通りの拡幅された所(上の写真)も町屋再生の雰囲気を活かした街並みが形成されています。町屋の良さが再認識されたのではないでしょうか。街は面的な広がりをもって魅力が増します。
 一方、町屋再生プロジェクトが進む区域の街並み(下の写真)は、通り全体としてはもてなしの表現はまだ足りません。どちらが良いとは言えません。大事なことは、「その道は、何を大事にした道なのか、そのための形になっているのか」。
 来訪者の目線で、「町はこうありたい」と考え、「拘るが、囚われることはない」そんな視点が必要だと思います。
 村上は、思いがある街です。4月3日までの人形さま巡りを、是非ご覧頂きたい。
 

町屋の人形さま巡り(情報館)

2008-03-09 21:31:35 | Weblog
 村上の町人町に城下町情報館が出来ていました。まちなか巡りのターミナルだけでなく、中では伝統工芸の実演を子ども達に見せている。まちなかに自信が出てくると、こういう場所が欲しくなるんです。ここにも、見事にもてなしの3点セットが完備されていました。「人形さま」と呼ぶこの町の人柄が町中に広がっているようです。
 ところで、3月8日に我が家の近くの田んぼで、雪解けの水面から落穂をついばんでいる七羽の白鳥を見つけました。山形市の市街地周辺の田園部は居心地良いと評価してくれたのか、とにかく嬉しい発見でした。何処から来たのか、羽の色がまだ白くなっていない若鳥もいるようで、とにかく無事に北に帰って欲しいと願います。

町屋の人形さま巡り(菓子屋さん)

2008-03-07 21:40:30 | Weblog
 このお菓子屋さんは、町屋再生プロジェクトの第1号です。今回、改めて気付いたのは、建物意匠は改修以来の姿ですが、店先の心づかいが変ったのではないかということです。下の4年前(私が初めて訪ねた時のもの)の写真を見てください。 4年前から、一二三石のような舗装にはなっていたのですが、「迎客の装置」の縁台がプラスチックから木製に変り、「集客の装置」の案内メニューが建てられています。この町の方々の進化によって、この中間領域のしつらえに磨きがかかったのでしょう。 

町屋の人形さま巡り(魚屋さん)

2008-03-04 21:01:28 | Weblog
 村上巡りその2。
 今回、特に注目したのは、「うおや」さん。町屋再生プロジェクトではないようですが、町屋の雰囲気を活かした店構えに模様替えしたのではないだろうか。周りとお客さんへの心遣いが感じられる中にも自信を持って、「魚屋」の店を張っておられる。
 しかも、中に入ってみると、ただものの魚屋さんではないのです。店の半分を雛飾りにして、休めるところまで用意している。おまけにお茶まで出してくれた。ここは「魚屋」ですぞ!
 丸っきりの町屋風には出来なくても、このもてなし心が表現されていれば十分に町屋資格があると思います。さかなも美味しそうでした。是非お立ち寄りをお勧めします。

村上の早春(人形さま巡り)

2008-03-03 21:59:31 | Weblog
 昨日、機会があって村上に立ち寄ってみたところ、日曜日ということもあり市役所横では朝市で賑わっていた。名物の鮭の店が正面に位置取り香ばしい香りを振りまいていました。
 ちょうど、3月1日からは、恒例となった「町屋の人形さま巡り」(上の写真は、トレードマークの切り絵のポスター)が始まっており、二日目の日曜日は穏やかな天気に恵まれて、朝から明らかに観光客とわかる街歩き人がたくさん出ている。
 この町おこしの仕掛け人、吉川さんにお会いしたのは4年ほど前です。ご自分の気持ちに真っ直ぐに行動し続けるその姿に惹きつけられて、町の空気がようやく変わり始めた頃でした。
 昨日は、4年前からの変り具合を確認しながら街歩きをしました。協力店がもう75件にも増えたのですね。街全体が明るく鮮やかに見えるようになっています。
 下の写真は、「町屋再生プロジェクト」の一軒である井筒屋さんです。登録文化財の町屋を利用してカフェと宿泊(一組だけ)を営まれている。もてなしの3点セット(挨拶、迎客、集客の装置)が揃っています。

用と美の間(花道という考え方)

2008-03-02 22:27:48 | Weblog
 花道とは、元来、歌舞伎や相撲における通路のことを指します。舞台や土俵に通じる道のことで、ハレの場に向かう役者や相撲取りが観客の声援や花束を受けて奮い立つところであるのでしょう。また、晴れの舞台といえば、結構式でのヴァージンロード(和製英語らしい。上の写真は、3月1日、これから結婚式らしい文翔館議事堂)や表彰式などでの赤絨毯も同じような意味があるのではないでしょうか。
 屋敷において、敷石として、飛び石や延段などの作法で大事な人を大事な場所に案内されることがあり、大事な方が歩む通路には筵が敷かれることがありました。
 大事なお客さんに、街の大事なものを見ていただき、喜んでいただくためには、思いだけでなく、形にして表現する必要があります。街を楽しむ大きな手法の街歩きの取組みなども、ルート全体でお迎えの表現をするのです。そして、そのルートは「花道造り」という考え方で進められるのではないでしょうか。「赤絨毯」とはそのままの表現だが、色と質に係わらず、通路・道路のもてなしの表現を総じて「花道」と呼びたいと考えました。(下の写真は文翔館の階段)