The happiness trap
○ 「フュージョン」とは、何かが混ざりあい混合することをいう。…ACTにおけるフュージョンは、思考とそれが指し示すもの(物語と実際の出来事)が混じり合い1つになった状態を指す。私たちはレモンについての文章を読み、本当にレモンがあるかのような反応を示す。p.52
(思考と現実は別ですよね。思考は虚構かもしれない。思考に対して最大限の注意を向ける必要はないかもしれない。
仕事中にミスをしてしまったと仮定します。「今日はよくミスをする日だ。」と思うとそれは現実かどうかわからないですよね。単なる思考かもしれない。なので、私は「今日はよくミスをする日だ」という考えを持っている。と考えてみます。
ということで、思考が客観視できるようになりました。
「防御技 全集中 頭上の呼吸 一の型 思考の客観視」の誕生です。他人にどうのこうの言われても、自分の頭の中でグルグルまわっても、思考だから検証するまでは正しいかどうかわからない。と少し距離が保てるようになりました。
あ、行動と思考も別なので、頭の中でカッカしていても、私は「〜〜と考えて頭の中でカッカしている」と距離をおけばバランスの悪い非効率な行動は取らずに済みます。)
○ このテクニックはあらゆる不快な思考に使うことができる。例えば、心が「人生なんてろくなものじゃない」と呟いたとする。そこですかさず認めよう。「私は「人生なんてろくなものじゃない」という考えを持っている」。…私たちはこのプロセスを「脱フュージョン」と呼ぶ。…脱フュージョンの状態では、私たちは以下のように認識する。・思考は単なる音、言葉、物語、あるいは言葉のかけらである。…・思考は命令ではない。それに従う必要はまったくない。…思考は決して脅迫ではない。最も苦痛を感じるもの、あるいは最も嫌悪すべきものであってさえ、私たちの脅威にはならない。p.55
(いろいろ応用できるんですね。素晴らしい!そう言えば、以前観たダニエル・カーネマンのTEDの中で経験の自己と記憶の自己があって、それぞれにとっての幸福は別だと言っていました。当てはめてみると記憶の自己は思考ですね。経験の自己は今現実に目の前で起こっていることです。あ、それから全ての思考が悪いわけではなく、不快を避けるためです。)
○ 文章の言葉は「テキスト」、話し言葉は「会話」、頭の中で使用される言葉は「思考」と呼ばれる。大事なのは、思考を、しばしばそれと共に現れる心の中のイメージ(イメージ)や肉体的な感覚と混同しないようにすることだ。…思考=頭の中の言葉 イメージ=頭に浮かぶ絵 感覚=体の中に起こる感じ…思考はあくまで言葉でしかない。このため、ACTではしばしば「思考」を「物語」と呼ぶ。これらの物語は、時に真実だが、時に間違っている。p.51
(新聞記事を読んで、あたかもそれが真実のように思い込みがちですが実際、その現場にいたわけでもありません。本書にもどんなに詳しい記述だとしても物語は出来事とは違うとあります。体験と物語は違うということだそうです。)
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