モハ1005-モハ1006-クハ2003 編成がほとんど動くことが無くなった頃、
2000年の春でした。
『青春18きっぷ』が使える時期に見に行きました。


やはり気になるのが検査の実施。
伊豆箱根鉄道の検査標記は下段が検査実施年月、上段が次回検査年月
(和暦)つまり、直前の2月で検査切れでした。
当時は廃車にする予定では無かったものの、1編成余剰の12編成体制で
したので『予備車の予備車』状態でした。一次休車になってしまうのか…
そんな時に、横にはピカピカのED33が。

手書きされた標記の鉛筆下書きが見られました。

そして当時はED32のみに取り付けられていたATSと列車無線が、
ED33にも取り付けられました。

ちょうど作業中で、ワイヤーやラジペンも見られます。
さて、この大場工場の検修庫内には作業予定の黒板があります。

部分的に拡大してみますと


現在と比べても車籍は、2003Fが廃車になり、2005~2007Fが1300系に
置き換わったくらいでしょうか?
MGやCPも共通化が計られていました。
モハ1006のCPは計画ではHB-2000CB化もあったようでしたが実現
しませんでした。
さて、この後の2003Fですが… 夏のイベントに併せて臨時検査が
行われました。休車期間を利用し、1年延ばされたようでした。

2000年の春でした。
『青春18きっぷ』が使える時期に見に行きました。


やはり気になるのが検査の実施。
伊豆箱根鉄道の検査標記は下段が検査実施年月、上段が次回検査年月
(和暦)つまり、直前の2月で検査切れでした。
当時は廃車にする予定では無かったものの、1編成余剰の12編成体制で
したので『予備車の予備車』状態でした。一次休車になってしまうのか…
そんな時に、横にはピカピカのED33が。

手書きされた標記の鉛筆下書きが見られました。

そして当時はED32のみに取り付けられていたATSと列車無線が、
ED33にも取り付けられました。

ちょうど作業中で、ワイヤーやラジペンも見られます。
さて、この大場工場の検修庫内には作業予定の黒板があります。

部分的に拡大してみますと


現在と比べても車籍は、2003Fが廃車になり、2005~2007Fが1300系に
置き換わったくらいでしょうか?
MGやCPも共通化が計られていました。
モハ1006のCPは計画ではHB-2000CB化もあったようでしたが実現
しませんでした。
さて、この後の2003Fですが… 夏のイベントに併せて臨時検査が
行われました。休車期間を利用し、1年延ばされたようでした。

駿豆線の大場車庫の記録興味深く拝見しました。
西武系の車両のCPは赤電時代は全てAK-3、黄
色になった後もN101系登場まで一貫してAK-3に
拘ったのも驚きでした。
大場工場の黒板を見ますと、2003編成とEDのみが
AK-3で残っているようですね。
701系の2005編成以降はHB2000ですが、これは西武
時代に既に取換済みだったでしょうか。
西武の電車が全てAK-3装備だった時代、電機E851
から聞こえてくるC-3000の音が凄く新鮮でした。
当時の西武701系の廃車・譲渡の際、FS-072台車、MGは
2000系に流用されていたようでしたが、CPは AK-3 取付車
はそのままだったと思われます。その後、HB-2000CB も
余剰となった時に譲渡されたのでしょう。
モハ1006は最後まで AK-3 でしたが、台帳上では HB-2000CB
化が検討されていたようでした。結局竣工しませんでしたが。
おそらくモハ1008の分も合わせて入手していたのでしょう。
ちなみにモハ1006は竣工時、ロータリーコンプレッサー
でしたが、保守に手間がかかるために、AK-3 に振替え
られたとのことでした。
1100系のMGも途中で換装されたり、複雑な経緯もあった
ようでした。